天使がやってきた −拾った日−
その日、死神は何だか変な人に出会った。
いや、自分も傍から見れば十分変な人なのだが、死神はそんな事はこれっぽっちも気にしていない。
とりあえず、目の前で橋から飛び降りようとしている男に死神は偶然出会ったのだ。
「もしもし、そこの人」
いきなり背後から話しかけられた男は、びくっとして死神を見た。
「……何て変な人だ」
「あなたには言われたくない言葉だな」
誰かが聞いていれば「どっちもどっち」という有難い言葉が飛び出したに違いない。
「何か用ですか?」
「そこは自分の特等席なんだが。一体何をやっているんだい?」
そこ、というのは、男が身を乗り出している橋の手すりだった。
そこで死神はよく空を見上げているのだ。
「……いやね……何だかこうやってここにいるのが嫌になってですね……」
男は、ぽつぽつ語りながらふっと空を見た。
「上のほうに……帰ろうかと思いまして」
「つまり飛び降り自殺というわけか」
「まあ、そんなもんです」
「どうりで今にも死にそうな顔をしていると思った」
死神は、いつでも自分に正直な奴だ。
「とりあえず、この川は深くないから簡単には死ねないと思うが」
「ほう……それじゃあ他の所を探そうと思います」
ふらふらと歩き出した男に、しかし死神は手すりに座らずに普通についてきた。
「……まだ何か用でも……?」
「いやない。ちょっと気になったもので」
「私が気になったのですか」
「うむ」
すると男も死神に興味を持ったのか、その歩みを止めて死神に向き直った。
「何故私が気になるのですか」
「そうだな、今にもどこかからか飛び降りそうだからな」
「お名前は」
「死神だ」
「……死神が今にも死にそうな私を気に掛けるというのですか」
男はうっすらと笑ったようだった。しかし、死神はん?と首をかしげる。
「何かおかしいか?」
「死の神が人を生かそうとしているのですか?それが少しおかしくて……」
「ああ、確かにそうだな」
なるほど、と手を打った死神に、男はまた笑った。
「あなたは変な死神だ」
「よく言われる」
「そうでしょう」
「しかし自分は他の死の神とやらに会った事は無いからな。本場ものの死神とは人の命を狩るのか?」
尋ねられて、男は死神と同じように考え込んだ。
「……私も今まで死神に会った事がないものですから……」
「じゃあ今日が初死神だな」
「そうですね」
また笑う男を見て、死神はいつもと同じ表情で尋ねてきた。
「これからあなたは死ぬのか?」
「………」
男は、迷うように黙ってしまった。
死神と話すことで、少々の躊躇いが生まれたのか。
そんな様子の男を見て、死神は何か良い事が思いついたかのようににっこりと笑った。
「躊躇うぐらいなら少し死ぬのを待ってみないか?」
「え?」
「自分の生活をちょっと見せてあげよう。他の人間の生きる姿というのをね」
男は、死神の顔をまじまじと見た。
「生きているのですか?」
「ああ」
「死神であるあなたが?」
「死神が生きているのは何か可笑しいか?」
平然と言う死神にしばらくあっけに取られた男は、ゆっくりと首を横に振った。
こうやって目の前に存在する死神は、自分よりはるかに、ここで生きているのが自然の事のように思えたのだ。
「それじゃあ行こう。案内してあげるよ」
「ありがとうございます」
こうして男は、死神に連れられて一軒の二階建ての家へとやってきたのだった。
「………」
少年は、目の前の光景を見て思わず頭を押さえてしまった。
死神が新聞を読んでいるのは良い。コバが少年の椅子の上に丸まっているのも良い。
しかし、何故見知らぬ男が自分の部屋に座っているのだろう。しかもきちんと正座で。
「………」
男は、上も下も白い服を着て、それはいわゆる白装束のようだ。
そう見えるのは、男の顔が今にも死にそうに見えたからかもしれない。
「死神……」
「おかえり」
「ただいま……この今にも死にそうな人は一体誰?」
少年も結構自分に正直に生きている。
「ちょっと橋の上で拾ったんだ」
「拾うな人間を」
「何、しばらくの間飯を貰えればいいんだ。なあ」
「ええ、それだけで十分です」
どうやら死神も本人もしばらくの間居座る気満々のようである。
少年は思わず頭を抱え込んだ。
「黒いのだけでも大変なのに白いのまで増えちゃった……」
「まるでもの扱いだな」
「居候の身で言えた立場か死神」
「むう」
死神を黙らせる事に成功した少年は、男に向き直った。
「あの……お名前は」
「名前、ですか」
男は何故か考え込んでしまった。何か悪い事でも聞いてしまっただろうか。
すると、死神が横から入り込んできた。
「君が呼び名を決めてやったらどうだ。別に愛称で呼べば支障はないだろう」
「いいの?」
「ええお構いなく。どうぞ決めてやって下さい」
それじゃあ、と、少年は男を見ながら考え込んだ。男。白い。今にも死にそう。死神。
「天使?」
正確に言えば天使の逆は悪魔、のような気もするが、死神の逆が思いつかなかったので。
「天使、ですか」
「うん、天使のおじさんって事で良い?」
おじさんは致し方あるまい。実際男はおじさんなのだから。
「良いですよ」
「それじゃあそういうことで……って、あれ?」
少年は何かがおかしい事に気付いた。これじゃあこの男が家に居座るのが決定しているようではないか。
まだ少年は了解もしていないというのに。
「細かい事を気にしてるようでは君もまだまだだな」
「この場合は気にしなきゃいけない気がするんだ」
「それは気のせいだろう」
「誤魔化そうったってそうはいかないからな!」
少年が死神を指差して怒鳴ると、天使のおじさんはシュンと項垂れてしまった。
「……やはり死ぬしか……」
「え?!そ、そんな物騒な事言わないでよ!」
「さあ、君はこの今にもここから飛び降りそうな人間を突き放すのかい?」
楽しそうに言う死神を少年はキッと睨みつけるが、確かにこのままではこのおじさんは死んでしまいそうな気がする。
少年はとうとう諦める事にした。
「……まあ死神いるし、今更何が増えても同じだろう……」
「良かったな仮天使」
「ええ良かったです」
死神の呼び方に文句を言うことなく、天使のおじさんはどことなく嬉しそうに頷いた。
こうして、少年の部屋には死神と猫と、あと天使が住み付くことになった。
続く
04/1/19