天使がやってきた −別れた日−
死神が天使のおじさんを拾ってきて数日が立った。
天使のおじさんは何をする事も無く、ただ少年と死神と、あとコバの生活を毎日眺めていた。
「宿題中か」
「そうだよ、これ明後日提出しなきゃいけないんだ」
「じゃあまだ時間があるじゃないか」
「余裕を持ってやってるんだよ。明日急いでやるより今日のんびりやる方がいいじゃないか」
「そうか?」
「……死神は夏休みの宿題を8月の終わり頃にやっとやり出すタイプだな……」
死神は少年の言葉を聞いていなかったのか無視したのか、気にした様子も無く何かを取り出してきた。
「それならこれを共にやろう」
「は?……すごろく?」
そう、それはすごろくのシートだった。どこから見つけてきたのか、ちゃんとサイコロも手に持っている。
「一体どこから……」
「初すごろくだ。付き合ってくれ」
「だから、今宿題してるって言っただろ!」
「明日やれば良いじゃないか」
「死神、僕の話は全然聞いて無いだろ」
「今日のんびりやるのが良いとか言ってたな。諦めてくれ」
「そんなスッパリと……。ああもう分かった、分かったよ」
こうなると死神は意地でも邪魔してくるのを身をもって知っていた少年は、宿題を諦めて机から顔を上げた。
そして、背後で大人しく座っていた天使のおじさんを見る。
「天使のおじさんもする?」
「え?」
「すごろくは人数が多いほど盛り上がるからな。さあやろう」
「いや、でも……」
「遠慮せずに、こっちへ来い」
「断るとこの死神うるさいから、やろうよ」
「にゃあー」
「……それじゃあ……」
戸惑う天使のおじさんを無理矢理引っ張り込んでのすごろく大会は、眠そうなコバに見守られて大盛り上がりを見せた。
天使のおじさんも時々おかしそうに笑うのを、少年は特に気にもせずに見ていた。
少年は知らなかった。この天使のおじさんが、薄く笑う事はあっても声を出して笑う事がめったに無かったのを。
こうやって遊んだりしている時天使のおじさんはよく笑うので、気にも留めていなかったのだ。
そうして、また何日か過ぎたある日の事。
少年は、死神と天使のおじさんと一緒に散歩をしてきた。誘ってきたのは例によって死神だ。
すごく怪しい人たちと歩いてるよなあ……と少年はずっと思っていたのだが、不思議とこちらを気にする通行人はいなかった。
よく死神が空を見上げている橋に差し掛かると、死神が口を開いた。
「そういえば、ここで仮天使を拾ったんだったな」
「ああそうですね。懐かしいです」
「ふーん、ここで拾ったんだ……」
「自分の特等席から飛び降りようとしてた所をな」
「……それは、危機一髪だったね……」
「懐かしいです」
3人で笑いあっていると、背後からいきなり声をかけられた。
「おい、ちょっと待て……じゃなくて待ちたまえそこの君たち」
「「?」」
振り向くと、何だか変な人が立っていた。それは、例えるならば、いわゆる……天使というやつだろうか。
その天使っぽい変な人は、天使のおじさんを指差した。
「俺……じゃなくてワタシはお前に用があってはるばるここへやってきた正真正銘天使だ」
「て、天使?!」
その自称天使の変な人は、天使のおじさんを指差したまま続ける。
「ワタシはお前を迎えに来たのだ」
「え……わ、私を?」
「本当に天使なのかい?」
「んだとコラァ!じゃなくて……君、君、失礼な事を言うんじゃない」
自称するほどあまり天使っぽくない変な人を見ながら、少年は頭が痛くなる思いがした。
何故自分の周りにはこんな変な人ばっかり集まってくるんだろう。
「……ていうか、天使のおじさんを迎えに来たって……どういう事?」
「うむ。死んだわけでもあるまいし」
「いや、彼は死んでいる」
「「……は?」」
少年を死神が間抜けた声を上げると、自称天使は偉そうに胸を張った。
「霊の中には自分が死んだと気付かないままこの世に残っている者がいるんだ。彼もその1人なのだ」
「……天使のおじさんが、霊……?!」
「死にそうな顔していると思ったらもう死んでたか……」
2人が天使のおじさんを見ると、さすがに目を見開いていたがそんなに驚いた様子ではなかった。
「……そうですか……私はもう死んでいたのですね……」
「死んだ後にも死のうとするほど、追い詰められていたのかい?」
死神が尋ねると、天使のおじさんはゆっくりと頷いた。
「どうやら、そのようですね……」
「そのままだったらもちろん成仏なんて出来ないし、ワタシも迎えには来ない」
自称天使が口を開いたので、3人でそちらへと向き直った。
「お前は見事未練を断ち切ったのだ。だからワタシがわざわざこうやって来てやったのだ」
「未練を断ち切った?」
「え、あんなに死にたいって言ってたのに?」
少年が尋ねると、自称天使は仰々しく頷いてみせた。
「これは予想だが、君たちと暮らす事によって溜まっていた未練が解けていったのだろう。何が未練だったのかはワタシも知らんが」
「ほ、本当?!天使のおじさん!」
「うむ、自分の純粋で広い大きな心に触れて満たされたという事か」
「死神はちょっと黙ってろ!」
天使のおじさんは、呆然としながらも静かに微笑んだ。
「……私の未練はもう無いのですね」
「ああ、成仏が出来るということだ」
「そうですか……ありがとうございます2人とも」
天使のおじさんが頭を下げてくるので、少年も死神も慌ててお辞儀をした。
「いや、僕とか全然何もしてないし」
「いいえ、この数日間、私は笑う事が出来ました。こうやって死んだからかもしれませんが……普通に暮らしてる中であんなに笑ったのは久しぶりでした」
「………」
一体このおじさんは、死ぬ前にどんな生活をしていたのだろうか。少年は気になって仕方が無かった。
天使のおじさんは、死神へと体を向けた。
「死神さん。あなたが誘ってくれたおかげです。本当に、ありがとう……」
「照れるなあ」
「あなた方のことは成仏しても忘れません」
「……あ」
そこで少年は気付いた。この天使のおじさんとは、もう会えないのだ。こうやって霊と会うことすら、普通ならありえない事なのだから。
しかしそこで死神がさらりと言った。
「気に入ったのならまた来ればいいじゃないか」
「「は?」」
何だか偉そうな態度で立ってた自称天使までもが、思わず揃えて間抜けた声をあげる。
「自分はいつでも大歓迎だぞ。なあ?」
「え?あ、まあ、来れるなら来てもいいけどさ……」
戸惑いながらも少年が頷くと、天使のおじさんは本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。また、すごろくしましょう」
「今度は自分が勝つからな」
「今度も僕が勝つからな」
3人が笑いあっていると、自称天使が口を開いた。
「そろそろ行こうか」
「……はい」
とうとう、別れの時だ。
「またな仮天使」
「あっちでも元気でね、天使のおじさん」
「あなた達も、……今のように、笑って生きてください」
天使のおじさんは、ゆっくりと消えていった。満たされたように微笑みながら。
少年は不思議と悲しくは無かった。そう、悲しむ必要はないのだ。
また共にすごろくをする約束をしたのだから。また共に逢う日を、待てば良いのだ。
と、おじさんが消えた方を見ていると、自称天使が死神に話しかけてきた。
「またお前も随分と変わった奴だな」
「君には言われたく無いな」
「いや、どっちもどっちだから」
今度は少年、きちんとつっこむ事が出来た。
「黒服、名は?」
「死神だ」
「死の神……名前も変わっているな」
自称天使はあまり天使っぽくないニヤリ笑いをすると、さっと背を向けた。
「お前たちが死んだ時は特別に俺……ワタシが迎えに来てやろう」
「え……僕はまだいいや」
「自分は自力で天国とやらに行くさ」
「ははは、……では、サラバ」
自称天使は笑いながらスッと消えていった。まるで、今までそこにいなかったかのように、跡形も無く。
少年はしばらくその場に立ち尽くしていた。
「……何だか今までのが夢みたいな気分だ……」
すると、死神が歩き出しながら言った。
「だが、仮天使は自分達とちゃんとすごろくをしたぞ」
「……そうだね」
死神に並びながら、少年は笑った。
「死神は結局あがれなかったしなー」
「……運が悪かったんだ。もう一回すればきっと勝ったな」
「3回もしたじゃん」
「日が悪かったんだ。明日すればきっと……」
「はいはい」
少年は、死神と共に家路を歩く。
その胸の内に、天使という名の1人の男を残しながら。
04/1/22
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本当に死んでた天使のおじさん。もうちょっとだけ続きます。