トマト味の吸血鬼 −プリンのように震える決闘−
とうとうこの時が来てしまった。少年は眠い目を擦りながらそこに立っていた。
場所は、少年の家の前の道路の上。適当な場所が他に無かったからだ。
時間は……良い子はとっくの昔に夢の中にいなければならない、真夜中。
「覚悟しろ。吸血鬼のプライドにかけて俺が勝ってやる!」
「まあそれは良いんだが……何故こんな時間なんだ?」
キュウちゃんと向き合う死神もどことなく眠そうだ。まあそれも無理は無い。
熟睡していた所に、キュウちゃんが窓ガラスをバンバン叩いて起こしてきたのだ。嫌がらせかと思ったのだが……。
どうやら、例の決闘とやらを今から行うつもりらしい。
「何故って、決まっているだろう。太陽が出ていないからだ」
「全ては君の都合かキュウちゃん」
「キュウちゃん言うな!大体、場所はお前のホームグラウンドなんだから文句を言うな!」
「ホームグラウンドって……」
つっこもうかどうか少年は迷ったが、結局つっこまなかった。眠いのだ。
「それで?一体どんな決闘をするんだい?」
「ふっふっふ……それは、これだ!」
どんと出したのは、2つのジュース缶。しかもトマトジュースの。
「どっちが最上級のトマトジュースか当てるのか?」
「それもいいが違う!」
「それもいいんだ……」
「勝負はずばり、トマトジュースの早飲みだっ!」
キュウちゃんの持つトマトジュースを、死神も少年も揃ってしばらく眺めていた。
そして、同時に言い放つ。
「「卑怯だ……」」
「な……!ひ、卑怯とはなんだ!」
「だってさあ……トマトジュース早飲みってそっちが有利じゃん」
少年が指を差しながら言うと、キュウちゃんは一瞬言葉に詰まった後言い返してきた。
「ち、違う!これは公正で公平で平等な真剣勝負だぞ!お前も、トマトジュース嫌いじゃないだろ!」
「まあ、嫌いではないな」
しかし死神の顔には、ココアの方がよかったなーという気持ちがよく表れていた。
そんな事に構わず、キュウちゃんはトマトジュースを死神に手渡す。
「さあそこの少年、始まりの合図をしてくれ」
「はいはい……」
こうなる事は目に見えていたので、少年はしぶしぶ手を上げた。こうなったらもう、どうにでもなれだ。
「じゃあ準備はいい?」
「ああ、いいぞ」
「いつでも来い!」
2人がトマトジュースの蓋を開ける。あとは少年の合図を待つだけだ。
少年はそんな2人を眺めながら、緊張感のないのんびりとした……というか、とても眠そうな声で言った。
「トマトジュース早飲み、よーい……」
「「………」」
「どん!」
少年がさっと手を下げた瞬間、死神とキュウちゃんは勢いよくトマトジュースを飲み始めた。
キュウちゃんは喉を鳴らしながら実に美味そうに飲んでいる。好物だとやはり飲むスピードが違う。
対する死神は……あまり急いではいないようだ。マイペースにごくごく飲んでいる。
結果、先に飲み終わったのは……もちろん、キュウちゃんだった。
「っはー!どうだ!俺が勝ったぞ!」
「あーおめでとーう」
「うむ、トマトジュースもなかなか美味いな」
少年がやる気なさげに拍手をしている間に、死神も飲み終わっていた。その顔はどこか満足そう。
それにくらべて、キュウちゃんは何故だか悔しそうだ。
「何で本気を出さないんだ死神っ!真剣にやれ!」
「いやいや、これでも自分は本気を出していたんだぞ?君の実力に及ばなかったのさ」
「……そうなのか……?」
死神にコロッと騙されそうになるキュウちゃん。少年はやはりやる気のない瞳で2人のやりとりを見つめている。
じゃあ俺の勝ちか!とキュウちゃんが喜ぶ前に、死神が口を開いてきた。
「それじゃあ、第二回戦といこうか」
「……に、二回戦だと?!」
驚くキュウちゃんに、死神はさも当然の如く頷く。
「たった一回で勝負が決まると思うのかい?今度は自分が何の勝負かを決めよう。それで平等だろう?」
「……そ、そうか、それもそうだな」
邪悪な笑いを口元に浮かべている死神に、あっさりと騙されるキュウちゃん。それでいいのか吸血鬼。
「でも一体何の勝負をするのさ」
「ふふふ、それは……これだ」
少年の言葉に、死神は懐から何かを取り出した。それは……。
「……プリン」
「そう、プリンだ」
プッチンプリンを二個手に持つ死神は、幸せそうだった。
「今日これをこっそり食おうと思っていたが、特別に勝負に使ってやろう」
「勝負って……どっちが最上級のプリンか当てるのか?」
「死神と同じような事言ってるし!」
「いや、それもいいが残念ながらどっちも普通のプッチンプリンだ」
はい、と死神はプリンを1つ、キュウちゃんに手渡した。
「さっきと同じ、早食い勝負といこうではないか」
「あ、ああ」
「じゃあ……ふあー……準備はいい?」
少年はまた手をあげた。今度は欠伸まじりだ。死神とキュウちゃんは、それを見てプリンを構える。
「プリン早食い、よーい……」
「「………」」
「どん!」
少年がさっと手を下げる。その瞬間に、死神はぐいっと一口でプリンを飲み込んでしまった。一体どうやって飲んだんだ。
それに比べて、キュウちゃんはまずどうやって食おうか悩んでいる。
「んむぐむぐ」
「死神の勝ちー」
「何?!プリンってスプーンで食べるものじゃないのか?!」
キュウちゃんが妙に律儀な事を言っている間に、死神はプリンをごくんと飲み込んだ。
「ふふふ、自分の長年の修行によって編み出されたプリンの食べ方だ。マネなど出来ないぞ」
「そうなのか……!くそ、やられた!」
「………」
眠かったりアホらしかったりで、少年はつっこむ気力がおきない。
「これで1対1だな」
「同点か……。このまま引き分けるのも悔しい……。ということでそこの少年!」
「……はあ?」
そろそろ眠れるんじゃないだろうかと考えていた少年は、いきなりキュウちゃんに声をかけられた。
「何……?」
「お前がどんな勝負をするか決めてくれ。それで平等だろう!」
「うむ、確かに」
そんな事を言われても、少年は眠気と戦うので精一杯だ。明日は学校もあるというのに。
欠伸をしきりに噛み締める少年は、適当に答えておいた。
「勝負って……じゃんけんでいいじゃん……。運も実力のうちってよく言うし……」
「じゃんけん?!」
「じゃんけんか、それもいいな」
キュウちゃんは驚いて、死神は頷いた。死神も実はこの勝負を早く終わらせたいのかもしれない。
「ではさっそくはじめるぞ」
「えっ本当にじゃんけんなのか?真剣勝負にじゃんけんでいいのか?」
しつこいキュウちゃんを死神は面倒くさそうに眺めて、その顔のままにやりと笑った。
はっきり言って、かなりむかつく顔だ。
「まさか、じゃんけんに自信が無いからいやだって言うんじゃないだろうなキュウちゃん」
「な……!そ、そんなわけないだろう!どんな勝負でも全力で立ち向かう!」
吸血鬼ってこんなに熱血なんだろうかと少年は妙に感心している。
「後出しは無しだぞ」
「分かっている」
「よし……」
ぐっと拳を前に出す2人。その目は、真剣そのものだ。
「「最初はグー!」」
「………」
「「じゃんけんポン!」」
出されたものはグーと、パー。手を開いてきたのは……死神だった。
「ふふふ……勝った……!」
「ま、負けたっ……!死神に負けたっ……!」
ガックリとキュウちゃんが膝をつく。かなり悔しそうだ。死神にじゃんけんで負けたんだから、その気持ちは分かるが。
「さて、この勝負、自分の勝ちのようだな」
「くっ!仕方ない……真剣勝負の結果だ。俺も覚悟は出来ている」
スポーツマンシップにのっとった実に潔い奴である。
キュウちゃんはゆっくりと立ち上がり、決意を固めた瞳で死神を見据えた。
「勝負に勝ったお前を、死神だと認めてやろう!」
「いや、別にそれはいいから」
「いいのか?!」
パタパタと手を振った死神は、良い笑顔で口を開いた。
「確か君が負けたら、何でもすると約束をしたな?」
「……ああ……した、かな……」
さすがに嫌な予感でもしたのか、キュウちゃんの声には元気が無い。
「では……文句は聞かないぞ」
「………」
キュウちゃんがゴクリと唾を飲む。ついでに、何をする気なんだろうと少年もドキドキし始めた。
そしてついに、死神の口から勝者の言葉が…!
「一生家来になれ」
「「えええええ?!」」
プリンの早食いとじゃんけんの勝負に負けただけで一生家来とは何てひどい罰なんだ。
何か反論しようとしたキュウちゃんに、死神が追い討ちをかけるように眉を寄せた。
「おや、何でもすると言ったじゃないか。それなのに何か文句でもあるのかい?」
「……くっ……!」
プライド捨てればいいものを、キュウちゃんは押し黙ってしまった。
にやにや笑う死神と呆れた様子の少年に見つめられて、キュウちゃんはしばらく体を震えさせていたが、
「くそー!」
「「あ」」
耐え切れなかったのか、いきなり駆け出してしまった。それと共に、大声で叫ぶ。
「お、覚えてろよ!今度こそ勝ってやるからな!」
「またやるんだ……」
「ああ、今度肩でも叩きに来てくれ家来キュウちゃん」
「うわぁぁぁぁっ!」
よほど家来というのが嫌だったのだろう。叫びながらキュウちゃんは去っていった。
少年は、近所迷惑にならなかっただろうかと、そればかりが心配だった。
「……いっちゃったから、もう寝ようよ……」
「うむ、勝った事だし、そうするか」
目をしぱしぱさせる少年に、思いっきり伸びをした死神が頷く。
明日からは、部屋の窓に十字架やにんにくでも吊るしておこう。せめて夜の間だけでも。
「……そういえば死神、あのプリンさ」
「ん?」
「1つは僕のだったでしょ。明日のおやつ」
「………」
「買ってきてね」
「……分かった……」
いつの間にか黒から紺色になり始めた空の下、2つの影が1つの家へと戻っていった。
1人の夜の主も、朝へと変わる街の中を駆け抜け、そしてどこかへと消えていった。
その場に残ったトマトジュースの空き缶と、プリンの空きカップだけが、並んで風に吹かれていた。
04/06/12