そのぬくもりだけで、僕は安心できたんだ。
右手
「あれ、迷子か?」
いきなり隣を歩いていた友人が口を開いた。その声につられて、僕も友人が見ているほうに目を向ける。
そこには、一人で泣いている子どもがいた。
「迷子…じゃないかな?」
「だよなあ」
何となくその場から離れる事が出来なくて、僕と友人は足を止めた。
別に急ぎの用事もないし、家に帰っても死神がいるだけだから時間は大丈夫だ。
「どうする?」
「どうしようか…」
「んー…あれ?」
と、いきなり友人が子どもを見ながら声を上げた。
「どうしたの?」
「あいつ、ウチの近所のやつだった気がする」
「本当?」
「ああ、あの服を着て走り回ってるの、よく見た」
友人と僕は顔を見合わせた。全然知らない子だったらどうしようもないけど、家を知っているのなら他人事じゃないような気がする。
友人が子ども方へ歩いていったので、僕も慌ててついていった。
「よお、お前どうした?迷子か?」
そうやって友人が声をかけると、子どもはいったん泣きやんで友人の顔を見上げた。
と思ったら、また大声で泣き出してしまった。
「…おれ、何かしたか?」
子どもは多分、知らない人に声をかけられたのにびっくりしたか友人の顔が怖かったんで泣いたんだと思ったけど、僕は無難に、
「怖かったんだよ、きっと」
とだけ答えておいた。幸い、友人にはその裏に隠された言葉を悟られずにすんだ。
「しかし、困ったな…」
そういう友人と同じように、僕も困っていた。
このまま泣かれていたら何も聞けないし、何より近所迷惑にもなってしまう。
一体どうやったらこの子は泣き止むんだろう。
あ、そうだ、あれはどうだろう。
思いついた僕は、急いでカバンからシャーペンとノートを取り出した。その様子を、友人は「何だ何だ?」という顔で見てるだけ。
僕はアレをささっと書くと、子どもに見せてみた。
「ほら、コレ何だか分かる?」
子どもは嗚咽を漏らしながらノートを見た。と思ったら、見る見るうちにその顔に笑顔が広がっていた。
どうやら、成功したみたいだ。
「あーっ!パンパンマンだー!」
「ほら、ウグイスパンマンも描けるよー」
「すごーい!キナコパンナちゃんも描けるー?」
こう見えても僕は絵には自信があるのだ。…パンパンマンだけだけど。
友人も感心した顔で見ている。ちょっと得意な気分になった。
子どもを笑わせる事に成功した僕らは、早速その子を家まで送ってあげる事にした。
思ったとおり、その子のうちは友人の近所だった。
「それでねー、パンパンマンがナットウキンマンをえいってやってねー」
「うんうん」
子どもは楽しそうにパンパンマンの話をしている。友人も時々「ふーん」とか「へえ」とか相槌を打ってるから、一応話を聞いてはいるらしい。
と、そんな事をしているうちに、友人のうちの前まで来てしまった。
「君のうちはどこ?」
「こっちー!」
ここまで来たら道が分かったらしく、子どもは僕の右手をつかんで引っ張り出した。
僕は、半ば呆然として子どもに引っ張られる。
子どもの手は、ひどく温かかった。
「お兄ちゃんありがとー!」
ようやく家まで帰ることが出来た子どもは、手をブンブン振って僕を見送ってくれた。
それを見て、懐いてもらえなかった友人がちょっと悔しそうに僕に言ってくる。
「どうやら気に入られたみたいだなー…って、どした?」
しかし僕は、その言葉に返事を返すことも忘れて、右手をじっと見つめていた。
「…あの子の手、すごく温かかった…」
「あーそりゃあ子どもの手だからなあ」
「…そういえば、手をつないだのって久しぶりだった…」
「そうか…おれは、弟達とつなぐけどなー」
三人の弟妹がいる友人は、そういって僕に笑いかけてきた。
「人の手ってさ、あったかいよな」
「…うん」
僕は、まだ人のぬくもりが残っている右手を、ぎゅっと握り締めた。
その後友人と別れて、学校からより少し遠くなった自分の家へと帰る途中、
そういえば昔、僕も迷子になったことがあったな、と思い出していた。
今日の、あの子どもぐらいだったと思う。
知らない場所にたった一人というのは、当時の僕にはすごく怖くて。
さっきのあの子みたい泣いて、でも誰も来なくて。
それでどうにかして、自力で家に帰り着いた記憶がある。
それからしばらくは、その迷子になる夢ばかり見たような…。
ただあの時求めていたのは、この右手のぬくもり。
今日、僕はあの子のぬくもりになってあげられただろうか。
03/11/9