昇らない朝日など、無い。
のぼる
少年はしばしは、夜明け前に家を飛び出す。それはいつも、ふと中途半端な時間に目を覚ましてしまって、もう眠れなさそうな時だ。
親は知っているのかいないのか、ちゃんと普段目を覚ます頃には帰ってくるので何も言わない。
目的や特定の場所は無い。ふらりとどこかを歩き回ったりじっとしていたりして、朝日を見て帰る。
散歩みたいなものだ。
今日はどこへ行こう。
そういえば、死神に会わなかったな。
ぼんやりとそう考えながら、少年はただ真っ直ぐに歩いた。
雑多とした町を少し外れると、少々広い原っぱに出る。そこには何も無くて、ただ遠くに重なる山が見えるだけ。
あの山を越えれば、おじいちゃんおばあちゃんの家がある。
少年はふと、一本の木を見た。その木は二階建ての家ほどの高さで、なかなか太い幹を持っている。少年は、その木を知っていた。
小さい頃、この木に登ろうとしたのだ。
結構前の事だから、この木ももう少し小さかったのかもしれない。しかし幼い頃の少年には、その木はとても大きく見えたのだ。
結局少年は、この木に登る事が出来なかったのだが。
急に懐かしくなった少年は、その木の下へと歩いた。遠くの山は、そのふちを明るく彩り始めている。
もう一度登ってみようか。そんなことを考えながら、そっと木に手を触れた、その時、
「もうすぐ夜明けだなあ」
「ぎゃーっ!」
頭上から降ってきたものすごく聞き覚えのある声に、少年は叫び声をあげた。
最近、こいつには驚かされてばっかりだなと思いながら、少年はキッと真上を見上げた。
「何でお前がここにいるんだよ死神!」
「良いじゃないかどこにいても。この世界に存在している限り」
死神は、まったくいつもの調子でそこにいた。
手にはやっぱり鎌を担いでいて、服も全身黒。木の枝に腰掛けて、足をブラブラさせている。
足をブラブラさせるのは、クセなのかもしれない。
「君こそどうしてここへ?まだ目覚ましは鳴ってないぞ?」
「う…い、いいじゃんか、どこにいても…」
死神のマネをして言うと、死神はにっこりと笑った。
純粋そうで、人の悪い笑みだった。
「じゃあ、お互い様ってやつだな」
「ぐっ…う、うーん」
何か文句を言いたかったが、何も言い返せなくて少年は悔しそうにうつむいた。
すると、死神が相変わらず足をブラブラさせながら呼びかけてきた。
「君も暇なら、ここまで登ってこいよ」
「暇って…」
「早くしないと、間に合わないぞ」
何に間に合わないのだろう。尋ねようとしたら、先に死神が言ってきた。
「それとも、ここまで登れない?」
どこか、小バカにしたような口調だった。
おまけに、登れなくて友達にバカにされた日々の出来事が横切って、少年は自然にカチンと来ていた。
「登れるさ!」
「じゃあ、来なよ」
「行ってやるよ!」
少年は木に飛びついた。そして、我武者羅に上へと登ろうとする。
足を引っ掛けて、全身を手で支えながら体を持ち上げる。そしてまた足を引っ掛ける。
と、途中で少年は足を滑らせてズルズルと落ちてしまった。
「大丈夫かい?」
「大丈夫っ!」
死神の問いかけに元気よく答えて、少年は再び木に向かった。
少し、膝が痛い。さっき擦りむいたのだろうか。手も、ひりひりしてきた。
しかし少年は登る事をやめなかった。朝っぱらから何やってるんだろうと、頭のすみの方でチラリと思ったりした。
でも、少年にもよく分からない何かが少年を急き立てていたのだ。
早く上へ登らなければ。上へ、上へ…!
「ほら」
急に、目の前に手のひらが現れた。少年は木にしがみついて目をぱちくりさせながら、少し上を見上げた。
そこには死神が、微笑みを浮かべて少年に手を差し伸べていた。
「もうすぐだよ」
「…うん」
がくんと体が落ちそうになって、少年はあわてて死神の手をつかんだ。
その手は温かくは無かったが、冷たくも無かった。
自分と、同じぐらいの温度。
少年は死神に引っ張りあげてもらって、やっとこさ枝の上へと這い上がれた。
肩でぜいぜい息をしながら、少年は枝の上に死神と同じように腰掛けた。
「うわ…高…」
「そうだな、下で見るより少し高く感じるな」
少年の呟きに死神は頷いた。そこで少年は、さっきの死神の言葉を思い出す。
「そういえば、何が間に合わないの?」
「ん?」
「さっき、言ってたじゃないか」
「ほら、あれ」
死神に促されて、少年は前を見た。瞬間、目の前が真っ白になった。
朝日が、顔を出したのだ。
「…!」
「絶景だなあ」
声もでない少年の横で、死神がのんきな声を出す。
「ほら、苦労した甲斐があったってヤツだな」
「…うん」
「今日の、はじまりだな」
「うん…」
少年には頷く事しか出来なかった。それほど、目の前の景色に飲まれていたのだ。
死神もそれ以上は何も言わず、しばらくその場に沈黙が流れる。穏やかな沈黙だった。
ふいに、少年が口を開いた。
「…昔は、ここに登る事が出来なかったんだ…」
それは少年にとって問いかけではなく、ただの呟きだった。しかし、死神はそれに答えてきた。
「成長したわけだな」
「…成長?」
「登る事が出来るようになった。成長さ」
成長か…。
少年は口の中で呟き、そしてそれを、そっとかみ締めた。
次に口を開いたのは、死神だった。
「ところで、今何時かな?」
「え?…ああっ!」
朝日は、その体の大半を山から覗かせていた。
「は、早く帰ろう!時間になっちゃう!」
「そうだな、朝ごはんに間に合わなくては」
少年と死神は、急いで木からズルズルと下りた。そして地面に足をつけると、すぐさまダッシュで町へと走る。
少年の後ろには、ちゃんと死神が鎌を背負って付いてきている。
死神も走るんだなーと、少年はどうでも良いことを思ってみたり。
昇る朝日に照らされながら、少年と死神は走った。
明日もまた、朝日は昇る。
03/11/17