「うわーっ!もう何で早く言わないんだよ死神ーっ!」



   走れ



もうすぐ日が落ちるという初夏の夕暮れ。友人は弟や妹がドタドタと走り回る部屋の中で漫画を読んでいた。
日頃からの慣れで、どんなに周りがうるさくても友人は漫画に集中できると釘を持つ。
勉強には当てはまらない特技だが。
ストーリーがもうすぐ山場になりそうな所で、友人は何かに気づいた。


「……ん?」


暗くなり始めた外の景色。窓から見える狭い庭に、ガラスをコツコツと叩く人影が見えた。
それだけで誰だか分かった友人は、漫画をそこに置いて窓を開けた。


「何、いきなりどうした?」


そこにいたのは、少年だった。何故かやけに息が乱れている。まるで少年の家からここまで走ってきたかのようだ。
友人が顔を見せるやいなや、少年はその手をぐいぐい引っ張り出した。


「早く!行こう!」
「……は?!」
「早くってば!ほら、もたもたしてる暇なんて無いんだよ!」
「なっ何がだよ!どこに行くんだ?!」


日も暮れるこんな時間に、何だって急ぐ事があるのだろうか。
嫌な予感がした友人は、そろそろと少年の頭越しに向こう側を覗いてみた。
するとそこには、半ば予想通り鎌を担いだ黒い奴がいた。その場で足踏みなんかしていたりする。


「説明している暇は無い。早く来い友人」
「な?!本気で何なんだよ!お前ら2人で行けばいいだろ!」
「そんなもったいない!」
「何がもったいないんだよ!?あーもう意味分かんねえ!」


友人はとうとう覚悟した。ガラリと窓を全開にすると、そこにあったつっかけを履く。
そして、すでに走り出した少年と死神の後について家を飛び出したのだ。


「お前ら!母ちゃんには内緒にしとけよ!」


キョトンと友人を見送る弟と妹に叫んでおくが、でもまあ無駄だろうなあと友人はため息をついた。
ちゃんと内緒にされた日なんて、一度もないのだから。


「おいっ!ちゃんと責任とれよな!」


やけくそ気味にそうやって叫べば、楽しそうに走る死神が答えた。


「大丈夫。きっと満足できるから」
「だから!何がだよー!」


友人の心からの叫びに答えるものはいない。空はゆっくりと、しかし確実に夜へと変わっていく。
家へと帰る人たちと反対方向へ走りながら、友人は奇妙な心地がした。
本当に、これからどこへ行くというのだろう。


「ほーらもっと走れ走れ」
「今だって全力疾走だー!」
「叫びながらよく走れるなあ……」


足を緩める事無く3人は町外れまでやってきた。小さな川が目の前で流れている。


「よし、こっちだ」
「は?!そっちかよ!」


急に死神が川と林の間にある道へと走りこんだ。道とも呼べないぐらい狭い隙間だ。
下手をしたら川の中に落ちてしまいそうで、結構危険だろう。
しかし少し躊躇した後、少年も後を追って狭い道へと入り込んだ。


「おいおい……その先に何があるんだよ……」
「何だ、怖いのか?」
「怖いとかじゃなくて!あーっもういい!」


1回覚悟をしたのだから、とことんついていってやろう。
友人はもう一度気合いを入れなおして、だいぶ暗くなり始めた景色の中足を踏み出した。


「落ちないように、気をつけて歩くんだぞ」
「うわー落ちるー!」
「ぎゃー掴むな落ちるー!」


少年と友人は掴んだり掴まれたりしながら何とか進んでいく。前を歩く死神は1人でひょいひょい進んでいるようだ。
全身真っ黒なので、目を離せばこの暗がりの中見失いそうになってしまう。
うかつに離れられないので急ぐのだが、急げば急ぐほどバランスを崩してしまう。


「ほらほら、早く」


前から聞こえる楽しそうな声に友人は怒鳴り返したくなる。
この暗くなった道がまるでくっきり見えているように死神は歩いていた。
それが羨ましくて、悔しい。友人はよろけながら悪態をついた。


「ここら辺に少しでも明かりはないのかよ」
「ちょうどいい。この先にあるよ」
「はっ?」


死神が角を曲がった。友人は少年と共に暗闇の角を曲がる。
するとその光景は、突然目の前に広がった。


大量の、光の乱舞だ。


「「………!」」


友人は少年と同時に息を飲んだ。空中を舞う丸い光たちは、これまで見たことが無いほど無数に交わりあっていた。


「蛍……」


友人がため息と共に呟く。
儚い光を虚空に揺らす蛍たちは、近寄ってきたり離れていったり、まるで波が打ち寄せているかのようにさざめいている。


「蛍がたくさんいるって言ってたからどんなものかと思ってたけど……」


横であっけに取られる少年も呟く。ただ1人、満足そうに目を細める死神がゆるく照らされながら笑った。


「たまたま見つけたんだ。どうだ凄いだろう」


これが見せたかったのか。友人はようやく納得する事が出来た。
なるほど、確かにこれは……もったいない光景である。

ひらひらと目の前に降ってきた光を一つ、友人はそっと両手で捕まえてみた。
しかしすぐに離す。この中から1つでも光を取ってしまう事が、とんでもない罪のように思えたのだ。
蛍はふわふわとまた静かに仲間達の中へと帰っていった。


「蛍はこの後、どこに行くんだろう……」


少年の言葉に、誰も答えなかった。否、答えられなかった。
ただ3つの影は、さながら光の洪水の中で溺れているように、そこから動かなかった。


「走ったかいがあっただろう」


やがて少年がいたずらっ子のように笑いながら友人に話しかける。
友人が何も言えないでいると、死神がご機嫌な様子で尋ねた。


「何か文句は?」


それに友人はけっと息を吐き出して、答えた。


「ねえよっ」


少なくとも今夜は、母親に怒られてもいいかと思えた。


まるで月に立ち上るように夜の空を飛ぶ蛍は、いつまで消える事は無かった。

05/06/05




 

 

 





















蛍が書きたかった話。