死神は、初めて病院という場所へとやってきた。



   痛み



薬物の独特なにおいがたち込める廊下を、死神は物珍しそうに周りを眺めながら歩く。その前には、どこか不安そうに少年が進んでいる。
今回はもちろんコバはいない。おばあちゃんのお見舞いに来たからだ。


「で、どこに行くんだ?」
「おばあちゃんのいる部屋だよ」
「それはこっちにあるのか?」
「……多分……」


少年は落ち着かない様子で部屋を一つ一つ見ていった。お見舞いの品が入った袋を握る手には、少々力が入っている。
やがて、少年の足は1つの部屋の前で止まった。


「……あった」
「ここか」
「うん、ここ」


死神が見ている中、少年はゆっくりとドアを叩いた。そして、中から「どうぞ」という声を聞くと、すぐにドアを開けた。


「……おや、お見舞いに来てくれたのかい」
「おばあちゃん……大丈夫?」
「大丈夫だよ、もうすっかり元気になったからね」


おばあちゃんはベッドから半身を起こして少年を死神を迎えてくれた。だいぶ元気そうで、ニコニコ笑っている。
そしてそのまま、おばあちゃんは死神に目を向けた。


「……あんたが死神だね」
「うむ、その通りだ」
「本当に鎌を持ってるんだねぇ」


おばあちゃんが愉快そうに笑っている間に、少年は見舞い品をベッドの隣の机へ置いた。
綺麗な花が生けられた花瓶は、他に見舞者が来ている事の証だ。


「何を持ってきたんだい?」
「えっと……りんごが3つにバナナが2本」
「そんなに1人じゃ食べきれないよ」
「持っていけって言われたんだ」


そこで少年は、なおも心配そうにおばあちゃんを見た。


「……本当にもう大丈夫?」
「大丈夫だって言ったろう」
「どこも痛くないの?」
「痛くないよ。もうどこも痛くない」
「……そっか」


肩の力を少し抜いた少年に、おばあちゃんは話しかけた。


「早速お見舞の品を食べようかね」
「えっ?あ、うん」
「ほら、これで飲みものを買ってきておくれ。お茶でいいよ」
「分かった」


部屋を出て行きかけた少年は、あっと気がついて死神を見た。


「死神はここで待ってろよ。すぐに行ってくるから」
「ああ」


少年はゆっくりとドアを閉めて出ていった。それからしばらくした後、おばあちゃんはふうーっと長いため息を吐く。


「ああ、痛かった。ひどく痛かったよ」
「……どこか痛んでいたのか」
「ああ、ずっとね」
「それじゃあ、痛くないと嘘をついていたのか?」


死神が尋ねると、おばあちゃんは声を立てて笑った。


「そう、嘘をついていたんだよ。……ずっと、心が痛んでいたのさ」
「心?」


そうだよ、とおばあちゃんは自分の胸に手を当てる。


「あの子、ずっと心配そうな顔をしているから、痛くて、痛くて」
「……なるほど、それでか」
「本当にもう大丈夫なのにね。あんな顔をさせてしまった」
「でも、あなたは今生きている」


死神の言葉に、おばあちゃんは少し目を丸くした。そして、ふふっと微笑む。


「そうだね。……死神さん、ありがとう」
「む?」
「あんたが、私の命を延ばしてくれたんじゃないかと、思ってね」


しかし死神は、いやいやと首を振った。


「自分にはそんな力は無い。ただの死神だからな」
「それでも良いんだよ。ありがとう」
「いいのか」
「ただ、お礼が言いたかった気分だったのさ」
「そうか」


死神とおばあちゃん、2人で笑いあっていると、少年が戻ってきた。


「お茶買ってきたよ」
「ああ、ありがとうね」
「……何、何を話してたの?」


首をかしげながらの少年の問いに、死神は笑って答えた。


「いや、このご婦人はとても良い人だ、という話さ」
「え?」
「君はとても恵まれた孫というわけだ」
「そんなに褒めたって何も出ないよ」


どうやらあの短時間で仲良くなったらしい。少年は不思議に思ったが、尋ねることは何となくしなかった。


「さあ、りんごの皮を剥いてあげようかね」
「本当?」
「自分はうさぎさんで頼む」
「……うさぎさんって……」
「はいよ」


おばあちゃんは器用にうさぎを作り出していった。そのうさぎたちは、すぐに少年と死神によって消えていったのだが。


「何だか孫が1人増えた気分だよ」
「うむ、孫というものも良いものだな」
「りんごが食べられるから、だろ」


その日のおばあちゃんの病室には、しばらく3人分の笑い声があふれて、止まる事が無かったという。
そこにあるのは、何の痛みも存在しない空間だけだった。

04/03/01




 

 

 



















うさぎさんはいいです。