誰かの心なんて誰にも分からないが、それでいいと思った。
ココロ
「人間の心なんて分からねえ……」
何だか人生を悟ったようにため息を吐いているのは、20代前半の男。その足元に座っている白い小さな犬は彼の愛犬ココロ、メス。
男は先日、バイトをクビになったばかりだった。
「畜生……これからどうやって生活すりゃあいいんだよ……」
「クーン……」
ガックリとうなだれる主人を気遣うようにココロが見上げてきた。男は、そんな可愛らしいココロにガバッと抱きつく。
「ココロ!おれを慰めてくれるのはお前だけだっ!」
「キャン!」
「ああでもこのままではココロに飯を食わせてやる事も出来ない……!一体どうすれば……!」
とぼとぼ歩く男に、ココロは素直についていった。すると、急に男はガバッと顔を上げた。
「そうだ!こういう時は走るに限る!いくぞココロ!」
「キャウン?!」
男は高校時代陸上部に所属していた。ココロがいきなり走り出した男に驚いている間に、男はあっという間に見えなくなってしまった。
「キャン!キャンキャン!」
慌てて男を追いかけたココロだったが、現役時代エースだった男はもうどこにも見当たらない。
ココロは、迷犬になってしまったようだ。
「……クゥーン……」
ココロは悲しそうに項垂れながらトボトボと歩き出した。とりあえず男の行ったような気がする方向へ行こうと思ったのだ。
すると、前方に何者かが現れた。
「キャウン……?」
「ニャアーン」
それは、黒猫だった。金色の目以外は闇のように黒い、しなやかな体を持つ猫。
その黒猫が、白犬のココロをじっと見つめている。
「ニャーン」
「……クーン、クゥーン」
「ニャア」
どんな会話が交わされたのか、黒猫はクルリと身を翻してココロを促すように歩き出した。それにココロは大人しくついていく。
角を2つ3つ曲がると、そこでココロはまた何者かとバッタリ出くわした。
今度は人間で、男ではなかった。
「……あー!またあの黒猫!」
その人間は、1人の少女だった。学校のカバンを持ったまま、何故かここら近辺をウロウロしていた模様である。
少女はすぐにココロを見た。
そして、
「……っ!かっ……可愛いーっ!」
白いフワフワしたココロを、少女は思わず抱きしめていた。
「やーもう何このモコモコワンちゃん!プリティ過ぎるじゃないのー!」
「キャン!」
うりうり撫でまくってくる少女に、ココロは尻尾を振ることで答えた。
少女はしばらくココロを抱きしめた後、やっと満足したのか離してくれた。
そして、ココロの首元に目をやる。
「首輪、ついてる……なんだ飼い犬かー、残念!」
「クウーン」
「まったく、こんな可愛いワンちゃんをほったらかしにして、飼い主はどこなのかしら!」
「ニャーン」
黒猫が奥の曲がり角に向かって鳴き始めたので、少女もココロもそちらへ目を向けた。
とたんに、その角から猛スピードで1人の男が飛び出してくる。
「ココロー!どこだおれのココロー!」
「キャン!キャン!」
「ココロッ?!」
嬉しそうに駆け寄ってきたココロを、男はガバッと抱きしめた。
「ココロー!やっと見つけたぞー!ごめんな置いていったりして!」
「クーンクーン」
「あなたがこの子の飼い主?」
声をかけられて、男はやっと側に少女と黒猫が立っているのに気付いた。
「あ、ああ、そうだ」
「ダメでしょ!ワンちゃんほったらかしにしちゃ!」
ペシンといきなり頭を叩かれて、男はしばし呆然。見ず知らずの少女に頭を叩かれたのは生まれて初めてだ。
そんな男には構わずに、少女は一気にまくし立てる。
「交通事故にでもあったらどうするの!ワンちゃんが可哀相でしょ!」
「は、はい」
「もう目を離しちゃダメよ!分かった?」
「はい、分かりました……」
「よし!……あ、そうだ!今『あの方と曲がり角でバッタリ大作戦』の途中だったんだ!急がなきゃっ!」
「あ!あの……!」
すぐさま走り去ってしまった少女を見送った後、しばらく男は立ち尽くしていた。
ココロが心配そうに見上げていると、男はポツリと呟いた。
「……動物のことをあんなに考えているなんて……なんて心優しい子なんだ」
「クゥン……?」
「ココロ、おれは今どうやら恋をしたようだぞ!」
「キャン?!」
「ああっ!恋というのは何て素晴らしいんだ!何だかバイトがクビになった事なんてどうでも良く思えてきたぞ!」
「キャ、キャウン?!」
「おおおっ!燃えてきたぞーっ!こうなったら走らなければ!いくぞココロッ!」
「キャンキャン!」
今度は男に置いていかれない様にと走り出したココロは、1度振り返ってすぐに男について曲がり角の向こうに消えていった。
そしてその場に残ったのは、黒猫1匹だけ。
そこへ、1人の真っ黒の服を着た男がやってきた。
「……コバじゃないか。どうしたんだこんな所で」
「ニャアーン」
「そうか、散歩中か。自分もだ」
「ニャア」
「何で分かるかって?それはな、自分の心とコバの心が繋がっているからさ。だからお前の考えている事がすぐに分かるんだぞ」
「………」
「……嘘だ。何となくわかるような気がするだけさ。だがまあ、自分達の間はそれだけで良い。なあコバ」
「ニャー」
「さあ一緒に帰ろう。そろそろ腹が減ってきた」
「ニャアン」
黒い人間と黒い猫は、共にその場を離れていった。
コバが男とココロを引き合わせたのか、それは誰にも分からない。
真実は、コバの心の中にだけあるのだった。
04/2/4