昔々、本当に気の遠くなりそうな遠い昔に、ある1人の男がいた。
男は傍から見ればこれ以上無いほどの完璧な人間だったが、1つだけ他の人とは変わったところがあった。
男は、闇になりたかったのだ。
赤も青も黄色も緑も全て何もかも飲み込みそれでも「闇色」を保ち続ける、不変の存在を求めていたのだ。
男は闇を生み出すために魔術を学んだ。
だがいくら本を読んでも実験を繰り返しても、己が闇になることも闇を生み出す事も出来なかった。
何故なら、男の「光」がまだ生きていたからだ。
男を慕い男と共に生きていた、「彼女」という名の光が。
やがて彼女は戦争に巻き込まれ、火に焼かれてただの燃え滓となってしまった。
それが、男の最後の「光」が闇に消え去った瞬間であった。
身も心も闇と染まった男は最早人ではなかった。
そうして、とうとう男は灰となった彼女を媒体として、闇を作り出す事に成功したのだ。
闇を生み出した男の目の前に立ったのは、闇として生まれ変わった彼女だった。
闇の彼女の力を借りて、男は闇で出来た者たちをあわせて24人生み出した。
名も持たぬ彼らに、男と彼女は己たちも含めて仮の名を与える。
闇の濃さも性格もそれぞれ違う闇の者たちになぞらえた「アルファベット」。
彼女は闇の始まり "プロローグ" 「P」
男は光の終わり "エピローグ" 「E」
26の闇たちは一族となり、やがて世界を闇に染めようと動き出す。
その名は、かつて男が周りの人間に影で日向で呼ばれていた皮肉のような名前。
これが、闇の者「エキセントリック一族」の誕生である。
それから何百年も後の、そして「今」からほんの数年前のある日。
森の中に、1つの闇の塊があった。
塊といっても、闇は固体というより液体のようにドロドロと地面に流れては溶け込んでいく有様だった。
その闇の中心に、1人の闇の者はいた。ぐったりと倒れていた。
「……もうやだ」
闇の者はぽつりと呟いた。それをきっかけに、自分の体を流れる闇と同じように恨み言がつらつらと口から流れ落ちてくる。
「何でいきなり窓ガラスが割れて僕が連れ出されなきゃならないんだよ少しは外の世界に触れないと駄目だぞ引きこもりっ子めーって余計なお世話だよ大体僕だって好き好んで引きこもってる訳じゃないし見てよこの垂れ流し状態の闇闇闇これで外に出たらどうなるか分かってるのかこうなるんだよ今まさに僕のこの状態になるんだよ闇が流れて力が出ないんだよ冗談じゃないよ死ぬこれ死ぬ外眩しい死ぬ死ぬ死ねむしろ死ね光も外もあいつらも闇も僕も何もかも死んでしまえばいい」
鬱々とした救いの無い独り言は流れるまま帰ってくることは無かった。周りを流れる闇と同じように。
この闇の者の「仮」の名は「T」。どういう意味でつけられたのかは考えたくも無い(「T」談)。
「T」は生まれた頃からこんな調子だった。つまり、生まれつき体から闇が流れ落ちる体質だった。
自分の全てを構成しているといってもいい闇を操る事ができないのだ。
これは闇の者として致命的に駄目なところだと思っている。ただでさえ禁忌の術を使って生み出された半端な命だというのに。
自分のコントロールもままならない「T」が何百年もの時を乗り越えてここまで生きてこられたのは、父であり創造主である「E」の存在のおかげであった。
少しでも近くにいれば、その存在が「T」の闇を僅かであるが抑えてくれていたのだ。
それも、数年前「E」がある一族に殺されてから不安定になってきていた。その上でこれだ。
闇が流れ出すのを抑える為にずっと部屋に引きこもってた「T」がこうやって外にいるのには訳がある。
いきなり「T」の部屋の窓ガラスをぶち破ってきた闇の仲間数人によって連れ出されてしまったのだ。
その後、誰かの魔術か何かで何故か「T」だけがこんなどこかも分からない森の中に飛ばされてしまったという訳である。
常に後ろ向きでネガティブの塊である「T」が自暴自棄になっても仕方の無いことだった。
「もういい。死のう。このまま溶けて世界から僕は消えるんだ。そうすればこんなくだらない事態にはもうならないんだ」
とうとう「T」が死を決意し始めた頃、近くに人の気配を感じた。闇ではない、人だ。
「T」は重く暗い息を吐き出した。来た。とうとう来た。年貢の納め時という奴だ。
普通の人が今の「T」の姿を見ればまず間違いなく異常だと思うだろう。闇を垂れ流している人間なんてどこにもいないからだ。
人間丸腰でこんな森の奥に来る訳ないから、70%の確率で持っていた武器でやられるだろう。
残りの30%は、「T」の姿を見て逃げ出す。そうなれば元々弱っている「T」は結局1人死ぬしかない。
つまり「T」の死ぬ確率は100%だ。終わりだ。「T」は呟いた。
思えばこんな不完全なできそこないの姿で何百年生きただろう。もう十分というか生きすぎたほどだ。
死というのは楽だと「T」は思った。このまま何も力を入れる事無く倒れておけばいいのだ。
ガサガサという茂みを掻き分ける音がこちらに近づいてくる。
「T」は目を閉じた。流れる闇も降り注ぐ光も嫌なものは何もかも見えなくなった。
さようなら世界。こんにちはあの世。
ガサリというひときわ大きな音が目の前から聞こえた。近づいてきた人物は、きっと目の前に立っている。
そのまましばらく沈黙が流れた。「T」が動かずにいると、頭上から思いもかけず声が降ってきた。
「何でこんな所で寝てるの?」
思わず「T」は目を開けた。すると目の前にはやっぱり人間が立っていた。
旅をしているような姿の人間の子どもが、1人「T」の目の前にたってじっと見下ろしていたのだ。
「T」はぽかんと子どもを見上げた。闇ほどではない黒い瞳と闇色の「T」の瞳が正面からぶつかる。
「……僕が呑気にこんなうっとおしい森の中で寝てるように見えたの?」
「だって、寝てるじゃん」
「転がってるからって眠ってる訳ないだろ馬鹿じゃない見れば分かるだろヤバイだろ見るだけでヤバイだろこの闇!」
「T」が捲くし立てると、子どもは初めて周りに垂れ流されている闇に気がついたかのように目を見開いてみせた。
「新種の布団かと思った」
「馬鹿だ。僕の目の前に真正の馬鹿がいる。いっそ死んじゃいたい」
「死ぬの?何で?どこも怪我してないよ。……あ、もしかしてこの黒いのが血?」
子どもがそっと手を伸ばしてきたので、「T」はぎょっとして倒れたままズルズルと後ずさった。
中途半端に伸びた手のままキョトンとこちらを見てくる子どもに、「T」は信じられないといった視線を向ける。
今こいつ何しようとした?僕に触ろうとした?馬鹿な!
「な、なな何考えてるんだ馬鹿!正真正銘馬鹿!死んでも馬鹿!」
「バカバカ言うなー!何で駄目なんだよー」
「あんた自殺志望者!?違うだろ!?だから止めてやったんだよ馬鹿っ!」
馬鹿馬鹿言われてむくれる子どもに「T」は心の底から呆れた。
いくら「T」の闇が体から流れ落ちるとても弱い闇だとしても、闇は闇なのだ。人間にとって害がないわけが無い。
自分と同じように闇で出来た仲間でさえも、心底弱い奴だが闇に飲まれそうになったことがあるのだ。
それを人間が、しかも子どもが触れるなんて気が知れない。
と、「T」が親切に所々馬鹿馬鹿言いながら説明してやると、子どもはびっくりした顔で言った。
「それ体から流れてるの?!大丈夫?!」
「………」
せっかく忠告してやったのに子どもは説明なんて聞いてなかったような様子で「T」を心配してきた。
思わず言葉も何も出てこない。全てが面倒くさくなった。元々無気力なのだから仕方無い。
「T」がさっさと死にたいとか思っている間にも子どもはどんどんと「T」ににじり寄って来ていた。懲りない。
「どこから流れてるの?穴とか開いてる?」
「……?!ちょっだから触るなと!」
「T」が気がついたときにはもう遅かった。子どもの手は躊躇無く伸ばされて、「T」の抱えていた膝にぺたりと触れたのだ。
あーあ。「T」は目を逸らした。一回は止めたのだからこれは僕のせいじゃない。こいつのせいなんだ。
「T」が闇に飲み込まれる子どもの断末魔を目を逸らしたまま待っていると、耳に音が届いてきた。
それは別に叫び声でもなんでもなく、さっきから聞こえていた子どもの話し声だった。
「うわ、変な感触。これ血じゃないよ、よかったね。でもこれ何?やみって奴なの?やみって何?」
目を戻した「T」が見たものは、溢れる闇を普通にべたべた触りまくっている子どもだった。どこも飲み込まれてない。
……嘘。
「T」は天を振り仰いだ。闇以外で目の前が真っ暗になったことは初めてだった。
あの日僕は出会った
06/11/01