そこはとてものどかな野原だった。今までうっそうと生い茂る森の中を逃げ回ってきた疲れを癒してくれる。
はあ、と安堵のため息を吐きながらあらしは空を眺めていた。いい天気だった。心も晴れ渡るようだ。
「ねーねーウミー、味見させてー」
「いつもしているだろう?!それにお腹のすく時間でもないし!」
「あたしはいつでもお腹がすいてるわー!」
「威張る事ではないだろっていたたたた……!」
背後では狭い箱の中を暴れまわるウミとシロがいる。不老不死騒動でウミの味が恋しくなったのかシロ。
それを呆れた目で見ている華蓮だったが、案外華蓮も味見してみたいんじゃないかとあらしは思っている。
時々あのオオカミ女の目が光っているような気がするのだ。肉食だから、しょうがないのか。あらしはあえて無視している。
前方では1人ヘタクソな鼻歌を歌いながらクロがのんびりと三輪車をこぐ。ああ、平和だ。
「……お、前に誰かいるぞ」
クロが放ったその一言までは、確かに平和だったのだ。
「こんな原っぱにですか?」
「見てみろよ、あの前の岩の上に誰かいんだろ?」
「俺にはまだ粒にしか見えないんだが……」
ウミと一緒にあらしも目を凝らしてみるが、確かに岩みたいな影が見えるだけで誰かいるのか判別はつけられなかった。
シロも首をかしげているが、視力が無駄に良いクロと、野生の血が流れているらしい華蓮には見えたようだった。
華蓮は目を細めながら不機嫌そうに眉を寄せる。
「しかもどうやら、普通の人間ではなさそうですね」
「ふ、普通の人間じゃないって、じゃあその誰かって誰?!」
普通の人間じゃないという言葉にあらしが過敏に反応する。面倒ごとにはなるべく突っ込みたくないのだ。もう散々巻き込まれているのに。
まだよく見えないと華蓮が肩をすくめて見せたので、とりあえず箱はそのまま前進した。
近づくにつれて、他の者にも岩と、その上に腰掛ける人影が見え始めてきた。誰か、はどうやら複数いるようだった。
2人か、と見当をつけたあらしは、次の瞬間見えてはいけないものが見えてしまって言葉を失った。
「あっ、あれは……」
「シロさん、あの方々はあなたの知り合いとかではありませんよね?」
「えー?」
何でそんな事を尋ねられるのか分からない様子のシロも、次にはとても納得した。
声も届くだろう距離まで近づいた今、誰かたちの背中に生えたものもはっきりと見ることが出来たのだ。
それは、純白の翼であった。
「あ、こんにちはー」
こちらに気付いた1人が呑気に声をかけてきた。黒髪黒目の、もちろん背中に翼が生えている少年だった。
その後ろで不機嫌そうにこちらを見ているのは、金髪碧眼の背中に翼が生えた男だった。
つまり、どちらもいわゆる、天使だった。
「旅人さんたちですよね、お勤めご苦労様です」
「い、いやそちらこそ」
笑顔で話しかけられたのであらしが戸惑いながらも声を返す。天使が2人、こんな所で一体何をしているのか。
その時顔を覗かせたシロが、手前にいた天使の少年、の後ろの天使の男を指差してあんぐりと口をあけた。
「あーっウリエルだー!どうしてこんな所にいるのー?」
「ちっずいぶんと懐かしい顔だな、シロ」
やはり知り合いだったらしい。というか今この天使舌打ちしなかった?
4人がぽかんとしていると、シロが笑顔で紹介してくれた。
「あのねーあの人はウリエルっていう天使よー!お父さんの部下の人ー」
「これはどうもワタシの上司ピート様の愛娘シロがお世話になっています」
一応かしこまって話す天使の男、ウリエルだったが、胡坐をかいたままがんを飛ばしたままだったので全然礼を言われた気にならない。
シロの父親ピートはそれなりに位が高いらしい大天使だ。その部下がこんな態度でいいのだろうか。
するとウリエルの前に立っていた天使の少年が諌めるように振り返った。
「先輩!地上の方のしかも初対面な人たちにそんな態度じゃあ駄目ですよ!ほら立って!」
「ちなみにこの小姑みたいにうるさいのは下僕天使のユウキだ」
「ただの見習いですよ!あっすみませんユウキです。よろしくお願いします」
「よろしくー」
こちらは初対面だったらしいシロが天使の少年ユウキに笑いかける。ユウキも微笑み返した。
天使ばかりでどこか面白くない顔をした悪魔のクロが頬杖をつきながらそこに声をかける。
「ところで、何でお前らこんな所にいんだよ。何もないこんな原っぱでよー」
「ちょっと探し人がいるんです」
態度の悪いクロにもユウキが丁寧に答える。天使の探し人とは、やはり天使なのだろうか。
あらしがちらりとシロを見ると、シロも同じことを考えていたらしい。シロが困った顔をしているとウリエルが面倒くさそうに言った。
「お前じゃない、個人的にうちの上司がものすごく探しに行きたい風だったが、それぐらいだ」
「お父さんってば過保護なんだからー」
シロはため息混じりに言うが、一人娘が旅から帰ってこなかったらやはり父親として心配なのだろうとあらしは思った。
だが過保護というか親ばかなのは確かで、その被害にあったことのあるあらしは同情はしなかった。
あらしが憤怒の形相で迫ってきた父親ピートを思い出している間に、ユウキが口を開いた。
「……皆さん、僕たちのほかにここら辺で天使を見ませんでしたか?複数で行動していると思うんですけど」
「見てないな……翼を隠していないなら、多分」
「あのハゲたちが天使とは思いたくないですしね」
華蓮がそんな事を言うので想像したウミが顔色を青くしていた。追いかけられた身だから余計に嫌なのだろう。
首をかしげるユウキに、あらしがさっき戦車に追いかけられたことを説明してやった。
「それは大変でしたね……。でも戦車とハゲじゃあ違いますよね、先輩」
「あいつらがどこかに戦車を隠し持ち、いつもはカツラでハゲを隠していたのなら可能性はあるがな」
「そんな可能性嫌だなー……」
「どちらにしろ谷底から落ちて帰ってきていないのなら関係ない」
ウリエルの言葉にあらしはなるほどと納得した。天使ならば翼がある。天使だったらそれを使って飛んで舞い戻ってきただろう。
改めて、あのハゲ集団が天使ではなかった事に心の底からよかったとほっとした。
ハゲが宙を舞う姿を想像したくない。
「先輩、この辺からはもう逃げてしまったのかもしれませんね」
「面倒だな……。ユウキ、俺はここで見張ってるからお前ちょっと世界一周して探して来い」
「そんなサボり見え見えな命令には従いません!」
「でもー一体誰を探しているのー?」
旅の途中に見つけたら教えてあげるわよーとシロが言う。しかし天使2人は顔を見合わせてどこか渋っているようだった。
ものすごく怪しい態度に華蓮が眉を寄せている。それに気付いたあらしは拳銃を取り出さないかひやひやしていた。
他にはいえないようなことが天国であったのだろうか。
「……これ、あんまり他で言いふらさないでほしいんですけどね」
ようやく意を決したような表情でユウキが口を開いた。
「今天国では、ちょっと不穏な動きが起こっているんですよ」
「不穏な動き?」
「今の天国の在り方に疑問を持った一部の天使たちが、よからぬ事を企んでいるみたいでして」
「へえー」
天国でもそういったことがあるのかとあらしはどこか感心した。
たしか、地獄でも今不穏な動きがあるらしいではないか。その時、天国はどうなのだろうと心配したのだが……。
まさか実際に天国でも同じような事が起こっていたとは。
地獄で天国の事を1番心配していたシロが不安そうな顔でウリエルを見た。
「それって、大丈夫なのー?」
「心配するな、本当に一部の馬鹿共の気の迷いだ。すぐに捕まえて死ぬほど後悔させてやる」
安心させるようにウリエルは全然安心できない言葉を呟いた。
その顔には、面倒くさい事しやがって俺まで巻き込むなという気持ちがありありと浮かんでいた。
ウリエルの表情を正確に汲み取ったユウキが仕事ですからと宥める。いい上司と部下の関係だ。
「まあ知らないならいい。とっとと失せろ」
「先輩っ!すいません、旅の途中呼び止めてしまって。皆さんも気をつけてくださいね」
「ど、どうも」
偉そうなウリエルに代わってユウキが頭を下げてくるのにあらしが頭を下げ返す。
すると2人はでは、と背中の翼をはためかせた。その輝くような羽根はもちろんどちらも純白だった。
「先輩、次はどこに探しに行くんですか?」
「よしユウキ、お前は北にいけ。俺は南の暖かな地域から探していく」
「そんなサボりに最適な気候の場所に先輩1人いかせられません!ピート様に先輩がサボらないか見てるように言われてるんですから!」
「ちっ、あの親馬鹿上司め余計な事を」
「ピート様に言いつけますよ!」
なにやら言い合いながら2人の天使はすぐに空の彼方へと消えていった。それを5人はどこか呆けたように見送った。
大きな野原に5人だけが残されてから、始めに戻ってきた華蓮が皆に呼びかける。
「……それでは私たちも出発しましょう」
「天国は大丈夫かしらー……」
「大丈夫ですよシロさん。さっきの無能そうな天使さんたちがきっと収めてくれるでしょうから」
不安そうなシロと何気に酷い言葉で慰める華蓮を見ながら、あらしも言い知れぬ予感というものを感じていた。
それは決して、良い予感とは程遠いものであった。
天使と予兆
06/10/08