すぐにそれが夢だと分かった。
何故なら、以前にも同じ夢を見たことがあるからだ。
どこまでも続く、底の無い恐ろしい闇の中へと沈む夢を。
もがく事も知らないままただ体を硬くしていると、背後に気配を感じた。
そう、気配だ。決して誰もいないはずの闇の中に自分以外の気配がするのだ。
本能的に悟る。ああ、今後ろにいるのは、闇なのだ。
ひかりのなかでいきるのはどうだい
体に染み込む様な声だった。前より遥かに聞きやすい音程に、ぞっとした。
闇は、確実に己に近づいている。
言葉の意味はまるで分からなかったが、その声に、恐ろしい感情が篭っているのが分かった。
これは何だ。これは誰だ。
ああ うらやましい ああ うらめしい
後ろを振り返れば、声の主が見えるだろう。
しかし、それは出来なかった。恐怖のためだった。
背後を見て、そしてそこにいるものを見てしまえば、もう帰ってこれないような気がした。
帰る?どこへ?
ああ おまえだって
その時、肩越しにひやりとした気配を感じ取った。全身がざわりと総毛立つ。
おまえだって やみにいきていたくせに
とっさに、耳を塞ぎたくなった。
何故塞ぎたくなったのか、自分でも分からないままに。
気が付けば、そこに闇は無かった。うっすらと青色に染まる、静かな空があるだけであった。
「……また、変な夢か」
周りを起こさないようにゆっくりとあらしは起き上がった。今はもうすぐ日が昇る時間で、まだ起床時間ではない。
目はぱっちりと覚めているのに、頭の中だけはまるで今もあの夢の中にいるかのようにどろどろとして上手く働かなかった。
上半身だけ起き上がらせたまましばらくあらしはポカンと空を見ていた。
隣では、仲間達が平和な顔をして寝静まっている。
5人は昨日地獄を出発してきたところであった。ここは、そこから少し離れた森の中だ。
日が暮れる前にこの場所に陣取って、火を焚き飯を作り、色んなことを話しながら眠りに付いたのだ。
己が眠りに付いたのは、それからどれほどの時間が経った頃だったろうか。
近頃夢見の悪いあらしは起きるのが遅くなったりしていたのだが、とうとう睡眠時間まで削られてきた。
明るくなり始めた空を仰いで、大きなため息をつく。その姿を見ているものは、誰もいなかった。
5人の旅はオンボロ車と共にある。
車といっても、今にも分解しそうなボロボロの手作り木の箱に丸い車輪が4つくっついているだけの簡単なものだ。
移動を楽にするために5人で仲良く作った愛着のある箱だった。
その箱を引いているのは、どこかの町で偶然手に入れることが出来た電自動大型三輪車である。
ソーラー何とかというような機械がつけてあって(何でも太陽の光をエネルギーにするらしい)ペダルをこぐ力を助けてくれるハイテクな乗り物だ。
これのおかげで、三輪車でありながらものすごいスピードで大地を駆け抜けることが出来る。
ただしこぐには少し体力がいるので、この三輪車をこぐ役はいつのまにか、体力の余りまくっているクロのものとなっていた。
「今日はいい天気だなー、こぎながら眠っちまいそうだぜ」
「どうぞ寝てください、その瞬間あなたの頭に目覚ましという名の風穴が開きますから」
「永眠しちまうだろうが!」
己の武器である小型拳銃を取り出しながら笑う華蓮にクロが慌てて叫ぶ。彼女はこういう時大体本気の目をしているのだ。
クロが前から目を離してしまったので、箱が不安定にグラグラと揺れた。
揺れた拍子に、水分補給のために背負うひび割れたタルに押しつぶされそうになったウミが悲鳴を上げる。
「く、クロ!頼むから安全運転で……」
「えへへー揺りかごみたいで楽しいわー!」
しかし必死の抗議は、ぽかぽかの日差しにゴロゴロしていたシロの楽しそうな声に上書きされてしまった。
そうなれば、クロが調子に乗らない訳が無い。
「っしゃー!眠気なんて吹っ飛ばすぐらいスピードあげてやる!」
「や、やめろー……ぐはっ」
「きゃーウミが下敷きになっちゃったー!」
「何でこの人たちはいつもいつもテンションが高いんですかね……」
揺れの激しくなった箱の上で華蓮がため息をつく。
そして視線をちらりと隣にやると、手に持っていた拳銃を撃つ事無く、勢いよく振り下ろした。
「そして何故あなたはこんな中で転寝していられるんですか」
「ふぎゃっ!」
ゴツッといい音が鳴ると同時に、騒がしい中をうとうととしていたあらしが飛び起きた。
何が起きたか分からない顔で華蓮と目が合うと、頭を押さえながら抗議してくる。
「いっいきなり何するんだよ華蓮!こぶ!こぶになるだろ!」
「いいえちょっと手が滑って。決してこの中呑気に寝ているのに腹が立った訳ではありませんから」
「本音がちゃんと出てるよ!」
怒鳴り声も増えて、箱の中にいつも通りの騒々しさが満ちた。
通りかかった人が見れば何事かと思うだろうが、これが普段の彼らなのだ。
そして幸いにも、緑生い茂る森の中を真っ直ぐ伸びているこの道では、誰とも会ってはいなかった。
ようやく楽な体勢になることができたウミがふと森の中に視線を向けた。
何か、聞こえた気がしたのだ。
「なあ、さっき何か聞こえなかったか?」
「何が聞こえたのー?」
「大きな音だった気がするんだが……ゴゴゴっと鈍い音が」
それを聞いた華蓮が耳をすませてみた。オオカミ女の彼女は常人より耳が良い。
するとすぐに聞こえたのか、森の中を訝しげに睨みつけた。
「確かに聞こえますね。巨大なものが森の中を移動しているような音が」
「ぐ、具体的だなあ……」
「大きなものって、ゾウかしらー!」
「ゾウが森の中を走ってたら俺は怖いぞ」
思わずクロも箱をその場に止めて、森を見た。箱が止まればはっきりと分かる。地面が、揺れているのが。
巨大なものが森の中を移動しているような音が、5人の耳にも平等にはっきりと聞こえる。
しかもそれは、どんどんとこちらに近づいていた。
「お、おいおい、ちょっとやばいんじゃねえの?」
「どうも生物が移動しているような音には聞こえませんね」
「じゃあ何かの乗り物?!でもこんなに大きな音を立てる乗り物って……」
「きっととっても大きな乗り物ねー!」
「い、一体どんな乗り物なんだ……」
嫌な予感はするが、何となく動けないまま5人は音のする方を見続ける。
そしてとうとう、振動が激しくなり、音が目の前へとやってきた。
バキバキと木をなぎ倒し、緑の地面に轟音と共に茶色の後をつけ、舞い散る葉と共に目の前に現れたのは。
戦車だった。
「「うぎゃー!」」
「あっちょっと待って!落ち着いてちょっと話を聞いてくれそこの旅人さん!」
思わず逃げ出そうとした5人に声が掛けられる。それが普通のおっさんの声だったので、おそるおそる後ろを振り返った。
戦車の頭から顔を出して、困った顔でこちらを見つめるおっさんがいた。頭がちょっと禿げかけだ。
「ちょっと道に迷ってしまって、この森を抜けられる方角を教えて欲しいんだけど」
「戦車に道を教える義理はありません」
「いや戦車は関係ないんだ。こいつはただ移動に使ってるだけだから、危険はないんだよ」
人の良さそうな顔で説明するおっさん。だがその足元にはゴツくて危険な乗り物が砲台を光らせて佇んでいる。
この場から全力で逃げ出したい衝動を必死にこらえながら、あらしが震える指で道の向こうを指し示した。
「あ、あっちに進めば森から抜けられると思うんですけど」
「……ああ、こんな所に道が!いやー戦車の中からだと見えにくくてね、ありがとう旅人さん!」
笑いながら礼を言うおっさん。よかった、この調子だと何事も無くこの戦車とおさらば出来そうだ。
しかしそんな淡い希望も、自らの仲間の言葉に無残にも打ち砕かれる。
「すっげーすっげー!なんだこの乗り物!かっこいいな!」
「ほんとかっこいいー!乗ってみたーい!」
「おっそうか?君達、この戦車の良さが分かるのかい?」
いつの間にか箱から離れて戦車にへばりつくクロとシロにあらしは何かを吹き出しそうになった。
多分それは魂的な何かだったのだろうが、根性で押しとどめる。
「こっこらー!そんなあからさまに危険な物体に近づくな!思いっきり面倒な事に巻き込まれそうじゃないかー!」
「危ないとかそんな心配じゃないところがあらしさんらしいですね」
「な、なあ、あれは一体何なんだ?」
タルの影からおそるおそる戦車を見つめるウミ。人魚の世界にはあんなものは無かったのだろう。
「あれは戦車ですよ。あれに踏み潰されたら中身も何もかもペシャンコになってしまいます」
「中身?!」
「あの伸びている筒からは砲弾が発射されるそうですよ。それにぶち当たったら中身も何もかも消えてなくなるでしょうね」
「また中身か?!いちいち残酷な事は言わないでくれ!」
華蓮がウミをからかっている間に、向こうではとうとう自己紹介を始めてしまったようだ。
あろうことか、戦車の中からおっさんが何人かぞろぞろと出てきたのだ。
ずらりと並ぶおっさん、その数5人。ちょうど自分達と同じ人数だなあと思った自分をあらしは激しく後悔した。
右から何故か頭のハゲが激しくなっているおっさん達を代表して、さっきの人の良さそうなおっさんがにっこりと笑って言った。
「私達は、あるものを探して旅をしている、その名も『冒険レンジャーズ』略して『冒ズ』です」
その名前に5人揃って吹き出してしまったのは、絶対に不可抗力だと思う。
戦車と坊主と不老不死
06/06/17