「あっ!クロ兄だ!」
「本当だクロ兄だー」


ピクニックからの帰り道、いきなりちびっこ悪魔2人組みに絡まれてしまった。どうやら双子のようだ。
雰囲気から察するに、クロの知り合いらしい。柄の悪い悪魔ではないようなので、あらしはそっと息を吐いた。


「おう、デルにビルじゃねーか、元気か?」
「元気も元気!今日も魔王の城に落書きしてやったんだ!なあビル!」
「んー、今日のは大作だったねデル」
「んだよ、どうせなら魔王の奴の顔に書いちまえばよかったんだよ、お前らは相変わらず爪が甘いな!」
「何でだろう、俺、あの魔王に同情したくなってきたぞ……」


悪魔3人の会話を聞きながらどことなく遠い目でウミが言う。あらしも同じ心境であった。
こんなのばっかりの地区を治めるというのは、さぞかし骨の折れる事だろう。
クロの周りに纏わり付くちびっこ悪魔たちを眺めながら、華蓮がわざとらしくため息をついた。


「やれやれ、ガキンチョと同じ精神年齢という訳ですか」
「こらっそこのネーチャン!クロ兄を馬鹿にすんなよ!」
「そうだそうだー」
「おっお前ら……!」


すかさず華蓮に詰め寄る悪魔の双子に、クロはいたく感動した様子だった。いつも助けてくれる人がいないからだろう。


「こんなでかい図体でおれたちと対等に渡り合えるのはある意味凄い事なんだからな!」
「いつも大の大人とは思えない言動なんだぞー」
「てめえらオレを庇いたいのかけなしたいのかどっちだー!」
「後者!」
「後者ー」
「よーしよしよーく分かったちょっとそこに正座しろお前らー!」


逃げ回る双子を追い掛け回すクロ。その後姿を、仲間達は少し生暖かい目で見守っていた。
その隣ではどっちかというと感心しているような様子でキキョウが頷いている。


「ガキはガキに好かれるのね」
「ああー……確かにクロはちびっこに好かれる傾向にあるよね」
「あたしもクロ大好きー!」
「俺はからかわれるけどなちびっこに……」


肩を落として呟くウミに、あらしは何もフォローを入れてやることが出来なかった。事実だからだ。
そこへ、周りにちびっこ悪魔をまとわり付かせながらやっとクロが戻ってきた。


「おい、そういえばそろそろ出発すんだろ?」
「え!クロ兄もう行くのかよ!」
「この前帰ってきたばかりだろー」
「長居すると、クロんちに迷惑かかるからね」


宿代も食事代もいらないと言ってくれたアイの顔を思い浮かべながらあらしが頷く。
この人数でしかもシロまでいる面子なのだ、宿代はともかく食事代は大変な事になっているだろうに。
キキョウもこれは初耳だったので、意外そうに口を開いてきた。


「あら、あんたたちもう行くのね」
「キキョウさんは?」
「私はちょっと、会わなきゃいけない人がいるから、そいつの所に行ってからね」
「それでは、そろそろ帰って準備でもしましょうか」


華蓮がそう言いながらクロの家の方へと足を向ける。キキョウはそこから少し左に向き直った。


「それじゃ、私はそいつの所に行ってくるわ。ここでお別れね」
「えーもうお別れなのねー」


シロが残念そうに呟く隣では、華蓮が清々するといった顔をしていた。キキョウは特に気にしてはいない。
1つシロの頭を撫でてから、背を向けてひらひらと手を振ってみせた。


「じゃっ元気でね。あーそうそう、マスターの奴にちゃんと手紙返してやりなさいよ、あっくん」
「分かってますよ量が多いからたまに返してるんです」
「まあ、ねー。でもあいつ寂しがり屋だから、優しくしてやりなさいよ」


とばっちり食らうのはこっちなんだからーとか何とか喋りながらキキョウは去っていった。
それを見送った後、4人はあらしを見ながらそっと呟く。


「「あっくん……」」
「な、何だよ何が悪いんだよあの人が勝手にそうやって呼ぶんだよ!」


自分でも何となく恥ずかしいのか顔を赤くしてあらしが叫ぶ。これが思春期か。
と、その時、クロが何かを思い出した様子であっと声を上げた。


「そーだオレも行くところあるんだった!お前ら先に家に戻って準備しとけよ!」
「え、それはいいけど」
「どこいくのー?」
「へへっ秘密の場所だから秘密なんだ、悪いなシロ」


ごまかすように笑うと、じゃあなとさっさと駆けていってしまった。シロが不思議そうに首をかしげながらそれを見送る。
今の笑い方、クロらしくない。シロも同じように思ってるんだろうと、あらしはその背中を見つめた。
そこで口を開いたのは、忘れ去られたようにそこらへんをうろうろしていた悪魔の双子デルとビルだった。


「クロ兄あそこいくんだなー」
「気になるけどついていったら怒るもんな」
「2人とも、クロが行く所知っているのか?」


顔を見合わせて喋るデルとビルにウミが顔を向ける。振り向いてきた2人は、すぐに笑顔になった。
そう、それはとても「悪魔的な」笑顔で。


「ヘタレには教えないもんねー!」
「秘密だもんねー」
「な?!しょ、初対面でなんでヘタレだって言い切るんだ!」
「可哀想にウミ、真っ向から否定は出来ないんだ……」


ちびっこ悪魔と可哀想なウミとの応戦は、ウミが膝を抱えて塞ぎこむまでしばらく続いた。





「なーに?相変わらずの引きこもりっぷりなのねあんた」
「お前こそその放浪癖をいい加減に治したらどうだ」


無断で部屋の中に入ってきた背後の声に、後ろを振り返る事無く机に向かうその姿勢のまま男は答えた。
何かを書き記すその手を眺めて、大げさなほどのため息が漏れてくる。


「そして相変わらずつまらない男ね」
「つまらなくて結構」


声が近づいてくる。頑なに姿勢を変えずにいると、目の前に人影が出来た。これでは暗くて文字も書けない。
うんざりとした表情を隠すこともしないまま男は視線を上げた。そこにいたのは、にんまりと笑う一人の女性。
今にもそのまま旅に行けそうな格好の女性は、この部屋に無断で入ってきていい人物では決して無い。
だってここは、魔王の城なのだから。
机に向かう男、4丁目魔王は、女性を睨むように見上げながら口を開いた。


「何の用だ、『桔梗』」
「さーて、何の用だったかしら。昔馴染みのお友達に出発の挨拶に来ただけよ」


魔王の言葉は、先ほど女性が出会った旅人達に名乗った名前と少しニュアンスが違ったようだった。
しかしそれをまったく気にする事無く女性、キキョウは遠慮も無く机に寄りかかる。
取り組んでいた仕事をこれ以上進めることを放棄してペンを投げた魔王に、キキョウは静かに言った。


「……さっきね、会ったのよ」
「誰にだ?」


魔王がキキョウを見ると、彼女は窓から外を見ていた。
外に見ているのは、そこにある空か、それとも。


「昔、自ら捨てたものに」


その言葉がやけに耳に響いてきた。怪訝そうに眉を寄せた魔王は、しかし次の瞬間、納得するように目を細めた。


「なるほど……。それで、どうしたんだ」
「何もしてないわよ。するわけないじゃない」


キキョウはこちらに顔を向けない。声だけは、さっきから何も変わらなかった。
しんとした空気の中、魔王の静かな声が息を潜めるようにキキョウへ届く。


「いいのか」


そこでやっとキキョウは魔王へと振り向いてみせた。
そこにあるのは、魔王が半ば予想していた表情……笑顔が。


「何で捨てたものをわざわざまた拾うような真似しなきゃいけない訳?」


その笑顔は、声は、硬かった。まるで外からのものを何も中へ入れさせないようにするための、鉄の壁のように。
こうなったらこの女は何を言っても聞かないと知っている魔王は、視線を外しただけであった。


「それで、これから出るのか」
「結構長居しちゃったしね。寂しい?」
「心の底からほっとしている」
「んふふームカつく男ね本当」


一瞬合った視線をバチバチと燃やしてから、キキョウは踵を返した。魔王はすぐに机の上に目を戻す。
再会は、終わったのだ。


「……近頃、不穏な動きが起きてるらしいわね」


部屋を出て行く直前、こちらを見る事無くキキョウが呟くように言う。


「配下の管理ぐらいちゃんとしなさいよ」


それっきり無音となった部屋の中で、魔王が額に手を当てて、ため息と共に声を絞り出した。


「簡単に出来ていれば、今こんな苦労しているわけないだろう……」


その声を聞いているものは、やはりいなかった。





そこは、地獄とは思えないほどの明るい場所であった。
小さな白い花が身を寄せるように群れる地獄の片隅。その中央には、石が添えてあった。
何も刻まれてはいない、しかし周りの景色に溶け込みそうな白い石。
何者にも荒らされる事の無い、静かな、神聖な空間だった。

その中に人影が現れた。静かに、空気を壊さぬように、極力音を立てないように。
小さな影が彼を押し留めるかのように吹いてきて、その足は思わず止まっていた。
少し距離をあけた所から、彼は石に語りかける。


「ごめんな、ずいぶん長いこと、来てやれなかったな」


石の代わりに答えるように、白い花々が揺れ動く。
黒を身に纏った彼は、普段からは信じられないような優しい色を瞳に乗せて、小さく笑った。


「へへ、でも兄ちゃん元気で旅してんだから、我慢してくれよな。……―――『しろ』」


風が、白い花びらを巻き上げて遠い空へと飛んでいく。
それを片翼の悪魔の青年は、その場に立ち尽くしたままじっと見ていた。

何かを耐えるように、惜しむように、ただじっと、見ていた。










06/05/14