何だかひどいデジャヴを感じたのは気のせいではないだろう。
クロは頬を引きつらせて、己に突きつけられる銃身を見つめている。
ウミは突然の出来事に頭の中がフリーズしたらしく、口をあけたまま固まっている。
シロは弁当を食べている。
目の前の女性は……笑っていた。絶対零度の笑顔で。


「さあ言ってごらん、綺麗なお姉さまババアとか心にも無い事言ってすみませんでしたと、土下座しな」
「どっ土下座ぁ?!てめっ一言口滑らせたぐらいで土下座が出来るかって」


パン

クロの真横を一陣の風が吹き抜ける。女性は、笑顔のままわざとらしく首を傾げてみせた。


「ん?」
「スミマセンデシタ……」


体を震わせながら声を絞り出した彼を誰が責められよう。
そんなクロを見て、女性は仕方無さそうに手に持っていた凶器を懐にしまった。


「まあ、それで許してやるわ。私がとーっても心が広くてよかったわね、あんた」
「おおそうだなココロがヒロイキレイなオネエサマでほーんとよかったぜ」
「ク、クロ、もうよせ、今度こそ本当に体に風穴があくぞ」


今度は怒りで体を震わせるクロに、フリーズからようやく立ち直ったウミが慌てて止めに入った。
その間ずっと弁当を食べていたシロが、ようやく顔を上げて女性を見る。
そしてまるで今までの出来事が無かったかのように無邪気に笑った。


「お姉さんキレイねー!でも悪魔とかじゃないわよねー」
「んふふふ可愛い素直な子どもはお姉さん大好き。そうね、私旅人だから」
「あーっあたしもなのよー!同じねー!」
「あら、そうだったの。旅してる風には全然見えなかったわ」


女性はシロの言葉にかすかに目を見開いてみせた。無理もないだろう、この面子では。
生粋の旅人といえば、仲間5人のうち1人しかいないのだから。
と、その時。


「あっいた!見つけた!ここにいたのか!」
「おや、まだ弁当はかろうじて無事のようですね」
「おおっ!お前らやっと来たのかよ!」


駆け足でこちらに向かってきたのは、あらしと華蓮であった。ようやく追いついてきたらしい。
文句の応酬をしていた5人は、だから気付けなかった。
背後で女性が2人を、というよりどちらか1人を見て、顔をこわばらせた事に。


「ところであなた方、1人数が多い気がするのですが。誰が分裂したんですか?」
「人を微生物みたいに言うなよ!このオニババ……じゃなくてキレイなオネエサマがいんだろ!」
「キレイなオネエサマ?」


あらしと華蓮がようやく女性を見る。その時には、女性の表情に何一つ異変を見つけることが出来なかった。
しかしそれとは別な事であらしは目を丸くする。何故だか女性まで同じような顔になった。
あ、と声が漏れたのは、どちらが先だったか。


「やだー久しぶりじゃないのあんた、元気?何でこんな所にいるの?」
「うわーお久しぶりですっていうかそれ聞きたいの僕の方なんですけど、何で地獄に?」
「背小さすぎて地獄に落ちたの?」
「誰がチビで落ちるかー!そして話を聞けー!」


相手を敬う姿勢もつっこみによって一瞬にして消えてしまったあらしだったが、どうやら2人は知り合いらしい。


「僕はこの通り、悪魔の仲間がいるんでここにいるんです!で、キキョウさんは?」
「そんな深い訳があるわけないじゃない、たまたま近くに寄ったのよ」
「……あ、そう」


と、その時、シロがあらしの腕を引っ張った。目で「この人誰だ」と伝えている。
ようやく他の仲間がこちらを呆けた顔で見つめているのに気付いたあらしは、まず女性に向き直った。


「で、こっちがその仲間です」
「ふうん」
「そんでもって皆、この人はキキョウさん、えーと旅人仲間、かな」
「よろしくねー」


ひらひらと女性、キキョウは手を振ってみせる。旅人同士の交流というものもあるようだ。
一見親子ほどに歳の離れている2人だが、キキョウの砕けた態度のせいか友達、という雰囲気に近い。
とても意外だ、という気持ちを隠しもせずにウミが口を開いた。


「あらしにも旅人の友達がいたんだな」
「何勝手に1人寂しいイメージ染み付いてるんだよ僕は!ウミにだけは言われたくないやい!」
「どっどういう意味だ?!」
「それより、どうしてそのあらしさんの旅人仲間さんがお弁当を食べてるんですか?」


腕を組みながら胡散臭そうな目で華蓮がキキョウを見る。華蓮はとりあえず初対面の人にはこうやって警戒する。
大してキキョウは、ただじっと華蓮のほうを見るだけだ。
その様子に、僅かに首を傾げてみせるあらしの隣で、シロが元気よく答えた。


「えっとねー、じっと見てたら食べられたわー」
「何その説明になってない説明」
「勝手にいちゃもんつけてきやがったんだよこのババ……オネエサマがよ」


しっかり教育されてしまったクロの言葉に、全員でキキョウを見つめる。彼女にまったく悪びれた様子は無い。
それどころか、自分の分をもぐもぐしながら、1つおにぎりを持ち上げて聞いてくる。


「食べる?」
「……まあいいや、せっかくだから皆で食べよう」
「いいのかよあらし!こいつにつっこまなくて!」
「もういい無駄だから」


そういう訳で、5人は気持ちのいいぐらい一人遠慮なく食べまくるキキョウに負けないように弁当へと取り掛かった。
朝の惨状を教訓にアイが山盛りの弁当を作ってくれたおかげで、全員が食べる事ができた。帰ったらお礼を言わねばならない。
しばらく無言で全員が腹を満たしていたが、しばらくしてようやくその手を止めたキキョウが、呟くように言った。


「私もここに来るの2回目だけど、近頃物騒になったわね」
「……物騒?平和だと思うが……」


水ばっかり飲んでいるウミが辺りに目を向ける。周りに広がるのは地獄、という名に相応しくないのどかな風景だった。
しかし肉をかみ締めながらクロが苦い声を出す。


「いんや、ここら辺はいつもこんなんだけどな、他の地域は今ちょっとヤバイらしいぜ」
「ヤバイ?具体的に何がどうヤバイんですか?」
「何て言えばいいんだろうなー、柄の悪い奴らが集まってなーんかコソコソと企んでるとか言ってたな」


おにぎりを口に運びながら尋ねる華蓮に、聞いた話を一生懸命に思い出しながら答えるクロ。
基本的に柄の悪い悪魔の中にもとりわけ柄の悪い奴がいるらしい。そしてその中にクロはいないようだ。
卵焼きを食べながら、あらしは一体どんな柄の悪さなのだろうと想像してみたが、途中で怖くなってやめた。
絡まれたくないなあと思ったその時、ふとキキョウを見る。


「え、でも物騒だって何で分かったんですかキキョウさん」
「絡まれたからよ」
「わー柄の悪い悪魔よりさらに柄の悪い人たちに絡まれたのにこの人ここで無傷でお弁当食べてるー!」
「おいあらし、何気に悪魔馬鹿にすんなよ!」


無傷すぎるキキョウは、のんびりとお茶を飲みながら笑ってみせた。
その笑顔が何故怖いと思ってしまうのだろう。


「ちょっとね、別の地区で物陰でコソコソしてた奴らをちょうど見かけちゃったわけよ」
「それに関わっちゃったんですかあんた」
「少しだけ見てただけよ。で、何見てんだよっていきなり因縁つけられたの。近頃の若者は短気で嫌よねえ」
「お、俺、それと同じ光景をさっきここで見たぞ……」


ぶちのめされるのが怖いので少し控えめにウミが呟く。もちろんキキョウは聞いていなかった。


「ま、もちろんこの人生経験豊富なオネエサマが直々に説教してやったんだけど」
「折檻の間違いじゃねーのか」
「おだまり」


拳一本でクロを黙らせた後、肩をすくめてみせるキキョウ。


「それでなくてもギルドとかで噂になってるのよ、何か地獄で不穏な動きがあるってね」
「え、そうだったっけ?」
「あんた、ギルド寄ってないんでしょ」


眉を寄せるあらしにキキョウは苦笑してみせた。
と、その時口いっぱいに頬張っていた食べ物をごっくんと飲み込んだシロが口を挟んできた。


「地獄でそうならー、天国はどうなってるのかしらー」
「そうですね、天国は地獄に比べて閉鎖的ですから、外からじゃどうなってるのか分かりませんが」


華蓮が何となく空を見上げた。そう、天国は、空に浮かぶ島の上にあるのだ。
周りの地面より少し低い位置にある地獄とはまさに逆の場所にあるという訳である。
空に浮いているから、という訳ではないが、どことなく人を寄せ付けない雰囲気に包まれているのが天国だ。
いくら天使であるシロでもずっと帰っていないのだから、今どうなっているかなんて分かる訳がない。


「きっと大丈夫だよ、地獄であることが天国でもあるって決まったわけじゃないし」
「2つの間に、交流はあまり無いんだろう?」
「まーなー、今はそんなにねえけど、昔は仲悪かったみてえだしな」


ウミの問いにクロが伸びをしながら答える。仲の良いクロとシロを見ていると、本当かどうか疑わしくなる。
だが、実際に他の悪魔にも、他の天使にも会った事がある身だと、何となく仲が悪いのが分かる気がするのだ。
基本的な性格が、両方とも正反対なのだから。クロとシロが例外的に仲がいいだけなのかもしれない。


「そういうわけだから、あんたたちも気をつけなさいよ」


キキョウの言葉に、あらしは心の中でそうですねと頷いておいた。
自分達が絡まれれば、彼女のように切り抜けられない、というか脅せないからだ。
いや、1人だけいるか。脅しつけて乗り切れる人が。


「………」


ふとあらしが目を向けた先には、何故か押し黙ったままキキョウを見つめる華蓮がいた。
考え込む前に言葉が出るのがいつもの華蓮なのに、これは珍しい。何かあったのだろうか。


「華蓮、どうしたの?」
「え……ああ、すみません、何でもありませんよ。……ただ」


華蓮は、キキョウに聞こえないように声を潜めて言った。


「何だか……懐かしいような匂いがして」
「匂いって……ああオオカミだからか。でも懐かしいって、キキョウさんに会った事があるんだ?」
「いえ、初対面なはずなんですよ。だからどうしてかと思って……。それだけですよ」


気にしないで下さい、と言って華蓮は空になったお弁当箱を閉めた。気にはなったが、これ以上あらしも聞くことは出来ない。

こうして、地獄でのピクニックは、人数を1人増やしたまま静かに幕を閉じた。
周りで何かが起こりつつある予兆を、感じながら。










06/05/06