地獄は広い。それ故にいくつかの地区に分けられて、それぞれ1人の魔王が治めていた。
ここは、地獄4丁目。他の地区に比べてとりたてて事件も無い平和な地区だった。
他の地区に比べれば、だ。
大きな事件は無いが変わり者が多いせいか、小さな事件が毎日ボチボチと起こっている。
それに毎日頭を悩ませているのが、この地区の魔王であった。


「それでも近頃はまだマシだったというのに……」


机にかじりつきながら4丁目魔王は大きなため息をついた。目の前には書類が積んである。
魔王に珍しいインドア派な彼は、こういう雑務を他から押し付けられてしまうのだ。
うんざりしながら魔王は何枚かの紙を手にする。それは押し付けられた書類ではなかった。
少し前に提出された、地獄に滞在する際に必要になる名簿みたいなものだ。
それと、どこから取り寄せたのか、個人情報が書かれた書類。


「まったくうちの問題児は、一癖も二癖もある連中とつるんでる訳か……」


己の頭を悩ます1人である悪魔の青年を思い浮かべて、魔王はことさら苦い顔を作ってみせた。
それを見ている者は、1人もいなかったが。





悪魔のクロは片翼。右側の翼が無くて、左側の翼だけがある。
小さい頃、とある出来事で片方の翼を失った親友である竜人のリュウにあげてしまった。
それでなくとも極度の高所恐怖症で飛べない。

天使のシロは赤翼。ほとんどの天使が白い翼な中、何故か赤い翼で生まれてきた。
そのせいで天国でいい顔されてなかったらしいけど、今はいくらか克服したみたい。
長年翼を隠していたせいか、出してると落ち着かなくなってしまったらしい。

人魚のウミは王子。本名は「メロウ・アクリス・ラー・イルダーナ・ネレイド・エイギル」愛称がウミ。
涙が流せない「ナミダ病」を巡って王である父親としょっちゅうぶつかっていた。
今は病気も治って丸く収まったけど、本人は王位を継ぐ気は全然無いようだ。

オオカミ女の華蓮には恋人がいる。紫苑という色黒で人の良いオオカミ男だ。
悪い魔法使い鈴木に殺された紫苑の復讐のために、旅をしていた。
実は石にされていただけだった紫苑も、少し前に元の姿に戻すことができた。

そして、人間あらし。特に何も無いいたって普通の旅人。
生まれてから数年前までの記憶がごっそり無くて、記憶喪失だと思っていた。
けど実はその正体は、



「変人一族の1人に魂を入れてもらったお人形さん、ですよねー」
「ぎゃーっ!か、か、華蓮!いるならいると言って……というか覗くなよ!」


何やら難しい顔で机に向かっていたあらしは、背後から手元を覗き込んできた華蓮に大声を上げた。
さすがに森の中で育ったせいか、気配を消す事は得意らしい。まったく気付かなかった。
慌てて手元を隠すあらしに、華蓮は意地悪そうな笑みで尋ねかけた。


「今更復習ですか?まあ、確かに単純そうで複雑なパーティですけどね」
「……まあね。この前マスターに手紙送ってさ、改めて見直してみようと思って」


ちらりと今まで文字を書いていた紙に視線を落とす。あらしはその紙をぐしゃぐしゃにして、ぽいと捨てた。


「おや、良かったんですか?」
「元から捨てるつもりだったんだ。とっておこうと思ったんじゃなくて、ただ整理したかっただけだから」
「自分の部分は未完成でしたけどね」


嫌味のようにさらりと言ってのける華蓮にあらしは言葉を詰まらせた。というか絶対に嫌味だ。
普段は意識なんてしてないし、未だに実感も無いが、改めて文章にするのは、今でもちょっとためらってしまう。
自分が……かつて人形だったということは。
その事を責められている様な気がして、わざと目線を逸らして机を片付ける。


「そ、それはどうだっていいだろ!それより、何か用?」
「ああ、そうでした」


ポンと己の手を叩いてみせた華蓮は、にっこりと笑顔で言った。


「クロさんとシロさんとウミさんが5人分の昼食を持ってピクニックに先に出かけましたよ」
「だから早く言えー!」


このままではせっかくの昼食を持ち逃げされてしまうではないか。
というか今までさんざん旅をしてきたくさにピクニックとは何だピクニックとは。

慌てて走り出すあらしの後ろを、満足そうな笑顔で華蓮が追いかけた。
前に行く者が、いつ3人の行き先を尋ねてくるか予想しながら。





「お腹空いたー」
「まだ駄目だ。クロが言う気持ちのいい所とかについてからだぞ」
「むーケチー」


まとわりついてくるシロから腕を上げて弁当を守りながら、ウミは歩いていた。
前を歩いていたクロが、笑いながら振り返ってくる。


「もう少しだから我慢しろシロ!どうしようも無くなったらウミかじっとけよ」
「またお前そういう事言うとすぐにかじってくるだ……いたっいたたた!」
「あーちょっと逃げないでよー!」


非常食というレッテルが貼られているウミの腕はシロの歯型が絶えない。魚のダシが効いているのだという。

暇を持て余した3人はクロの提案でお弁当を持ってピクニックに出かけていた。
後からあらしと華蓮も来るだろう。多分大急ぎで。

普段旅をしているせいで野外でご飯を食べる事は多い。しかしピクニックはまた違うのだ。
景色を眺めながらのんびりと作られたお弁当を食べる事は、危険と隣り合わせの旅ではあまり出来ない。
何よりクロの母手作りのお弁当である。自分達で有り合わせで作ったものとは遥かに違う。

元々、少しゆっくりしようと立ち寄った地獄なのだ、ゆっくりしなければ話にならない。


「ねーねーいいところってどこー?」
「本当にもうすぐだぜ!」


腹を空かせたシロが尋ねれば、案内役のクロはぐっと親指を立ててみせた。
今3人は坂をのぼっていた。だんだんと空が近くなってくる。普通の陸より低い所にある地獄から、飛び出していく。
やがてクロが前方を指差した。


「ほらよ、あの先が目的地だ!」
「わーい!」
「この先?」


駆け出したシロにつられてウミも足を動かす。しかし何故かクロはそこで足を止めた。
かくして、2人の目の前に広がった光景とは。


「……ここは」
「すっごーい!たかーい!きれーい!地獄全部が見えるみたいねー!」


目を見開くウミの隣でシロが歓声を上げた。坂の上には、絶景が広がっていた。大きな地獄全てが見渡せるようだ。
悪魔たちが眼下で忙しそうにちょこちょこ動いているのが見える。それがまるでおもちゃのようだった。
空も近い。風が気持ちいい。確かに、いい所だ。


「どーだすげーだろ!オレの言った通りだったろ!」
「うん!すごいわねー!」
「だろ!ただオレはそこに行けねえけどな!」
「……そうだな、確かに綺麗な景色だけど、高い所だからな……」


ウミがどこか気の毒そうな目でクロを見る。極度の高所恐怖症の彼は、頂上に近づけもしないようだった。
すると、ウミから弁当をあっという間に取り上げたシロがクロの立つ場所へと戻る。


「それじゃ、さっそくお弁当食べましょー!」
「あ?上じゃなくてもいいのかよ」
「クロが行けないでしょー。景色は逃げないから、大丈夫よー!」


にっこりと笑うシロに、クロも照れくさそうに笑う。それを見て、ウミも笑った。


「よっしゃ、あらしとカレンが来ないうちに食っちまおうぜ!」
「そうねー!頑張るわー!」
「い、いや、そんな事したら刃物と銃弾が飛んでくると思うんだが」


3人は仲良く笑いながらそこに腰を下ろした。まだ来ない仲間を待つ事無くお弁当の蓋を開けながら。
きっともうすぐ来るだろう。そして文句を言いながら一緒に座ってお弁当を食べるのだ。
それが、いつもの光景だから。


手に取ったおにぎりを口に運ぼうとしたシロは、ふとその手を止めた。目の端に映るものがあったからだ。
それは、人影であった。先ほどの自分と同じように丘の上から大地を見下ろしているのは、女性だった。
歳は分からないが、多分華蓮よりは高く、アイより低い。とりあえず美人だった。風を感じるように目を瞑っている。
しかしシロがその人物を気にするのには、他の理由があった。


「あの人、悪魔じゃないわー」
「は?」


ポツリと呟いたシロに、肉にかぶりついていたクロが顔を上げる。その人には、翼がなかった。
シロやクロは例外に翼をしまっていたりするが、ここは地獄だ。大抵の悪魔達はその背中に翼を出している。
確かに悪魔以外の生き物だって住んではいるがどこか雰囲気が違った。外から来たような、雰囲気が。
2人に習って女性を見ると、水筒の水を飲んでいたウミが目を丸くした。


「いつのまにあんな傍に来てたんだ、気付かなかった……」
「あたしも食べ物に夢中だったわー。ねークロあの人知ってるー?」
「いや知らねえ奴だなあ。どっかの旅人じゃねえの?」


3人でひそひそと囁き合っていると、いきなり女性がこちらに振り向いてきた。
何か気に食わなかったのだろうかとビクついていると、スタスタと近づいてきた女性は、その場にすとんと腰を下ろす。


「何あんた達、人のほうをじろじろと見て、私は見世物じゃないよ、見世物料とるよもぐもぐ」
「喋りながら勝手に弁当食べ始めたぞ?!」
「ちょっお前待てよ!それオレが狙ってたんだぞ!」


真顔でむしゃむしゃと弁当を食べ始めた女性にウミとクロは慌てた。シロは負けじと食べ返している。
勝手に手をつけたくせに、女性は偉そうに止めようとした手をはたく。


「人の食事中に邪魔するんじゃないわよ、しつけがなってないわね」
「その言葉そっくりそのまま返すぞこの泥棒ババア!」
「んっふっふ、近頃の若者は年上に対して口の利き方もなってないみたいだわねえ」


すうと目を細めた女性は懐に手を伸ばした。何か出すつもりだ。クロはとっさに身構えた。
そんなクロの目の前に突きつけられたのは、弾をものすごい勢いで発射する恐ろしく危険な武器であった。


「こんな美人捕まえてババアなんて呼ぶクソガキは、オネエサンがお仕置きしてあげましょうか?」


銃口の横から見えるその顔は、冷たく微笑んでいた。









06/04/29