「あーっちょっとちょっとそこの子ー!」


いきなり呼び止められて、大地はびくりと飛び上がった。




   若葉マークの恐怖




背後から声を掛けられたのもあるが、大地が過剰に驚いた事には理由がある。
何故ならここは崩壊した町の中で、今までまともな人間を見たことが無かったからだ。
瓦礫と、狂ったコンビニ店員と、恐ろしい人体模型にしか会ってないのだから警戒するのも無理はない。
大地は恐る恐る振り返った。

ショートカットの元気そうなお姉さんが、こちらに駆けてくる所だった。


「あ、あんた、何?ちゃんと生きてる子?そうよね、そうと言って」
「お……お姉さんも?」


すごい勢いで捲くし立てるお姉さんにビビリながらも尋ね返す大地。
そのまともな反応に、お姉さんは感激といった様子で大地に抱きついた。
それはもう、首まで絞める勢いで。


「やったー!まともな生存者発見ー!生きてる可能性アップよ!」
「ううぐぐぐぐ……」
「あら何?魅力的なオネーサンとの出会いに感激して言葉も出ない?」
「首絞まってるんだよ、首」


色んな混乱に顔を赤くしてうめいている大地の代わりにアレスが答えてやる。そこでやっとお姉さんは大地を解放した。
真っ赤な顔の大地を見下ろして、やっちゃったーとでもいうように額を叩いてみせる。


「ごめんね嬉しくって。ボウヤ何?どこから来たの?」
「うえ、えーっと、向こうから……。お姉さんは?」
「私は元からここにいたの。家はアレ」


お姉さんが指差すのは、やっぱり瓦礫の山。
自分の事はとりあえず棚に上げて、よくぞこの中を生きていたものだと感心する。
すると考えが顔に出ていたのか、お姉さんはどこか得意げに胸を張った。あんまり大きくない。


「私はね、車に乗ってたの。そしたら赤い光が目に入って、気付けばこの有様よ」
「え、お姉さん運転できるのか?」
「これでも成人してるんだから!」


しかしこの様子では、何故お姉さんが助かったのかは本人にも分からないだろう。
案の定、お姉さんは肩をすくめてみせた。


「周りの車はみんな消えちゃったし、残った家もないしケータイ繋がらないし、もうお手上げよ」
「お姉さんはずっと1人だったのか?」
「そうよ、一晩車の中で明かしてね。ボウヤは……頼もしそうな仲間連れてるのね」


どこか皮肉げにお姉さんが言う。その目線はもちろん、隣に控える犬とヒヨコを見ている。もちろんねぐせは見ていない。
その視線が気に入らなかったのか、ダイアナがけっとつばを吐くように口を開いた。


「悪かったわね、犬とヒヨコで」
「おーい俺も入れてくれよ」
「ねぐせは黙ってなさい!」
「別に悪いって言ってるわけじゃないのよ、ごめんごめん」


そうやってダイアナを宥めるお姉さんを大地はポカンと見つめた。その様子に気が付いたお姉さんもじっと大地を見つめ返す。
そんな硬直状態がしばらく続いた。


「……」
「…………」
「………」
「……な、何で驚かないんすか?」


大地と同じように呆けていたカロンが何とか声を出す。今喋っているのは、普通の少年とねぐせと犬とヒヨコである。
大地だって、ダイアナやカロンが喋っているのを見たときは驚いたのだ。アレスは諸事情で別だったが。
お姉さんは何でもないような顔でさらりと言った。


「だって、今更何が起きたって不思議じゃないでしょ」
「……ごもっともっす」


思わず頷くカロン。
そのまま突っ立ってたお姉さんはしかし、何かをふと考え込み始めた。
じっと見つめる大地と目が合い、そこからつと上に視線を上げてみれば、そこには見事な一本のねぐせ。
お姉さんは口元に手を当てた。


「うひょー!ねぐせが喋った!」
「あっさすがにねぐせには驚いた!」
「ってか今更!」
「それよりうひょーって!」


やっと悲鳴らしき悲鳴をあげたお姉さんは、つっこみの乱舞を受けたのだった。






元からこんな性格なのか、それとも神経が麻痺しているのか、ねぐせのショックにけろりと立ち直ったお姉さん。
そんなお姉さんに大地は今付いて歩いているところだった。
せっかく出会えた(まともな)生存者仲間、これで頑張ってねさようならはあまりにも寂しい。
そこにお姉さんがこう言ってきたのだ。


「ボウヤこれからどこ行くの?私ちょっと行く所あるんだけど、乗ってく?」


車に乗せてくれるというのだ。すぐさま大地は頷いた。いい加減足も疲れている、ちょうどよかった。
その車を止めてある場所へ今向かっている所だった。


「くるま、ってどんな形っすか?飛ぶんすか?」
「飛ばないぞ」


乗り物と聞いてカロンが興味を示したらしく、大地の方でピヨピヨと質問しまくっている。
しかし大地だって乗った事はあるが自分で運転した事はないのだから詳しい事は分からない。
とりあえず、空は飛ばない。


「タイヤが4つついてて、道路を走るんだぞ」
「っへー飛ばないんだ、どのぐらいのスピードなんすか?」
「60km以上出すとおまわりさんに捕まっちゃうらしいぞ」
「意外に遅いっすね。おいらにも運転できそうっすか?」
「ヒヨ吉は無理だなー」
「無理だろヒヨコは」
「無理ね」
「皆で否定しなくてもいいじゃないっすかー!」


カロンが、元の姿だったらおいらだってと何かブツブツ呟いている間に、前を歩いていたお姉さんがくるりと振り返った。


「じゃーん!あれが私の愛車「カトリーヌ」よ」
「何?地球じゃあだ名つけるの流行ってる訳?」
「いやーそれはちょっと違うんじゃないか?」


お姉さんが自慢げに指したのは、丸っこい形をした可愛い赤い車だった。お姉さんにとても良く似合う車だ。
車の中も人形などが飾られていて華やかである。
しかし大地の視線は、車のある一点に絞られていた。


「ささ、乗った乗った。すぐに出発するわよーっ」
「どうやって乗るんすか?」
「このドア開けるんだろう。おい大地開けて……大地?」


アレスが固まる大地に気が付いて声をかける。しかしそれでも大地は動かなかった。否、動けなかったのだ。
車の前方と後方に1つずつ張られてある、あるものによって。


「あ……あ、あれは……!」
「ほら何突っ立ってるの、遠慮してないで早く乗っちゃって」


大地が引きつった声を上げているうちに、後ろのドアを開けたお姉さんが皆を押し込めるように車に乗せた。
あ、と大地が声を上げるが、無情にもドアはバタンと閉められてしまう。
お姉さんは鼻歌を歌いながら運転席へ。


「さーてと、免許証オッケー、ミラーオッケー、シートベルトオッケー、あ、ちゃんとシートベルト締めてね」
「おっお姉さん!おれ大丈夫!歩いて大丈夫だから今すぐ降ろして!」
「ちょ、どうしたのよあんた突然」


心底怯えた表情で慌てまくる大地にさすがにダイアナが声を上げる。
お姉さんはにこやかに笑いながらミラーごしに大地を覗き見た。


「だめっ子どもを一人で放っておく訳にもいかないでしょ」
「おれ大丈夫だって!ほらねぐせもポチ子もヒヨ吉もいるし!だから」
「おい本当にどうしたんだよ大地、この世の終わりみたいな顔だぞ。その通りだけど」
「な、何かこの車にあるんすか?」


大地の青ざめた顔はもはや泣きそうなほど歪んでいた。一見何とも無さそうなこの車に、一体何があるというのか。
覚悟を決めたようにぎゅっと目を閉じた大地は、こちらを不安そうに見つめる6つの瞳に話し始めた。


「お父さんから聞いた話なんだ……」
「大地君の、お父さんから……?」
「あれの、あれのついた車には絶対乗っちゃ駄目だって……!」


かわいそうなほど震える指で差された「あれ」。それは、正面のガラスについている何かのマークであった。
黄色と緑色で作られている、それだけのマーク。
怪訝そうな、それでいてしかし緊張した声でアレスが大地に尋ねる。


「あのマークは、一体何なんだ?」


答えは、お姉さんの口から放たれた。


「あ、このマークは若葉マーク、つまり初心者マークよ」
「「初心者!」」
「ひいぃー!」


大地が悲鳴を上げる。何かトラウマめいたものでもあるのだろうか。
一方お姉さんはというと、大地の反応に声を上げて笑ってみせた。


「あはははもうーちょっとボウヤ大げさすぎー!そりゃ確かにまだ1ヶ月たったばかりだけど!」
「た、たった1ヶ月?!」
「馬鹿にしないでよね。ちゃんと免許持ってるんだから。ほらこっちがアクセルで、こっちがブレーキ、ね!」


ね、といわれても大地は恐怖で返事をする事が出来ない。事情が上手く飲み込めていない宇宙人3人はポカンとしている。
4人にもっと車の知識があったら、泡を吐いていたかもしれない。アクセルとブレーキが逆だった事に。
1人ご機嫌なお姉さんは、とうとう捻られていなかった鍵に手を伸ばす。


「さっ!さっそく出発ー!」


ブルルンと音がする。同時に車が僅かに振動し始めた。エンジンがかかったのだ。
左側にあるチェンジレバーをガチャリと動かすと、お姉さんは目を輝かせてアクセルを踏んだ(今度こそ本当に)。


「いくわよー!」


ぐいっと。まるで今まで座っていた椅子を後ろに引かれたような感覚で大地が前のめりになる。
同じくダイアナも前に傾くし、カロンにいたってはすでに下へと転げ落ちていた。
慌てたようにガクンと止まる車。静まる車内。

この車は今、確実に、後ろへと発進していた。


「……、まあ、よくある事よね」


窓の外をわざとらしく眺めるお姉さんを、大地は精一杯睨みつけた。ミラー越しに、涙目で。
もちろんその視線が、お姉さんに届く事はなかったが。

06/03/07