あちこちが崩れた学校の校舎の一角に、紅蓮の炎が沸き起こった。
炎は校舎から飛び出し、火を揉み消そうとするかのように校庭を転がり回る。
それは、炎上する人体模型、サ・ターンだった。


「ぎゃあああー!燃える燃える燃えてるぅぅぅー!ついでに頭も割れてるぅぅー!」
「だ、大丈夫っすかあいつ」


その過激な光景に、校舎から恐る恐る出てきたカロンが呟く。
絶対大丈夫じゃない。人体模型の頭は、パックリと割れていた。
脳みそが出てきているわけじゃなく(すでにむき出しだ)、その中は虚空が広がっている。
当たり前だ、模型なのだから。


「大丈夫よ、あいつ見なさい」
「へ?」
「ああ、抜け出すな」


アレスとダイアナは余裕の表情で転がるサ・ターンを眺めている。
カロンと同じように青ざめていた大地は、その言葉に改めて校庭を見た。
そして、気付く。
炎によって赤々と燃える人体模型の傍に、別な光があるのを。

それは不思議な光だった。妙に丸くて、炎に寄り添うように浮かんでいる。
いや、違う。必死に今、炎から遠ざかろうとしているようだ。
寄り添っているように見えるのは、無理矢理そこから抜け出そうとしている様子だからだ。


人体模型の体がほとんど真っ黒になり、パラパラとススが落ち始めた頃、光はようやく炎から離れた。
とたんに模型はまるで吊っていた糸が切れてしまったかのように音を立ててその場に落ちる。


「ちっくしょー!覚えてろよぉ!」


お決まりの台詞を吐いたサ・ターンの声は、ススの塊から……ではなく、不思議な光から聞こえてきた。
光はそのまま、目にも留まらぬ速さで頭上へと上っていった。
あっという間に見えなくなった光を追いかけて空を見上げた大地が叫んだ。


「じょ、成仏しちゃったー!」
「ひええートドメ刺しちゃったじゃないっすかどうしようー!」
「違うって言ってるでしょ!あいつは、宇宙に逃げ帰ったの!」
「う……宇宙に?」


大地は空を仰ぎ続ける。確かに、空の向こうにあるのは宇宙だ。すると一緒に空を見ていたアレスが教えてくれた。


「あいつの本当の体は宇宙にあるから、そっちに帰ったんだ」
「そ、そっか、宇宙人だもんな」
「そういう事」


とりあえず納得する大地。改めて黒焦げの人体模型を見ていると、サ・ターンに一撃を加えた時のことを思い出した。
そうだ、サ・ターンがあんなに燃え盛ったのも、そのせいだ。炎の塊を食らったのだから。


「炎……」
「ん?どうした大地」
「炎!ねぐせ、さっき炎出した?!リコーダーしか持ってなかったのに!」


今更気付いたのかと呆れた目を向けるダイアナを抑えて、アレスは楽しそうに笑ってみせる。
その手には、半分炭となって消えてしまったリコーダーが握られたままだ。


「そうとも、あれが俺の必殺技だ!言っただろ、リコーダーがあれば出来るって」
「そ、そうかー!リコーダーすごいな!」
「リコーダーじゃなくても燃えるものだったら何でもよかったでしょ」


冷ややかなダイアナの言葉にアレスは顔を明後日にそむけて見せる。
さらに何か言われる前にまるで話題を逸らすかのように明るい声を出した。


「さーって!そろそろ大地とポジション変更といくか!」
「え?」
「元に戻るんすね!ずっとねぐせだと大地君も大変でしょ!」
「あー……そうだ、おれねぐせだった!」


カロンに言われて大地は思い出した。そうだ体はアレスに貸しているんだった。だから今自分はねぐせだったんだ。
妙になじんで、すっかり忘れていた。


「いや、結構ねぐせも快適だぞ。なあ大地」
「うーん、慣れたら楽だし、いいかも」
「ええーおいらはねぐせになんてなりたくないっすよ」
「ねぐせになんてとは何だ、失礼なやつめ」
「無駄口叩いてないで早く戻りなさいよ」


ダイアナに怒られてやっとアレスが動いた。といっても、少し立つ姿勢を正して見せただけだ。
体を交換するときもあっという間だったのだから、特に何も必要ないのだろう。
アレスは頭の上の大地に語りかけた。


「よし大地、さっきと同じように頭の中空っぽにしてみろ」
「さっきみたいにかー?」
「そうそう。そうしたらどこかにひっぱられる感じがするから、そのままでいればいい」


よく分からないが、とりあえず大地は目を閉じた。
このような動作も実際はねぐせなのだから、気持ち的に、である。

大地は何も考えないようにした。すると、どんどんと頭の中に入り込むような、妙な感覚に陥る。
次は下の方へぐいっと引っ張られる。アレスに言われたとおり、大地はそのままぎゅっと目を瞑っていた。
と、その時、


「うひゃっ!」
「せーいこーう!」


突然の衝撃に大地はひっくり返った。まるで、高いところから地面に着地したようにズシンと足が重くなったのだ。
頭上から聞こえるアレスの笑い声にはっと目を開ける大地。
空が見える。当たり前だ、仰向けに転がっているのだから。


「大地君ー大丈夫?」
「ちゃんと元に戻れたみたいじゃないの」


ヒヨコと犬が顔を覗き込んでくる。大地は目をしばたかせた。さっきと目線の位置が違う。
手がある。足がある。ねぐせがある。大地の体だった。


「……あー、ねぐせじゃない!」
「そっ、大地は大地、ねぐせは俺、元通りだ!」
「よかったー!」


ねぐせはねぐせで面白いが、やっぱり自分の体が1番いい。ねぐせだって自分の体の一部ではあるけれど。
地面から起き上がろうとした大地は、自分の手にまだ持っていたリコーダーの存在に気が付いた。


「あっ、お前ありがとなー、こんなに燃えちゃって」
「そうだそうだ、リコーダーは命の恩人だな」


黒くボロボロになってしまったリコーダーに改めて礼を言う2人。
大地がそっと手を開くと、リコーダーのそこだけが燃えずに元の綺麗な色をしていた。
そこに発見する。


「……っあ……!」
「ん?何かあったのか大地」


驚きに目を見開く大地。つられてアレスも手元を覗き込んでみる。
つるっとした表面に、音を奏でるための穴以外のでこぼこがあった。
それは、リコーダーに掘り込まれた持ち主の名前だ。
その文字もススで見難いものとなっていたが、大地にははっきりと読む事が出来た。

それは大地が、一生を共にする名前だったから。



『ほしの だいち』



これは、大地のリコーダーだったのだ。


「……お前たち、分かってて持ってきたのか?」
「あんなにたくさんのリコーダーの中からわざわざ選べるわけ無いでしょ」
「そんな余裕もなかったっすよー」


リコーダーを持ってきてくれたダイアナをカロンも首を横に振る。では、これは偶然か。
運命のような出会いに、大地は声を出す事ができなかった。


「大地のために戦いに出てきてくれたんだな」


アレスの冗談めかしたような言葉。しかしその声には、静かな確信があった。

大地は音楽は得意ではなかった。もちろん、リコーダーが上手に吹けた訳がない。
吹くどころか、友達とチャンバラごっこをして振り回していたほどだ。
それでもこれは、大地のリコーダーだった。
大事な、学校生活での仲間だった。


「……ありがとう」


さっきのありがとうよりも、もっともっと気持ちを込めて、大地は呟いた。










校庭の片隅に、大小2つの穴が出来た。1つは、命を救ってくれた勇敢な大地のリコーダーのもの。
もう1つは、とばっちりを受けて全身を隅になるまで燃やされてしまった可哀想な人体模型の分だ。


「いさむ君ごめんなー、生まれ変わったら人間になれるといいな」
「そういう問題っすか?」


合掌する大地の隣でカロンが首をかしげる。
人体模型のいさむ君は、静かに土の中へと消えていった。


「ほら、そのリコーダーも埋めなさいよ」
「うん……」


最後、名残惜しそうにぎゅっと両手で握り締め、大地はリコーダーを穴の中へと置いた。
そしてその上から、丁寧に土をかぶせる。
2つの穴は、すぐに見えなくなった。


「あーしかしとんだ目にあったなここでは」
「食べ物も見つからなかったっすね」
「あちこち崩れてるんだから、もう一度入るのは危険ね」


元々は何か役に立つものを探しに入った学校。結局は無駄な時間を過ごしてしまった訳だが、大地は無駄だとは思わなかった。
穴があった場所から立ち上がり、校庭を見上げる。
針の無い大きな時計が大地を見下ろした。


「元気でね」


ポツリと呟く。
少し崩れかけたこの校舎が、いつか自分が帰ってきたときにも、ここにそのままありますように。


「行くぞ、大地!」
「おう!」


大地はぐるりと背を向けて、校庭を出た。通学路とは反対方向へと歩き出す。
家とは逆の道だ。つまりこれから先は、大地のあまり知らない土地だ。
しかし恐れは無い。いや、少しあるけど。
3人の仲間がいるのだから、まだまだこの足は前へと進める事ができる。


再び静寂が訪れた学校は、まるで誰かを見送るようにそこに建っていた。

ずっとずっと、そこに建っていた。

06/01/21