急発進した、と思ったら急停車。
左にゆっくりと曲がる、と思わせておいて右に急カーブ。
瓦礫の上を全力で走っているんだと言い聞かせたい不自然な縦の揺れ。
大地は乗車5分後にしてすでに酔いそうであった。


「あーっやっぱり運転っていいわよね!自分が大きくなった気がするの!」


やけに楽しそうなお姉さんの声と同時にガリガリガリと嫌な音が響く。
一瞬お姉さんは静まって見せたが、すぐに笑い出した。


「初心者なんてぶつけて擦ってなんぼよきゃーははは!」
「お姉さんが壊れたー!」
「いいや大地!こいつは最初から壊れてた!」
「誰かこの女止めなさいよ!」
「おいらさっきから転げてるから無理っすー」


後部座席で悲鳴を上げていると、車はまたもや急停止した。
大地がくらくらする頭を抑えてうめいていると、お姉さんが振り返ってくる。


「壊れてるなんて失礼ね。私はちゃーんとまともなんだから」


その顔はごく普通の表情をしていた。車に乗る前のお姉さんだ。
とてもさっきまで車という名の凶器を振り回して、いや乗り回していた人物とは思えない。
複雑な顔で見つめてくる大地に、お姉さんはあっけらかんと言う。


「ただハンドル握るといつもトランスするだけ」
「運転しないでー!」
「誰よこんなのに免許与えたのは!」
「馬鹿にしないでよ!」


悲鳴を上げる大地たちにお姉さんは胸を張った。やっぱり大きくない。


「確かに何回も仮免落っことして教習の先生に私を早く開放してくれって泣きつかれたけど」
「仮免ですでに?!」
「可哀想に先生、そのストレスでさぞかし毛の方が抜けただろうな」
「ハゲって決まった訳じゃないでしょ」


教習の先生とやらに軽く同情する。しかしお姉さんは少しだけ考え込んで、さらに言った。


「で、卒業試験、免許センターの筆記問題何十回落としたかしら」
「基準が2桁?!」
「とうとう、私の頑張りを認めてもらったこの前、免許を手に入れたって訳よ!」


嬉しそうに免許証を掲げてみせるお姉さん。対照的に大地はずるずるとシートの上を滑り落ちた。
つまり、このお姉さんはとうとう見放されたのだろう。
もう好きにするがいいと世に放たれてしまったのだ、この危険人物は!


「む、無責任だー」
「おっ大地無責任って言葉をよく正しく使えたな、偉いぞー」
「褒めてる場合?私達今からあの女に殺されるのよ」
「そっそれ決定してるんすか?僅かな望みもなし?」
「大ー丈夫大丈夫!私を信じて!」
「「信じていられるかっ!」」


渾身の叫びはお姉さんに届く事はなかった。
暴走車はまた走り出す。どこまでも。
少なくとも、お姉さんの目的地とやらまでは。





ぐちゃぐちゃになったあたりの景色が少し変わり始めた頃、大地にとって少し見覚えのある場所に着いた。
遠出をするときに、必ず通る場所。


「高速道路だ……」
「そうそう。ちなみにここはインターチェンジ。普通の道路って瓦礫とかゴロゴロ転がってて走りにくいでしょ?」


お姉さんは上下にがっくんと頭が揺れるほどブレーキを踏んで車を止めた。そして窓を開けて、手を伸ばしてみせる。
しかしその手に掴むべき券は少しここからでは届かない。
お姉さんは無言で車が動かないようにチェンジレバーを操作して、無言で車を降りた。
そして壊れているのだろうか、ピーとかガーとか言いながら震えてる機械から無言で券をひったくると、無言で戻ってきた。
座席に座ると同時に、ちいっと大きな舌打ちをしてみせる。


「ど、どうしたんすか?」
「券が一発で取れなかった時はすごく悔しいってお父さんが言ってたぞ」
「みみっちいわねえ」
「うーるさいわねっ!成功した事がないからちょっとだけ悔しいだけよ!」


お姉さんを煽るのは間違っていた。悔しそうに叫んだお姉さんは、思いっきりアクセルを踏んでしまったのだ。


「ぎゃあああ!」
「ひええええ!」
「おほほほー!高速は飛ばし放題キャッホー!」
「誰かこの馬鹿いい加減に止めなさいよー!」
「姐さんが止めてくださいよー!」


ぐらぐらと不安定に揺れながら、赤い車はものすごい勢いで高速道路へと突進していった。
道路はどこも崩れる事無く、まっすぐに続いていた。もちろん、他の車は誰も走ってはいない。
静か過ぎる直線の道を暴走車が進む。


「行きなさいカトリーヌ!あんたを止めるものはいやしないんだから!」
「止ーめーてー……」
「絶対に聞こえてないぞ、大地」


いい加減に目がうつろになってきた大地は、ふと窓ガラス越しに外を見た。
地面よりも少しばかり高くなった高速道路からは、町の様子が見下ろす事ができた。
ふらふら揺れる車の中から見える、生まれた町。今まで生きてきた町。
遠くなる。

見えなくなる。


「………」


大地は目が離せなくなった。
これはドライブではない。ちょっと遠出のおでかけなんかではない。
帰ってこれるか分からない、先の見えない旅なのだ。
これが、永遠の別れかもしれない。

遠ざかる町並みを見て、改めて大地は自分の目の前にある道の長さを思い知った。


「大地」


声が聞こえた。こうやって大地が考えていると、かならずアレスの声が頭の上から降ってくる。
それは決して責める訳でもなく、同情している訳でもなく、ただ寄り添うような声だった。
隣にそっと寄り添って、大地が少しふらつけばそれを少しだけ支えてくれるような、そんな声だった。
支えてくれるけれど、大地が体重をかければあっけなく倒れそうな、大地が自分の足で立つ事を望むような、そんな声。


「よく見て、覚えておけよ。覚えておけば、頭の中にあるこの町に、お前はいつだって帰ってこれるんだから」
「……うん」


ガクンと車が揺れる。それでも大地は体を、瞳を動かさなかった。
まるで焼き付けるかのように、ただじっと、町の方を見つめて。

町はやがて、震える景色と共に、見えなくなった。





赤い車カトリーヌは、しばらく高速道路を進むとパーキングエリアに到着した。
分岐する道路へとお姉さんは信じられないスピードで進入し、地面に引いてある白線なんてものともせずに車を駐車してみせた。
そこに止まっている車も歩く人も誰もいなくてよかったとお姉さん以外の誰もが思った。


「ずっと運転ばっかりしてると疲れちゃうから、ここでちょっと休憩よ」
「た、助かったっすよー」


先に車から下りたお姉さんに後部ドアを開けてもらうと、まずカロンがフラフラになりながら転がり落ちた。
その後に、カロンとは対照的に毅然とした表情でダイアナが続いて出てくる。
それを眺めてから、お姉さんは車の中を覗き込んだ。


「ボウヤ?早く出てきなさいよ」


お姉さんに声を掛けられて、大地はハッと気が付いた。今までずっと窓の外を見ていたのだ。


「ご、ごめんなさい」
「何?そんなに私の運転が気に入ったの?」
「大地!早く出るんだ!この悪魔の車から、出来る限り早く!」
「おう!分かってる!」


大地は全速力で車を下りて、車から遠ざかるために駆け出した。すねるようにお姉さんは唇を尖らせてみせる。


「何よー。あいつと同じような反応しなくたっていいじゃないの」
「あいつ、って誰っすか?」


足元で逃げ遅れたカロンがお姉さんを見上げる。それをひょいと摘み上げながら、お姉さんは笑顔で言った。


「コ・イ・ビ・ト」
「お姉さん恋人がいるのかー!」
「こらそこ!心底意外だーって声を出さない!」


目を丸くした大地にお姉さんはひょいとカロンを投げた。大地はわあと声を上げてギリギリカロンを受け止める。
それを見ることも無く、ダイアナが少々意地の悪い笑顔でお姉さんに言った。


「ふーん?つまり、あんたは今からその恋人の所に行くわけね」
「悪い?遠距離恋愛中だったの。私の所はあんなになっちゃったけど、あいつの所まであんな風になってるとは限らないでしょ?」


お姉さんはまっすぐに前を見た。今から進む道、恋人がいるはずの方向だ。
その瞳の中の光を見て、大地はああと納得した。すると勝手に声が出ていた。


「お姉さんも、「戦い」に行くんだな」
「……え?」
「おれも、みんなと行く所だぞ!」


そしてその「戦い」は、もう始まっている。
大地の真っ直ぐな視線を受けて、お姉さんは笑った。


「それじゃ、私達は「戦友」ね」


気前のいいお姉さんが戦友にジュースをおごっちゃうぞ!と叫んでから、お姉さんは自動販売機に歩き出した。
その後を、大地が慌ててついていく。その顔に笑顔をのせて。

06/05/22