悲鳴は伸びる。伸びる伸びる伸びる。
まるで永遠に続くかのようなカロンの長い悲鳴の中、いつもと変わらぬ調子のダイアナが振り返った。
「なによ、いさむ君って」
「………え?」
どうやらずっと固まっていたらしい大地はその普通の声にようやく動き出す事ができた。
ただ、声は震えている。
「い、いさむ君は、あ、あれ」
「それは分かってるのよ!」
「何だ?お前のクラスメートか?」
「ちっ違うよお!だってあれ、人体模型だもん!」
大地が力いっぱいに指差すもの。それが、半分だけ覗かせていた体をゆっくりとこちらへ移動させた。
それに大地は引きつりカロンは変わらず悲鳴を上げるが、おかげで全体を見る事が出来た。
むき出しの脳みそ。見える筋肉の筋。丸い眼球。白い歯。
頭のてっぺんから足のつま先まで人間の皮を剥いだ姿をしている。
ただし、体半分だけ。
学校の生徒から恐れられていた、見てるだけで怖い人体模型の「いさむ君」がそこにあった。
「な、何だ人体模型だったんすかー……って動いてるしぃぃぃー!」
「さっきからうるさいわよあんた!」
前足でちょんとこづかれ、ようやくカロンが悲鳴を飲み込んだ。
「な、何でいさむ君が動いてるの?」
「大地」
震える大地に、アレスがゆっくりと話しかける。
「あれはな……学校で死んだユーレイたちが皆で乗り移って動いているんだ。今までの恨みを晴らすために……」
「ひええー!じょっ成仏しろおー!」
「嘘教えんじゃないわよ嘘を!」
ダイアナはすぐに嘘を見破ったらしい。何故すぐに分かったのだろう。
するとアレスは、笑いながらカロンに話しかけた。
「おいカロン、落ち着いてよく見てみろよ」
「へ……へ?」
「そいつはお前と、同類だ」
カロンと一緒に大地の目が点になる。
つまり、どういう事?
ヒヨコのカロンと人体模型のいさむ君が同類って、どういう意味?
カロンには分かったらしい。ピイと鳴いて驚きに飛び上がった。
その間に人体模型はゆっくりとこちらに体を向け……にやりと笑って、そして、
「よぉよぉよぉ!こーんなところで宇宙仲間に会えるとは思ってなかったぜーぃ!」
ものすごく気さくに話しかけてきた。
恐ろしい顔とのギャップに大地の頭が真っ白になっている間に、その上のアレスが会話をする。
「お前もハンターか?」
「こんな所に来るのはハンターぐらいじゃん?もちろんだぜぃ!」
「また何でそんなもんにとり付いちゃってるんだよ」
「お前には言われたくねぇ!」
やはり誰から見てもねぐせにとり付くのは不可思議らしい。
と、そこで大地の頭がようやく回り始めた。
軽くしゃべり続ける人体模型を見つめて、はっと納得したのだ。
「そ、そうかー!いさむ君も宇宙人だったのかー!」
「うを!」
大地の大声にびくりと傾く人体模型。
しかしひるんだ一瞬後、体勢を立て直して、ビシッと指を差してきた。
「オレはいさむなどではなーい!宇宙最強の男、サ・ターン様だぁ!」
「いさむ君もねぐせたちのお友達なのか?」
「って聞いてねぇー!」
大地のあまりの無視っぷりに人体模型にとり付いた宇宙人「サ・ターン」が慄く。
しかし大地は別に無視したわけではない。自分の好きな呼び方で言いたかっただけなのだ。
「だから同じでしょ結局!それと別にあんなやつ知り合いでも何でもないわよ」
「そうなの?」
「名前も聞いた事無いしなあ。サ・ターン、サ・ターン……」
「おのれ、宇宙全土に轟くオレのこの名前を知らねぇたぁ失礼な奴らだぜぃ!」
1人でブツブツ文句を垂れていたサ・ターンは、人体模型の体をぎしぎしと動かした。
まるでその動きは、準備運動のようだった。
それはまさに当たりで、あの不気味な顔が笑いの形にゆがむ。
「お前らここにいるって事はやっぱりあの赤い彗星狙いなんだろ!」
「あーまあな」
「てことはライバルだな!よーしよーしそうと決まったら後は単純だぜぃ!」
サ・ターンは身をかがめた。ギシッと一際強く音が鳴る。
その体の内から今まさに何かを取り出しているように見えて、大地は我知らず後ずさった。
足元でカロンがブルブル震えている。ダイアナが舌打ちした。アレスは……。
「大地!しゃがめ!」
「っ!」
鋭い声に、体はとっさに反応した。
頭で考える前に大地は思いっきりその場にしゃがみこむ。
ヒュッと。
風の塊が頭上を掠っていったのを感じた。
しかしその風があまりにも鋭く思った大地はそろりと振り返った。
瞬間。
ドォン!!
廊下のずっと向こう側が、大破した。激しい土煙が遠くに見える。
もちろん、ただの風がぶち当たった位で壁が壊れる訳が無い。
あれが当たっていたら、とふと考えて、思わず大地は両腕を抱きしめた。
「おーっ避けたか!なかなか見所あるじゃん!」
楽しそうな声。サ・ターンだ。愉快そうに笑いながら人体模型がそこに立っている。
キシキシと音を立てながら動くその両腕には、奇妙なわっかがついてた。さっきは無かったものだ。
腕に直接触れる事無く、しかしちゃんと手首付近で空中に漂っている。
大地にはそれが、土星のあのわっかを思い出させた。
「な、何するんだよー!」
「ライバルは早めに潰しておくんだよぉ!」
「うわあっ!」
叫ぶ大地にサ・ターンは腕を振るった。
わっかから何かが飛び出す前に、大地は横から何かに押しつぶされて背中から倒れる。
頭を打って少し痛い。
どついてきたのはダイアナだった。再び、ドォンという騒音が背後から届く。
「モタモタしてると死ぬわよ!」
「し、死ぬう?!」
「次!次また来るっすよー!」
いきなり死ぬの一言を目の前に突きつけられて再び頭の中を白くする大地。
その空っぽの中にカロンの悲鳴が響いた。
見れば、サ・ターンが笑いながら腕を振り上げているところだ。
わっかがブゥンと煌く。さっきからのあの風は、どうやらあのわっかから飛び出しているようだ。
「な、何あれっ!」
「あいつの力なんだろうなー」
「ほらほら呑気な事言ってないで走りなさい!」
「ひえええー!」
ダイアナに急き立てられて、大地は走り出した。
もちろん、サ・ターンから遠ざかるために、くるりと向きを変えて。
横にダイアナが、そのしっぽに必死にしがみつくカロンがついてくる。
「ほほーっ!敵前逃亡たぁいい度胸だなぁ!」
サ・ターンの声。
来る、と大地は思った。そこで、左手に見えた階段の方へ慌てて駆け込む。
一段目に足をかけたとき、廊下を真っ直ぐ一陣の風が通り抜けた。
あのまま真っ直ぐ走っていたら、首と体がお別れするところだっただろう。首筋がひやりとする。
「うっうわああーん!どうするのこれー!」
「このままじゃまずいっすよ刺身っすよー!」
大地とカロンが悲鳴を上げる。
階段を上がる途中で後ろからサ・ターンが追いついてきているのが見えた。
大地は必死になって足を動かすが、このまま上へのぼっていってもやがて逃げ道はなくなるだろう。
空中に逃げ場など無いのだから。
2階に到達したとき、アレスが声を上げた。
「おいダイアナ、カロン!お前達、あれ出来るか?!」
「まだ無理よ!」
「出来ないっすよー!」
「え?」
あれって何だ?
大地は首を傾げるが、ダイアナとカロンには「あれ」で通じたらしい。
3回への階段をのぼっている間に、アレスは舌打ちして仕方無さそうに言った。
「あーもう、出来れば使いたくなかったんだけどなあ」
「なっ何?何かやるのかねぐせ?」
ドン!
「ぎゃあっ!」
すぐ背後での破壊音。爆風に大地は前のめりになる。そこはもう3階だった。
床に手をついてしまったが、大地は何とか再び走り出した。
止まってしまっては、そこで終わりだ。
「追いついたぜーい!覚悟しろぉ!」
「うっ嘘ー!」
人体模型でもなかなか素早いようだ。
大地が振り返れば、そこにはあの嫌らしい笑みがあった。両手のわっかがブンと音を立てる。
大地は走った。恐怖で心臓が体から千切れて飛び出しそうだ。
そんな時に、懐かしい文字が目に飛び込んでくる。
「5−4」
大地の教室だ。
後方のドアを思いっきり開けて、大地は中に飛び込んだ。
後ろから犬とヒヨコがついて……こない。
「いい加減になさいよあんたはー!」
「ぎゃあー!」
「姐さん落ち着い……ひえー!」
ドンドンドン!ゴツ!
複数の物体が階段を転げ落ちる音と叫び声が廊下の向こうから聞こえる。
ダイアナがサ・ターンに飛び掛ったのだろう。尻尾に捕まってたカロンはその巻き添えか。
おかげで大地はひとまず助かったが、このままではあの2人が危ない。
大地にだって、あの人体模型に犬であるダイアナもヒヨコのカロンも敵わないだろうと、分かっているのだ。
「ど、どうしよう、ポチ子とヒヨ吉が……」
しかし、大地は動物の姿をしていても飛び掛った2人よりもっと弱い。
しゃがみこんだ足はガクガク震えているし、心臓は一向に治まる様子を見せない。
今出ていったって、何も出来ないだろう。
それでも……。
「大地大地!お前にちょっと助けてもらいたいんだけど、いいか?」
「……へ?」
沈みかけていた大地にアレスが思いがけない事を言った。
助けてもらいたい?何も出来ない自分に?
「あいつら助けるために必要な事があるんだ。安全は保障できないが……やるか?」
アレスは慎重に尋ねてくる。ここで大地が嫌だと言っても、きっとアレスは責めなかっただろう。
大地は……すぐさま頷いた。
「やる!どうやるんだ?」
「よっしゃそれでこそ大地だ!まあまずは目を瞑ってみろ」
「おう!」
決意をみなぎらせて目を閉じる大地。
これから何をするのか知らないが、出来る事があるのなら何だってやってみせる。
「そのまま頭の中空っぽにするんだ。無心、ってやつだな。そうそういい調子だぞー」
無心無心無心。
大地は頭の中に白をイメージした。
真っ白。何も無い白。
そこに何かじわりと入り込んでくる。何だ?
染みのようにぽつんと浮かび上がったそれは、あっという間に大地の頭の中の白を染め上げた。
綺麗な、真紅へと。
大地の目がカッと見開かれる。
素早く辺りを見回し、そこにあった机からリコーダーを一本もぎ取った。
それを右手に握りこむと、大地は教室を飛び出した。
階段下では、人体模型が犬とヒヨコと揉み合っていた。
「ええーいてめぇら邪魔だぁ!さっさとどけぃ!」
「どいたら真っ二つでしょうが!あんたこそ大人しく宇宙に帰りなさいよ!」
「誰が帰るかー!」
「おいらはそろそろ帰りたいっす……」
「じゃあ帰りなさい!」
「嘘っすやっぱりどこまでもついていくっす姐さんー!」
いくら宇宙人同士でも、やはり犬とヒヨコでは人体模型に敵わない。
サ・ターンは2人を跳ね除けると、腕を振り上げた。
「とりついているだけでも死んだら一緒に成仏だろぉ!くらえぃ!」
「くっ!」
「嫌だぁーまだ死にたくないっすー!」
「ちょっと待てーい!」
頭上からの声。驚いたサ・ターンが振り向くと、階段の上部から何者かが跳んでくるところだった。
その勢いのまま、目の前にダンと着地したのは、さっきの逃げていた少年だった。
しかし、サ・ターンは違うと感じた。
こいつはさっきの少年ではない。
ただの少年が、あんな跳躍を見せるなんて、あり得ない。
着地の姿勢からゆっくりと立ち上がった大地は顔を上げて、不敵ににやりと笑ってみせた。
大地の出来る表情ではない。
「お前……何者だ」
サ・ターンが今までとは違う緊張した声を上げる。
大地は笑ったまま、手に持っていたリコーダーをサ・ターンに突きつけた。
ただのリコーダーが、まるで一本の剣のように見えて思わず一歩後ろに下がる。
「俺が誰かって?そんなの、今は関係ないだろ」
それは大地の声ではなかった。
確かにそこに立っているのは、小学5年生の星野大地だ。
しかし、その内にいるのは……大地ではない。
「俺の仲間に手出したんだ、覚悟してもらおうじゃないか」
その黒い瞳の中に、燃え上がる真っ赤な炎が輝いていた。
05/11/14