その道は、知っている道だった。
大地は思わずひゅっと息を吸い込む。
その一瞬後、止まりかけた足を、誰にも悟られないようにすぐに動かした。
しかし、頭の上の奴だけは、どうしても気づいてしまうのだった。


「どうした大地、体がこわばってるぞ」


その言葉で少し前を歩くダイアナと、その頭の上にいたカロンが揃って振り返ってくる。
軽くアレスをうらみながら、大地はぎこちなく言った。


「この道……知ってるんだ」
「知ってる?当たり前じゃない、まだあんたの住んでた町でしょここは」
「今まで知らない所だったんすか?」
「ううん知ってた。でもこの道は他の道と違うんだ、だって……」


そう、その道は今までの道とは違った。
アスファルトはひび割れているし、電柱は道をふさぐように倒れている。
朝方の日の光に照らされた周りの壁の向こうには、相変わらず人の気配が無い。
これは、今まで来た道と同じ光景だ。しかし大地の中ではまったく別であった。

頭の中の景色とはあまりにもかけ離れた姿だが、それでも大地は、この道を知っていた。
何故なら。


「だって、毎日この道通って、学校行ってたんだもん……」


その道は、大地の通学路だった。




   バトル イン スクール




驚いた事に、校舎はその形を所々欠けさせながらも、崩れ去ってはいなかった。
学校そのものの形を保ったまま、そこに建っていたのだ。
廃墟の中ぽつんと残った自分の学校を見上げて、大地はポカンと口をあけた。


「残ってたあ……」
「すごいじゃないの。これなら中にも入れそうね」
「え、中に入るんすか?」


カロンがびくりと慄く。確かに入り口がこの学校の門の外からも見えるが、崩れかけているのも確かだ。
この校舎がいつ力尽きるか分からないのに、中に入るというのか。
ダイアナはあっさり頷いた。


「学校よ、何かありそうじゃない」
「そんな姐さん!危険っすよ別な所にしましょうよー!」
「別な所ってどこよ、どこもかしこも崩れてるじゃないの!」
「しかしまあ、さっきのコンビニみたいに誰か生き残ってるかもしれないな」


アレスの呟きに大地ははっとした。
そうだ、まだ誰か残っているかもしれない。あの店員のような奴じゃなく、まともな人間が。
大地はもちろんやる気が出てきた。


「よーし入るぞー!」
「そっそんな大地君までー!慎重派なのはおいらだけっすか!」
「お前のはただ臆病なだけだろ」


怯えるカロンをよそにおいて、学校を睨みつける大地。

怖かった。
家はすっかり崩れきっていたし、家族は誰もいなかった。だからこそ大地は、その家を出てくる事ができたのだ。
もし、もしこの形を整えたままの学校の中で、取り返しの付かないものを見てしまったら、その時は……。

店員のあの叫び声を思い出して、大地はぶんぶんと首を振った。
とにかく入ってみなければ。全てはそれからだ。

しかし、そこで……。


「……あ、どうやって入ろう……」


さっそく壁にぶち当たった。文字通りのものである。
学校の回りはコンクリートの壁がぐるりと取り囲んでいるし、目の前の門は硬く閉ざされたままだったのだ。
格子状になっている門に手をかけてみるが、やはりびくともしなかった。


「壁が崩れてる所とか無いわけ?」
「それよりよじ登った方が早いだろ、いけ大地!」
「お、おう!」


アレスにけしかけられて、大地は数歩後ろへと下がると、助走をつけてぱっと門に飛びついた。
この小学校の門は高くない。よじ登った大地はあっさりと向こう側へ飛び降りた。


「やったー!」
「よっしゃ侵入成功ー!」


共に喜びの声を上げる大地とアレス。
嬉しさいっぱいの顔でそのまま振り返れば、不機嫌な顔をしたシベリアンハスキーと目が合ってはたと我に返る。


「……で、私はどうすればいいわけ?」
「………あう」


大地が思いっきり睨まれている間に、ちゃっかりカロンは門の隙間からこちらに滑り込んでいたりする。
どうしようかと考え込む大地の上から、アレスが明るい声を上げた。


「潜り込めないしよじ登れないなら、跳び越えればいいだろ?」
「ポッ、ポチ子飛ぶの?!」
「残念ながらあんたの想像する「飛ぶ」ではないわよ」


ダイアナは大地と同じように後ろへ下がり、助走をつけて、思いっきり跳んだ。
まるで羽根のように軽やかなジャンプだった。
大地が瞬きをしている間に、ダイアナは何事も無かったかのようにそこに着地していた。
1人分の拍手が思わず運動場の隅に響く。


「ポチ子すごーい!テレビで見たわんこみたいだったぞー!」
「褒めてるのはそれは?」
「どうでもいいからさっさと行くわよ。ちゃんとついてきなさい」
「「アイアイサー!」」


元気な返事の男達を従えて、女王様は校舎へと近づいていった。








思ったとおり、校舎の中もそんなに崩れておらず、無事に進入する事ができた。
ホコリまみれの床に足跡をつけて、大地は立ち尽くした。

確かに、そこは学校だった。
友達と毎日駆け回り、いやいや勉強していた学校だった。
しかし、もうこの学校は、大地の知っている学校ではなかった。
割れたガラスが、倒れたくつ箱が、ひび割れた廊下が、現実を大地の目の前に突きつける。


もう、元には戻らない。



「さすがに無傷とはいかないっすね」
「教室はどうなってるのかしら」


横をすり抜けて前へと出てきたダイアナとカロンに大地はよろめいた。
いけないと思った。
こんな所で弱気になってどうする。これを元に戻すために自分は今ここにいるんじゃないか。


「ファイト、おれ!」
「大地、そういう掛け声は心の中でこっそりやるものだぞー」
「いいじゃん、声に出した方が元気がたくさん出るんだぞ!」


よしと握りこぶしを作った大地は、くつ箱を通り過ぎ廊下へ足を踏み入れた。
土足で上がれば先生に怒られるが、こうなってしまっては意味が無い。先生も見当たらない。
少しだけ土足の喜びをかみ締めながら、左右に伸びる廊下を見つめた。


「どこに行けばいいかなあ」
「あんたの教室はどこなのよ」
「1階じゃないんだ、3階にあるんだけど……」
「まずは1階から見ていきません?ほら、こっちとか」


カロンが左に歩いてみる。その時だった。



ガタン!



まるで誰かが誤って何かものを倒してしまったような、そんな音が空っぽの廊下にこだました。
その明らか過ぎる物音に、大地もアレスもダイアナもぎくりと固まる。
カロンにいたってはピッと飛び上がった後、信じられないスピードで大地の足元へと逃げ込んだほどだ。
音はカロンのいた方向、左から聞こえてきたのだ。

その音は、気のせいや偶然で片付けるにはあまりにも人為的な音だった。
ごくりと大地ののどが鳴る。

物音はそれ以来何も聞こえてこない。
それがさらに、息を潜めた何者かがどこかに隠れてこちらの様子を伺っているような気分にさせた。


「だ、誰かいるの……?」


大地のか細い声が廊下に響く。返事は返ってこなかった。
緊張感の漂う静寂の中、アレスがゆっくりと大地に問うた。


「この廊下の左側には一体、何があるんだ?」
「あ、え、きょ、教室?……たくさんあるけど、すぐそこにあるのは……」


大地は言いながら顔を青くさせた。その様子を見て、嫌な予感を感じとったカロンも一緒に青くなる。
振り絞るように、大地は言った。


「……理科室」
「いーやーだあああー!」


ヒヨコがピイピイ騒ぎ始めた。
緊張と不安で張り詰めていた頭の中の線が一本切れてしまったのだろう、ポンポン跳ねながら絶叫する。


「理科室っていえば音楽室と並ぶ心霊スポットじゃないっすかー!何でこんな近くにあるんだー!」
「ちょっと下っ端、少しは落ち着きなさいよ!」
「落ち着けないっすよおいらユーレイとか怖いもの大嫌いなんすよもうやだ帰るー!」
「まだ何かいるって決まったわけでもないだろうが」
「さっきの聞いたでしょおいら食われるんすよ串刺されて炭火で炙られてコクのあるタレ塗られて焼き鳥になって食われるんだー!」
「黙らないと私があんたを生で食うわよ!」


ダイアナが牙を見せて凄んでみせれば、やっとカロンがぴたりと止まった。
それでもガタガタ震える体は止まらない。大地も同じだった。
ただ、顔面を蒼白にさせながらある1点を見つめて動かない。
その様子が尋常でない事に気付いたアレスが声をかけた。


「おい大地どうした?そのまま気失いそうだぞ」
「あ……ああああれ、あれ……!」


ガクガク震える指が、正面を指す。

カロンは震えたまま顔を上げた。
こちらへ振り返っていたダイアナは顔を戻した。
アレスは大地の指をたどってみた。
4人の視線が、1つのものに注目する。


ドアが開いていた。理科室のドアだ。上に「理科室」と書かれた板が見えるので間違いない。
さっきまでドアが開いていたか、それは分からないが……。

目が覗いていた。
むき出しになった眼球が、ぎょろりと大地たちを睨んでいる。
肉の見えるその顔は、凍っているように無表情だった。

はみ出した脳みそを見ながら大地は卒倒寸前の声を上げる。


「い……いさむ、君……」

「ぎゃーあああああー!!!」


ヒヨコの渾身の叫び声は、廊下どころか学校中に響き渡っていった。

05/10/27