夕闇の片隅、オレンジ色の光にかすかに照らされる家庭菜園の生き残り。
それを大地が見つけたのは、腹ペコで足取りがおぼつかなくなってまもなくの事だった。



   初めての夜の下で



「おれトマト嫌い……」
「こら大地、好き嫌い言ってると大きくなれないぞ」
「いいもん、男の子は何もしなくたって大きくなるってお母さんが言ってたもん」
「甘いぞ大地君、牛乳大好物のおいらでさえこの有様なんだから!」
「何でもいいから食べなさい!大きくなる前に餓死するわよ!」


赤く熟れたトマトを目の前に渋い顔の大地。励まされようがお腹が減っていようが嫌いなものは嫌いなのだ。
しかし誰かが庭の片隅に作っていたのであろう小さな畑には、見事に野菜しか生えていなかった訳で。


「どうせなら野菜が滅びちゃえばよかったのに……」
「物騒な事呟いてないで食べなさい」
「そうだぞ大地、お前が食べないと俺までひもじいんだからな」


頭の上のアレスが必死に食べさせようとしているのは、自分のためでもあったらしい。
確かにねぐせがものを食べたら恐ろしい。
心なしかぐったりした声のアレスに、しかし大地はどうしても踏み切れなかった。


「トマトじゃなくて他のはないのかなあ」
「ナスとかしか無かったっすよ」
「ええー」


トマトをついばみながらのカロンの言葉に大地はがっくりとうなだれる。
キュウリをバリバリ噛み砕きながらダイアナが急かした。


「ほら一口でもいいから食べなさいよ」
「だってー……」
「だってじゃない!噛み付くわよ!」
「うわーんポチ子が厳しいー!」
「ファイトだ大地!ねぐせじゃ犬に勝てないからお前が頑張るんだ!」


頭の上でピコピコ動きながらアレスが応援してくる。
ねぐせが動いていることはひとまず置いといて、大地はごくりとつばを飲み込む。
そして、


「おおっ!」
「大地君偉い!」


大地は思い切ってトマトに噛み付いた。
あの独特の酸味と食感に意識が飛びかけるが、全てをごっくんと飲み込む。
涙目になりながらも大地はトマトを食べる事に成功した。


「うえーまずいーでもお腹空いてたから美味しいー」
「どっちなのよ」
「お腹空いてると何でも美味しく感じてしまうものなんすよ」


思わず舌を出す頑張った大地に、アレスが優しく声をかけた。


「よし、頑張ったご褒美に良い事を教えてやろう」
「良い事?」
「後ろの瓦礫をちょっと見てみろ」


そう言われた大地は振り返ってみる。
半分瓦礫に押しつぶされた土の上に、アレスが差しているであろう物体は見当たらない。
アレスはさらに言った。


「ほら、右側の瓦礫の下だよ。何か見えるだろ?」
「えー?」


大地は身をかがめて瓦礫の下を覗いてみた。
隙間がある。そこからちらりと見えるのは、下敷きを免れた1個の球体。
その緑と黒のしましまに、大地は、


「……あー!スイカだー!」


歓声を上げた。







空は暗い。
スイカの種をついばむカロンの黄色い体をぼんやりと眺めながら、大地は心細さを感じていた。

世界がこんな事になってから初めての夜。
いや、正確に言えば、世界がこんな事になってから大地が過ごす初めての夜だ。

あの赤い星は昨日の夕方に落ちてきて、それから大地が目を覚ましたのが夜明け頃。
つまり全体的に見れば、2回目の夜になる。
しかし一回目の夜を気を失ったまま過ごした大地にとっては、初めてになるわけだ。


「もたもたしてるから夜になっちゃったじゃないの」


大地の横にきちんとおすわりをしているダイアナが空を見上げる。つられて大地も首を上げた。
地上で起こった事をまったく知らないような、平和な夜空だった。
ずっと空を見上げておけば、崩壊した世界なんて見えない。
無数に舞っているであろう小さな星たちも数個しか見えないが、変わる事無くそこで瞬いている。


「おいら何か疲れたっすよ、あのコンビニ店員のおかげで」
「特に精神的に疲れたわね……」
「よーし今日はもう寝るかー」


やはりねぐせでも寝るらしい。あくび交じりのアレスの声に、大地は慌てて言った。


「どっどこで寝るの?」
「んー?まあ俺はお前の頭の上だけどな」
「どこだって寝れるでしょ!何ならもうここでもいいじゃない」
「だ、だっておれ、ここ……」


大地は周りを見回し、ポツリとこぼす。


「暗いんだもん……」


そんな弱気な発言に、もちろんダイアナが大声を上げた。


「はあ?!何言ってるのよあんた男の子でしょ!」
「ううーだってー」
「だってじゃない!これからどこで寝れるかわかんないのよ!我慢なさい!」
「だって……だって……」


ダイアナは大地がうつむいているのを見てムッと口をつぐんだ。
そしてどう言おうか考えあぐねていると、向こうから別の声が聞こえてくる。


「おーい親分ー姐さーん大地君ー!」


カロンだ。どうやらいつの間にかどこかに行っていたらしい。
小さな体で弾むように近づいてくると、カロンは先の曲がり角をくちばしで指してみせた。


「あっちに明かりがあったっすよ!1つだけ!」
「……明かり?」


明かりと聞いて、大地が立ち上がった。そしてカロンを拾い上げると、急ぎ足でそちらへと向かう。
後から仕方無さそうにダイアナもついてきた。


大地が角を曲がると、ほのかな光がその顔を照らした。それは、電灯だった。
折れていない電柱に寄り添うように1つの電灯がたっていて、その光が真下の地面を照らしていたのだ。
周りの電柱はもちろん倒れているし、何故ここだけがぽつんと光を照らしているのかは分からない。
しかし、それは確かな光だった。

大地は光の下へと歩み寄った。


「ちょうどよかったな!ここで寝れば暗くないだろ」


アレスが明るく言う。大地は1つ頷いて、地べたに腰を下ろした。
硬いアスファルトに身震いする。


「うー硬いー」
「まったく!我侭なガキンチョね」


憤慨した声を上げながらダイアナもやってきた。そして、まるで寄り添うように大地の隣に寝転がる。
そのふかふかの毛の感触にびっくりして大地はダイアナを見た。
シベリアンハスキーは、その怖い顔をフンと明後日の方向へ向けている。
しかし大地には、その顔が限りなく優しいものに思えた。


「ほら、少しは柔らかいでしょう」
「……うん、柔らかい……」


大地はそろそろと横になった。地面は硬かったが、横のダイアナは柔らかくて、そしてとても暖かかった。
まるでその暖かさで全身を包まれているような心地になって、大地は大きく息を吐く。
そのお腹に、黄色いふわふわのヒヨコがちょこんと乗っかってきた。


「いやーやっぱり皆で固まると暖かいっすね!」


うん、そうだね、ヒヨ吉もこんなに小さいのに、とても暖かいよ。

大地は心の中でそう言った。もう目が閉じられてきている。横になったとたん、猛烈な眠気に襲われたのだ。
体も心の疲れていた。ほとんど朦朧とした意識の中で、優しい声が直接響く。


「おやすみ、大地」


おやすみ、ねぐせ。


誰よりも近くにいる声に、大地は安心した。

ああ、おれは1人じゃないんだ。
だってこんなに暖かいんだもん。
おやすみ。
おやすみ……。



真っ暗な空の下、たった1つの電球に照らされながら眠りに落ちた小さな子ども。
その周りでは優しい声が飛び交う。


「あー大地君もう寝てるっすよ、早っ!」
「よほど疲れてたのねえ、さっきからうとうとしてたわよ」
「そりゃそうだろ。こんだけ小さいんだ、特に今日は……疲れただろ」
「おいらも眠いっす……ふああ」
「お前もまだまだ子どもだな!」
「ひっひどいっすよ親分!いつまでもおいらを子ども扱いして!」
「あーもううるさい!起きちゃうでしょ!私達も明日に備えてさっさと寝るわよ!」
「「はーい」」


声が止む。しかしその暖かさは、いつまでも消えなかった。






「次どこかお店あったら、絶対まくら買う!あいたたたー」
「硬い所に寝ると体痛くなるっすからねー」
「軟弱なんだから」
「どうでもいいが大地、まくらより寝袋の方がよくないか?」


次の日の朝、日の出と共に誓った言葉であった。

05/10/16