刺身と罠と研究所



あらしは混乱していた。まず、何故自分の体が痛いのかを考える。
そうだ、空から落ちてきたから痛いんだ。
次に、どうして空から落ちてきたのかを考える。
そうだ、あの女勇者にいきなり飛ばされたんだ。今自分1人なのは、皆別々に落ちてしまったからだろう。

それでは本題。
ここは、どこなのか。


「……いきなり、ビンゴ?」


地面に這い蹲って目の前の扉を見上げるあらしの頭上には、
「エンティ・ドマー様の研究所!※勝手に入るなよコラァ!」
と書かれた看板が堂々と立っていた。


「本当に研究所だったんだ……。これが」


あらしはもう一度研究所らしい建物を見上げる。
確かに研究所に見えなくも無いが……何より、小さい。
研究所というからにはもっと大きなものを予想していたのだが、これでは普通の民家と同じだ。
金が無かったのだろう。
立ち上がったあらしはその手に心臓があることを確かめて、周りを見回した。


「みんなどこに飛ばされたんだろう。先に探してから……いや、でも」


不安そうな顔を何とか戻し、キッと扉をにらみつける。


「その間にもウミが刺身になってるかもしれないし……よし、行こう!」


自分に気合いを入れなおして、扉に手をかけた。普通にドアノブがあるその扉を、あらしは思い切ってバンと開け放つ。
そして、一番最初に見たものは……。

刺身を食べる、エンティ・ドマーの姿だった。


「手遅れー!?」
「やっと来たかコラァ!待ちくたびれたぜコラァ!」
「いっいやその待ってる間に何しちゃってんのあんたー!」


思わず刺身に駆け寄るあらし。まさか、本当に刺身になっているとは……。


「何か知らないがかかったなコラァ!」
「は?え……う、うぎゃはー!」


あらしにはいきなり世界がひっくり返ったかのように見えた。が、ひっくり返ったのはあらしの方だった。
足元に仕掛けられていたわっかがいきなり上へ上がり、足が引っ張り上げられてしまったのだ。
あらしは片足を縄で引っ掛けられ、逆さまに宙吊り状態になっていた。


「しっしまったー!随分と古典的な罠にかかっちゃったー!」
「罠の基本的なものだぜコラァ!まいったかコラァ!」
「あっ頭に血が上るー!ていうか宙吊りって人生2回目だよこんちくしょー!」


空中でじたばたあがくあらしを、エンティ・ドマーは得意げに見上げた。


「こらー卑怯者!罠なんか張ってないで正々堂々と来いやー!」
「やだよーんだコラァ!科学者ってのは頭を使うんだよコラァ、お前達と違ってなあ!」
「うわーむかつくー!ウミを刺身にして食ったくせにー!」
「まっ待て!人を勝手に刺身にするな!」


その聞き覚えのある声にあらしはあれっと我に返った。
体を捻って声のした方を見てみれば、何と、でっかい水槽の中にウミがいるではないか。ちゃんと生きたまま。


「ウミだー!?生きてたー!っていうか何飼われてんの?!」
「宙吊りのお前には言われたく無いけどな……」
「さっきのは自分で一本釣りした魚の刺身だコラァ!勝手に勘違いするなコラァ!」


残りの刺身を食い尽くしたエンティ・ドマーは、余裕をぶっこいて椅子に座った。
ふんぞり返って、満足そうに口を開く。


「間違って連れてきたけど、人魚もちょうど研究したいと思ってたから運がいいぜコラァ!」
「じゃあそっち先にやってよ、心臓は置いといて!」
「ひどいな?!」
「そうだコラァ!心臓お前が持ってんだろ、今度こそよこせコラァ!」
「ぎゃーっ!駄目だってーの!」


エンティ・ドマーが奪い取ろうとしても、あらしは逆さまのままで器用に心臓を守ってみせる。
痺れを切らしたエンティ・ドマーは、こう怒鳴った。


「いいのかなーコラァ!オレ様お前の秘密知ってんだぞコラァ!」
「んな?!」


あらしはビクリと固まる。秘密なんて、平凡を自称しているのだからあるはずがない。
ある一つの、大きなことを除いては。
いやでも、まさか、そんな。


「お前、元人形なんだろコラァ!」


知ってた。


「え、ええー?!」
「何でお前がそれを知っているんだ?!」


言葉の出ないあらしの代わりにウミが叫ぶ。すると、エンティ・ドマーはためらう事無く簡単に訳を話した。


「心臓と同じく、鎌に乗った黒い奴の話をたまたま聞いたんだコラァ!」
「うわーもうあいつ本当どうしよう、思いっきり殴りかかりたい気分」
「止めない。それは俺も止めない……」


鎌に乗る黒い奴に生命の危機が迫っている間に、エンティ・ドマーはなにやら危険な道具を取り出し始めた。
妙に科学っぽい道具もさることながら、のこぎりやカナヅチまである。


「珍しいぜコラァ!一体どんな風に人形から人間になったのか調べてみたくなるだろコラァ!」
「ならない、まったくならない。ましてや解剖したいとか全然思わない」
「遠慮するなコラァ!」
「誰がしてるかー!」


金属をカシャカシャいわせながら、不気味な科学者の笑い顔がこちらを向く。


「さーて、誰から解剖してやろうかコラァ!」
「いっいや!僕は今普通の人間だから別に特に何も無いよ!」
「にっ人魚だって何も無いぞ!人と魚なだけだ!」


空中と水槽から必死な声が届く。エンティ・ドマーは主導権が完全に自分のほうにあるのでやけに楽しそうだ。
よく切れそうなハサミを手に一言。


「じゃあその心臓から先にするかコラァ!」
「「それは駄目だ!」」
「仕方ない……人魚からどうぞ」
「仲間を売るなよ!?」


もめる2人。これはチャンスとばかりにエンティ・ドマーは何かを手にした。
それはごく普通の、虫取り網だった。


「もらったぁコラァ!」
「あっしまった油断した!」


振り回された虫取り網にあらしはとうとう心臓を奪われてしまった。


「わーっ虫取り網に奪われるなんて何か猛烈に悔しい!」
「ヒュー!やっと手に入れたぜコラァ!」


小躍りしながらエンティ・ドマーは台のようなものの所へ歩いた。
その周りには、怪しい機械たちがずらりと並んでいる。
頭に血が上りながらも、あらしはさっと顔色を青くしてみせた。


「ま、まさか……本気の本気で解剖する気なんじゃ」
「本気の本気で解剖するに決まってんだろコラァ!」
「やっやめろ!」


ウミも必死に目の前のガラスをバシバシ叩くが、水槽はビクともしない。
その間にもエンティ・ドマーはひひひと笑いながら一本のメスを手にした。
そして、じょじょにじょじょに心臓へとその切っ先を近づける。


「やめろってば!お願い!やめて!」
「頼む、それを解剖するのだけはやめてくれ!」
「中がどうなってるのか楽しみだぜコラァ!」


2人の声は届かない。メスは止まらない。動かない未完成の心臓に刃物が迫る。遮るものは無い。
守るもののいなくなった無防備な心臓。その心臓に、今……。


「やめてってば!もう本当お願い!」
「やめてくれ!切るのだけは!」
「聞こえねえなあコラァ!」
「やっやめろ!やめろって……」


「言ってんだろうがうすらハゲバカガクシャー!」


「ギャーコラァー!?」
「うわー?!」


ガシャーン!



その時、巨大な一本の刃物が、確かに宙を飛んだ。

05/06/29