人形の恩返し



「……なんですかこの有様は」


研究所の中は、水浸しであった。用心しながらドアを開けて中を見た華蓮は、とりあえず呆れておく。
おそらく水が入っていたのだろう水槽らしき残骸が部屋の隅に見える。
その下辺りに、ぐったりと横たわる1人の男。
つかつかと歩み寄って、華蓮はその背中を思いっきり踏んでみた。


「ぐえっ」
「生きていますね、ひとまずは」


床の上でもがくウミの生存を確認した華蓮は、元水槽を見上げた。
そこにグッサリとぶっ刺さっているのは……どこかで見た巨大な刃物だった。


「おーい」


その時聞こえた声に上を見る。そこには、頭が下になった宙吊りの人間がいた。


「とりあえず、何があったか簡潔に説明しなさい」
「まあ色々あったんだけど……つまり、投げちゃったわけで」
「そうですか」


逆さづりのままのあらしの説明に華蓮はあっさり頷いた。結構どうでもいいのだろう。
すると、さらに残りの2人もひょいと入り口から顔を覗かせてきた。


「おじゃましまーす。……なーんだ、みんなここにいたのねー!」
「あんの女いい加減に飛ばしやがって……って何じゃこりゃ!」


床にまかれた水を踏みしめながらシロとクロも中に入ってくる。ウミもやっと立ち直って起き上がってきた。
あとは逆さまの奴だけ。


「ああ、死ぬかと思った……。刺さるかと思った……。刺身になるかと……」
「い、一体ここで何があったんだよ?」
「その前にちょっとここから降ろして欲しいなあ」
「はいはい、それでは」


パン

銃弾がロープを引きちぎる。結果的に支えのなくなった体はそのまま地面に落ちた。


「ぎゃっ!」
「これでOK、と。ところでここがあの科学者の研究所なわけですね」
「あ、ああ、そうだ」
「でもーエディちゃんいないわよー?」


シロの言葉に、そういえばと皆で辺りを見回した。水浸しの部屋にエンティ・ドマーの姿が見えない。
あらしの投げた刃物に当たってはいない(と思う)のだから、生きてはいるだろうが。
その時、メンバーの中でも一際目の良い、良すぎるクロが物陰に何かを捕らえた。


「そこだあー!」
「「!」」
「わーっ投げんなコラァ!もういやだコラァー!」


飛んできたぐんぐにるを激しく避けるのは、こっそり隠れていたらしいエンティ・ドマーだった。
さっきの刃物がすっかりトラウマになってしまったらしい。
あんなに勝ち誇っていたというのに、今は壁にへばりついてビクついている。


「こら、観念したならその心臓早く返せよ!」


頭に血が上ってくらくらしながらあらしが立ち上がる。
エンティ・ドマーは、逃げ腰ながらもまだ心臓を手に持ったままであった。往生際が悪い。
にらみつける5人に、エンティ・ドマーはわめいた。


「わかった!わかったよコラァ!心臓の研究は諦めるってコラァ!」


わめきながらも、空いていた手が壁をまさぐっていた。
何か探しているようなその動きに気付いた瞬間、カチッという何ともいえぬ音が響く。
途端に、研究所が震えた。ズシンズシンという重い音が床を揺らす。


「な、何だ?!」
「地震かしらー?」
「まさかさっき、あいつ、何かのボタンを押したんじゃ」
「「ボタン?」」


研究所。悪役。科学者。最後。何かのボタン。この振動。
全てを考えて思いつく事は、1つしかなかった。
もしや、もしやさっきのボタンは。


「「自爆ボタン?!」」


そうだ、それしかない!


「はっ早まるなー!ってもう早まった後だった!」
「バクハツー!?バクハツしちゃうのー?」
「おっお前ー!自分勝手なことすんじゃねーよ!」
「死ぬならあなた1人で死んでください!」
「はーはははーだコラァ!」
「だ、駄目だ、逃げる暇はない……!」


高笑いする科学者の声と共に、壁が、床が、一際大きく揺れた。
5人は覚悟して頭を抱え込む。
ズン、という振動が研究所を襲った後、それは起こった。


四方の壁が、それはもう見事に、同時に外側へと倒れたのだ。


パターン


何か軽い音が空に響く。それっきりだった。
中の5人もエンティ・ドマーも、もちろん何とも無かった。


「「………」」


しばらく5人は何も言えなかった。青い空を、白い雲が呑気に泳いでいる。
一呼吸置いて、5人は一斉に叫んだ。


「「コントかー!」」
「どうだこの仕掛けコラァ!このために壁を薄くしたんだコラァ!」
「無駄な努力しなくていいわーっ!」
「しかも意味あるんですかこれ」


壁が倒れただけだ。何も無い。
しかしエンティ・ドマーは悪役らしい嫌な笑いを浮かべて、1つ後ずさった。
気付けばその背後には、流れの早い川があった。決して大きくはないが、彼方まで流されてしまいそうな、早い流れ。
水槽の水や、一本釣りした魚というもの、ここから調達したのだろう。


「研究は諦めるけどなあ、ただそれだけじゃ悔しいじゃねえかコラァ」


エンティ・ドマーは、心臓を持っているほうの手を掲げた。


「1つ言っておくと、この川、すげえ泳げる奴にもきついぜコラァ」
「……!まさか」


息を呑んだ。気付いたときには、遅かった。


「手に入んないならせめてこうしてやるぜコラァー!」
「「あーっ!」」


心臓はエンティ・ドマーの手から離れて、激流へと真っ逆さまに落ちていった。
その光景がやけにスローモーションに見える。
心臓はゆっくりと水面へと落ちていって、そして……


「駄目だーっ!」


そこに手が差し伸ばされた。地面を蹴って、あらしが飛び込んできたのだ。
後ろの4人が最大限に驚いた表情でそれを見ている。
その手に心臓を掴んで、ほっとした次の瞬間。

ドボン!

もちろんあらしは、川中のなかへ吸い込まれていった。


「う、うわー!あらしが自ら飛び込んだぞー?!」
「あの、水に近付くのも嫌がってた超カナヅチのあらしがだぜ?!」
「いくら心臓が落ちたからってあのあらしさんが!」
「何してるのよみんなー!早く助けないとー!」


最初に駆け出したシロにハッとついていく3人。あまりに突然のことに頭が付いていかなかったのだ。
果たして、心臓とあらしは……。






ザブン!

「いた!いたぞー!」


クロにシロに華蓮が地上から見守る中、やっとウミの頭が水中から出てきた。
あの後、ウミが急いで飛び込み、あらしを探したのだ。
もう結構流されていたのだろう。少し下流からウミは顔を覗かせた。

ちなみにエンティ・ドマーは無責任な事に、この場に乗じてさっさと逃げてしまったようだ。


「おいおい、生きてっかー?」
「多分」
「早く引き上げてあげなさい、このままだと本当に死にますよ」


流れが早くてウミが苦戦している所にクロが手を貸してやる。
やっとあらしはズルズルと大地に引き上げられた。
仰向けのその腹に、すかさずシロが駆け寄り乗りかかる。


「ブフォア?!」
「あっ生きてるー!よかったわねあらしー!」
「シロ……踏んで生存確認とか、華蓮の真似だけはしちゃ駄目だって言ってるだろう……」
「グッジョブシロさん」


ゲホンゲホンと水を吐き出すあらしに乗ったまま、シロはもおーっと息を吐いた。


「駄目でしょーっ泳げないのに川になんて飛び込んじゃー」
「しっ死ぬかと……!……だ、だって、心臓が危なかったんだよ」
「そんなには魚に任せときゃいいだろうが」
「魚言うな人魚だ!」
「だっ駄目なんだ!これだけは僕が守らなきゃ!」


その必死な様子に、華蓮が眉を寄せてみせる。


「何故そこまで必死になるんですか?まあ、気持ちは分かりますが」
「確かにな……心臓を貰ってしまったわけだから」
「それもだけど……それだけじゃ、ないんだ」


それだけじゃない?4人がいぶかしんでいると、シロがどいたお陰でやっと起き上がりながらあらしは言う。


「僕は、何一つ、返せてはいないんだ。大切なもの、いくつも貰ったのに……」
「いくつも……?」
「心臓だけじゃねーのか?」


目を伏せるその脳裏に、昔の出来事が蘇る。



何一つ、知らなかった、旅を始めた頃。


『僕が笑い方を教えてあげるよ』


そうやって笑った1人の少年。「笑う事」をあらしに、一番最初に教えてくれた人。
名前はあの時聞かなかった。それでも分かった。会った瞬間に。
この笑顔は、この人は、あの時の少年だと。


「今の僕は、あの人がいなきゃ、きっとここにいなかったのに」


借りたものを返す事さえ、出来ないというのか。


「どうしよう……心臓、動いてくれないよ……」


腕の中の心臓は水に濡れた姿で、ボロボロで、それでも動いてくれない。「命」を吹き込まれていない。
さっきから無くして、奪われて、落とされて、追いかけてばかりだ。
この心臓に何一つしてやれていない。


あらしは泣きたくなった。

自分の命は、本当にたくさんの人によって、今ここでこうやって生きているのに。
自分は何も返せずに、何も出来ないままだなんて。


「そんなの、嫌だ……!」


1つ。せめて1つぐらい。
何か返してやりたい。
何も出来ないこの手で、何かしたい。

たまらなくなって、あらしは力いっぱい心臓を抱きしめた。
その時。



「うん、君はよく頑張ったよ、本当に」



そんな満足そうな声が、空から聞こえてきたのだった。

05/07/12