蜘蛛の糸



ビュウと風が吹いた。その風によって粉々になった闇の霧が吹き飛ばされていく。
風を起こしたのは、空から降りてきた赤竜リュウだった。


「おいお前ら!大丈夫か!さっき凄い事起こって訳分かんなかったけど!」
「……いっ今何が起こったんだ?」
「一応無事、ですね……」


5人は無事だった。しかしそれぞれ呆然としている。全員今何が起こったのか分からなかったのだ。
やがてゆっくりと皆の視線が集まる。そこには後姿で立つ黒い影があった。
影はそのまま風に煽られるようにぐらりと傾くと、その場にばったんと仰向けで倒れてしまった。


「「!!」」
「しっ死神!」


慌てて全員が駆け寄る。死神は荒い息をつきながらも、いつもの瞳で真っ直ぐ空を見上げていた。
その瞳は……黒かった。


「……あーあ、使ってしまった」
「「は?」」
「君たちのせいだ。お陰でこのざまだ。あー1人なら絶対使わなかったのに」


やっちまったーというように片手で顔を覆う。その手はまだ黒かった。
何を言ったらいいのか、状況が上手く飲めないまま立ち尽くす皆をよそに死神は独り言を続ける。


「随分と久しぶりなものだから、しまったー。力を使い果たしてしまった」
「死神……」
「もう駄目だ、しばらく駄目だなこれは。プリンが食べたい」
「今の、死神が……魔法使ったんだよ、ね?」


あらしが、問いかけというより確認するように言う。死神はちらっと指の隙間からこちらを見つめてきた。


「プリンが食べたい」
「「ねえよ」」
「魔法を使ったかと問われれば否定は出来ない。極めて不本意ではある」


何だか遠まわしな言い分だが、つまりとっさに魔法を使ってしまったという訳だろう。
ぐったりと身を起こそうとしない死神にシロが心配そうに尋ねた。


「大丈夫なのー?」
「ん、大丈夫だ、疲れただけだから。プリンがあればもっと大丈夫だ」


プリンプリンとうるさいが、どうやら大丈夫そうなのでホッと胸を撫で下ろした。ホッとした所で改めて辺りを注意深く見回す。
静かであった。黒い霧が舞い、地面に闇が少しずつ落ちているだけで他に何も無かった。
闇の海はもうそこには無い。ウミがポツリと言った。


「鈴木は一体、どうなったんだ……?」
「死んでないよ。そこら辺の闇にでも埋まってるんじゃないかな」


寝っ転がったまま死神が返す。埋まっている、という事はもう危険は無いという事なのだろうか。
苦い顔のクロが頭をガシガシとかいた。


「何かこう静かだと気味悪いな。また鈴木がどこからか飛び出してきそうでよ」
「その可能性は十分にある」
「あるの?!」
「それなら早く上の方に戻った方がいいんじゃないですか」


用心深く全体を眺めながら華蓮が言う。賢者の石が壊れれば安心なのだが、まだその気配は見えない。
見上げれば、緑の大きな樹が見えた。上のほうでは風が強くなっているようだ、葉の散る量が多くなっている。


「んだな、お前ら早く乗れ」
「また飛ぶのかよー……。この頃飛びすぎだろこれ」
「飛びすぎっていうのもまた珍しいと思う」
「あ、来た」


上を向いたまま死神が言った。何が来たの?と尋ねなくても、次には全員が分かった。
闇の欠片の1つから、2つの赤い瞳が睨みつけていたのだ。


「「でーたー!」」
「ぐうう……一瞬でも闇を操る力が負けるとは……」


ユラリと鈴木が闇の中から立ち上がった。鈴木語じゃなくちゃんと喋っている。
鈴木の姿は随分とボロボロであったが、ズルッと一歩踏み出してきた。まだやるつもりらしい。
全員で震え上がった。


「くっ来るよ来るよ!死神!」
「うんごめん体動かない」
「「そんな?!」」
「認めん、認めんぞ、あの石の力も使っているのだ、負けるわけが……!」


ギリギリと歯を食いしばって鈴木はこちらに手を伸ばしてきた。瞳が怒りと憎しみにギラギラと輝いている。
恐怖で体は動かない。鈴木が何かやろうとした、その一瞬前、


「はっはっは、随分とひどい姿だな鈴木」


パチンという澄んだ音がこの空間に響き渡った。同時に、この場にいる誰のものでもない若い男の声が届く。
すると鈴木は何かに押されるようにバシンと倒れこんでしまった。


「「!!」」
「ぐおおお……っ!きっ貴様ぁ、今現れるとは……!」
「そうだそうだ、もっと早く来てくれれば苦労せずに済んだのに」


鈴木は最高に悔しそうに、死神は愚痴をたれるように同じ意味合いの言葉をその正体不明の声に向けた。
その瞬間、何も無かったはずの空間にバサリと黒いマントがはためいた。
シルクハットを抑えた手の隙間からにいっと笑った口が見える。その横には大胆な星模様がある。
いきなりその場に現れたのは、派手なオレンジ髪の男だった。


「頼まれてないのにこうやって来たっていうのにそれはないだろ?死神」
「……。ああ、ありがとうイナゴ」


死神がひょいと片手をあげたのを見て、オレンジ髪の男、イナゴはまた明るくはっはっはと笑った。
その明るい彼を以前に見たことがあるのにあらしは気が付いた。
それは、そう、鳥かごの中から。自分を助け出してくれる手伝いをしてくれた人。
イナゴの方もこっちに気付いたようだ。


「あっ、あの時の魂か!無事に戻れたんだな、よかったな!」
「えっえーっと……あ、あの時はありがとう」
「いいっていいって。写真はちゃんと貰ったし」
「写真?!」


イナゴの登場で辺りの空気が変わってしまったかのようだ。
今までのどんよりと曇っているような空気は、随分と明るいものになっていた。
その身にこの空気を常に纏っているのだろう、このイナゴという男は。名前は何だか変であるが。


「お、おいあらし、こいつ知り合いか?」
「いや、何て言えばいいのか……僕もよく知らないし」
「この男、死神さんたちと同じような人種に見えるんですが」


後ろの方でボソボソやっていると、イナゴはいきなりこちらに振り向いてきた。
そしてツカツカと歩み寄ると、華蓮の目の前で止まった。


「確かにオレはこの2人と同じ種族の魔術師だ、お嬢さん」
「おじょ……!」
「「この人すげえ!」」


華蓮にお嬢さんと言ってのけたイナゴはニッコリ笑ってみせた。華蓮は何か言う前に固まってしまっている。
残りの者は驚愕の表情で2人を見ていた。


「ふん、同じ種族だからといって全てが同じとは限らんわ……特にこの男とはな」


鈴木が憎々しい視線を送る。いつもより鈴木が不機嫌そうなのはイナゴが心底嫌いだからなのか。
イナゴはチラッと鈴木のほうを見た。


「……そうだな、オレは特に皆と違うかもしれない……」
「同じだろう、結局は皆、同じものから生まれたんだから」


なおも上を見ながら死神が言う。イナゴは少しだけ笑うと、5人のほうを見た。


「さあ、お前達は上にいっていいぞ。ここはオレが見ておくから」
「「え?」」
「大丈夫、鈴木も抑えておくから安心しなって」
「冗談じゃない!ぐおおお!」
「うっさいよ鈴木!」


パチンぐおおおとやっている間に、お言葉に甘えて上に戻る事にした。
こっちも心配ではあるが、賢者の石の様子も気になるのだ。この石を壊す事が最終目標なのだから。
全員でリュウの背中に乗ってから、イナゴに声をかける。


「あ、じゃあ死神もよろしく」
「ああ任せとけって。しっかり石を壊してくれよ」


バサッとリュウは飛び上がった。
真っ直ぐ塔の頂上へ向かっていくのを、イナゴは立って、死神は転がったまま見送った。鈴木は地べたに張ってピクピクしている。
やがてイナゴは死神の隣に座り込んだ。


「魔法、使ったんだ」
「思わず」
「それで制御出来なかったんだな。魔力カラッカラじゃないか」
「後で『T』あたりから貰っておく」
「はっはっは、あれは貰うじゃなくて盗む、だろ?」


言いながらイナゴはパチンと指を鳴らした。すると、転がる死神の真上に手の平サイズの何かが現れる。
その何かをキャッチした死神は、目を見開いた。


「こ、これは……プリンだ……!」
「今回は随分と頑張ってたじゃんか。ご褒美」
「君は命の恩人だ。賢者だ。神だ。地獄での蜘蛛の糸だ」
「蜘蛛の糸までいくかあ。とりあえず、神は嫌だな……」
「同感だ」


仰向けのまま死神は器用にプリンを食べ始める。それはそれはとても幸せそうに。
そのまま鈴木をほっといてまったりしていると、後ろから新たな影が現れた。


「ジェジェ?!イナゴがいるジェイ!びっくりしたジェイ!」
「おっジャック!お前も来てたんだな」
「成り行きだジェイ!」


よいしょと屋根の上へのぼってきたジャック。あの塔を1人で降りてきたらしい。意外とタフである。
ジャックはわたわたとこちらに走り寄って来た。


「そうだ死神大丈夫かジェイ?!心配してたんだジェイ!」
「うん、プリンは美味い」
「大丈夫そうでよかったジェイ!」


ホッとしたジャックはやっと鈴木の存在に気付いたようで、ビクッと飛び上がった。


「ジェーイ?!鈴木がいるジェイー!」
「遅いわぐおおおお!」
「怖いジェイー!」
「オレが抑えておくから大丈夫だって。賢者の石が壊れるまで、な」


1人でうるさいジャックをイナゴが押さえつける。それでやっとジャックはおさまって、恐る恐る鈴木を見た。


「ジェジェ?鈴木ボロボロだジェイ、イナゴがやったジェイ?」
「オレじゃない、死神だよ」
「ん」


ジャックは最大限に驚いたようで、声が出なかった。いつもうるさいのでこれは珍しい。
パクパクしながらジャックは何とか声を絞り出した。


「ま、まさか魔法使ったジェイ?」
「鈴木の闇を死神が血使って操り返したんだ。相殺して散ってこうなったってわけ」
「まるで見ていたように詳しいなあ」
「な、何の事かなあ」


サッと死神から顔をそらすイナゴ。ジャックはそこに興奮した様子で割り込んできた。


「凄いジェイ鈴木の闇なのにジェイ!オレっち絶対無理だジェイ!」
「……そうだよ、死神は闇を操れるのにもったいない」


イナゴは目を細めて、遠くを見ながら言った。


「オレは闇の魔術は苦手だ。だから、羨ましいよ」


対して死神は最初から変わらず空を見上げて、呟くようにポツリと言う。


「ぼくとしては、君のほうが心底羨ましいよイナゴ」


それにイナゴは自嘲するようにはっと笑うだけだった。


「オレが?冗談は止めてくれよ」


そのまま流れる沈黙。その後でジャックはいじけるように独り言を呟いた。


「オレっちは2人とも羨ましいジェイ……」
「「ジャックはなあ」」
「声揃えて諦めたように言わないで欲しいジェイー!」
「ま、とにかく」


イナゴがシルクハットを上げて塔の頂上を見上げた。つられてジャックも首を上に向ける。死神は空を見ていた瞳をちらと動かした。
大木の緑がちらつく中、賢者の石の赤い光が見える。


「後はオレたちは、待つだけだな」
「……そうだな」
「ジェイ……」


3つの黒い影は、眩しそうに塔の頂上を見守っていた。

05/03/17



 

 

 















オレンジ髪の男=イナゴ=蜘蛛の糸、という訳です。ね!

イナゴは、杏社長の「
メーカーズ」「ヤクルーター」にて大活躍しちゃってるナイスボーイです。
ネタバレなのであまり語れませんが、本物はもうマジ惚れしちゃうほどかっこいいので、是非見たって下さい。
ご協力ありがとうございましたー>杏社長