浮島



空は快晴だった。間近に迫った闇をまったく感じさせないほどの光満ち溢れた世界。
しかし、暗い影はもうすぐそこまで来ているのだ。そのために、真紅の竜に乗って風よりも早く飛んでいく。
全ては闇を止めるために。


「あいつ大丈夫かな……ちゃんと目的地までつければいいが……」


青空の一角に、そんな心配そうな声が漏れる。声の主はちらちらと背後に視線を送ってはそわそわと落ち着き無く座り直す。
凄いスピードで飛んでいる最中なのだからバランスを崩すとすぐに落ちるというのに、それでもやめない。
さきほど別れた空色竜の子どもが心配でたまらないのだ。


「途中で疲れて飛べなくなるなんて事は無いよな……心配だ……」
「お前竜を甘くみんなよ。大丈夫だっつーの、シュウも一緒なんだし」
「でもかぜは子どもだぞ、しかも生まれたてだから何かあったら……!」
「はいはい、良い母親っぷりはよく分かりましたから、心配しすぎでウザイので落ち着いてくださいウミさん」
「母?!」


今この空を飛ぶ赤竜リュウには5人が乗っていた。さっきから1人うるさいウミにあらしにクロにシロに華蓮だ。
昨夜野宿した野原で、一緒にいた娘シュウと空色竜かぜとは別れてきたのだ。それは何故かというと、


「仕方ないじゃないですか、弥生さんとシャープさんを迎えに行かなきゃならなかったんですから」


華蓮が説明してくれた。シュウとかぜは、聖域にいる弥生とシャープを迎えにいったのだ。
賢者の石を壊すには、天国の白い塔の上ではないと駄目らしいからだ。
なので、こっちはもう1つ必要だというある種を、水の妖精ルーに貰いに行く所なのだ。ついでに箱も取り返さなければならない。


「おーいそこのお母さん、その湖っつーのはどこだ?」
「せめてお父さんと呼んでくれ……。えーっと、あの辺りだ」


ウミはかぜについていきたそうだったのだが、ルーの場所を覚えているのが彼だけだったので連行されたのだ。
どうやら目的地である湖も近いようだ。リュウがスピードを落とした。ゆっくりと降りる。


「あ、向こうに海が見えるよ」
「本当だわー!人魚さんたちの国もあるのねー!」


あらしとシロが指差す方に、太陽の光を反射する水面が見えた。あそこ辺りに海人魚の国もある。
その海もすぐに木々に邪魔されて見えなくなった。森に降りたのだ。


「しゃー!やっと降りたー!」


高所恐怖症のため今までじっと動かなかったクロが元気よく飛び降りる。そこはちょうど静かな湖の目の前だった。
そこら辺を走り回るクロが、いきなり茂みの中に飛び込んで声をあげた。


「あーっ!おーい箱がこんな所にあるぞ!」
「えーどこどこー?」
「うわ、本当だ……。別に変わったところは無いみたいでよかった」


箱は三輪車と共にちゃんとそこにあった。ちゃんと変わらずボロ箱のままだ。何も変わらない。
ホッと胸を撫で下ろした所で湖へと向き直った。


「水の妖精さんはどこいるのー?」
「湖の中にいるはずなんだが……」
「呼んでみるか?おーいルーのばあさーん!」
「出るかなあその呼び方で」


出てこないんじゃないかと思えたが、意外にも湖に波紋が広がった。もちろん自然に出来たものではない。
全員で注目していると……水の中から、小さなものがぷかりと浮かび上がってきた。


「よう昼寝しちょったのに誰じゃわしを呼ぶのは」


妙な喋り方、まさしくルーだ。小さな姿で水面に胡坐をかいて座っている。その手には細いタバコがあった。
相変わらず妖精らしくない。まずは皆を代表してウミが一歩前に出て話しかける。


「ルーおばさん、箱を預かっていてくれてありがとう」
「おっウミ坊主、やーっと来たんか、皆元気そうでよかったばい」


ルーはにやりと笑うと、スルスルと普通の人間サイズへと変化した。
そして変わらず胡坐でタバコをふかしながら5人より少し後ろに立つリュウにケラケラと笑ってみせた。


「竜人のガキも少しは役に立つのう、期待はしちょらんかったが」
「けっうるせえ水のババア」


忌々しそうにリュウが毒づく。ルーにしてみればリュウもまだまだガキという事らしい。
そこにウミが少し遠慮がちに語りかけた。


「ルーおばさん、実は1つ頼みがあるんだが……」
「ん、何じゃ?言うてみい」
「ルーおばさんの種を1つ貰いたいんだ」
「種?」
「死神の野郎が貰って来いって言いやがったんだよ」


クロの言葉に、タバコをくわえながらルーが首を傾げる。


「誰じゃ、その死神は」
「黒くて鎌持って胡散臭くて得体の知れない嫌で変な男です」
「……ああ、もしかしてあの闇の一族かのう」


華蓮の説明になってない説明にしかしルーはポンと手を打ってみせた。長年生きているだけあって何でも知っている。
ふうっとルーは煙を吐き出した。


「謎の多い奴らじゃて。で?一体種を何に使うたい?」
「あのねー!鈴木をボッコボコにするためよー!」
「正確には、鈴木の力の源の賢者の石を壊すためだけどね」


シロの言葉に付け足されたあらしの説明にルーはようやく納得のいった顔をした。


「あー賢者の石たいね、了解じゃ、ちいと待っとれ」


ルーは湖の水を少しすくうと、両手でギュウッと握り締めた。
そして開いた手の中には……小さいながらも立派な種がもうそこに存在している。手品みたいだ。


「森の精にたくさん貰っといてよかったばい。ほれ、大事に使うんじゃよ」
「あ、ああ、ありがとう」
「わしの水をつめといたから力も2倍じゃ、これはサービスたい。ひょひょひょ」
「ねーこれどうやって使うのー?」


尋ねれば、ルーは簡単簡単と手をひらひらさせた。


「賢者の石の上に置いて力を注ぐ、それだけばい」
「力を注ぐって」
「まあそれは、他の方がやり方を知ってるでしょうよ」
「誰にだって出来るたい、心配いらんいらん」


吸い終わったタバコを水面にジュッと押し付けたルーは、こちらを面白そうに見つめてくる。


「賢者の石を壊すたあ大それた事するみたいじゃなあ」
「鈴木倒すんだよ、あの野郎地平線の彼方まで吹っ飛ばしてやる!」
「そうよーかじって蹴飛ばしてやるわー!」
「噂の魔法使いば倒すんか、いいのう!頑張りや、わしは何も出来んが」


水の妖精は最後ににっこりと、とても妖精らしい微笑みで笑ってくれた。


「生きてまたここに帰って来いや、待ってるぞ」





5人は今度は箱に乗って飛んでいた。
もちろん箱が飛んでいるわけではなくて、リュウが箱ごと運んでくれているのだ。この方が安定して飛べるのだという。
確かに、背中に5人もの人間が乗っていれば不安定にもなるだろう。


「かぜは無事に聖域に着いたかな……」
「またそれですか」
「もう聖域から天国に向かっててもいい頃だとは思うけど」


あらしはちらりと太陽を見た。頭の真上より少し西にある。という事はお昼過ぎだ。
予定ではそろそろ天国に着かなければならない。
リュウもそれを承知でビュンビュン飛ばすので、クロは箱の真ん中で丸くなっている状態である。


「そういや、天国の塔の頂上って勝手に使っていいのかな……」


ふと思ったことをポツリと呟いてみる。すると、シロがニッコリ笑って答えた。


「大丈夫よー!邪魔したらぶっ飛ばせばいいんだからー!」
「「おいおい!」」


だんだんとシロが危険な大人に育っていってる気がする。原因はもちろん姉とも呼んでいい1人の仲間なのだが。
クロともよく一緒にいるので乱暴な言葉もうつってしまっているのかもしれない。
冗談よーと笑いながらシロは言った。


「でもー、もし他の天使に邪魔されたらその時はあたしに任せてねー」
「えっ?」


シロは他の天使を苦手としているはずだ。
実際にそれを見たあらしは心配そうな目を向けたが、シロは前を向いている。空の上にあるものを見つけたからだ。
にやりと笑いながらリュウが言った。


「さーて、目的地にご到着だぜ、心の準備はいいかてめえら」


風を切って飛ぶ赤竜の目の前には、宙に浮かぶ大きな島が見えた。その島の中央に建つ高い白い塔も。
一枚の美しい絵のようなその光景に、赤い塊は突っ込んでいった。
天国という名の浮き島は、もうすぐ目の前だ。


「待て、そこの竜止まれ!」


その時、横から鋭い声がかけられる。リュウがスピードを落とすと、目の前に何者かが立ちふさがった。
白い翼をその背中に生やした、見回りの天使だ。


「天国には門を通って入らなければならない。このまま進むと不法侵入で捕まえるぞ!」
「だーっ!そんなめんどくせえ事言ってねえでそこどけ!こっちは急いでんだ!」
「何の用で天国に入るんだ。理由次第では入国を許されないぞ」
「うっさいですね、さっさとここを通さないと撃ちますよ」


浮島は目の前に浮かんでいるのに行く事が出来ない。この上なく歯痒い状況だ。
天使の方はこちらを危険人物と判断したらしく、他の仲間を呼び集めようとしている。
そこに待ったをかけたのは……シロだ。


「待って!お願いここ通しておじさーん!一大事なのー!」
「おじ……!……ん?お前、天使か?」
「おまけに塔の頂上使わせてー!何も無いんだからいいでしょー?」
「な、塔の頂上?!駄目だ駄目だ、無断でしかもよそ者が使うなんて許されるわけが無い!」


その間にも、異変に気付いた他の天使達がこちらに近付いてきている。早くしないともっとややこしい事になってしまうだろう。
さらに何か言おうとした天使に、その前にシロが箱から外へ飛び出した。


「な?!」
「シロ!」


驚いて伸ばした手は届かなかったが、シロが落ちる事は無かった。
その背中に現れた、輝くように美しい赤い翼によって。


「お、お前は……」


天使はその翼にひるんだ様子だ。長い間出していなかったので、その驚きも混じっている。
シロは驚く天使に大声で怒鳴りつけた。


「つべこべ言わずに使わせなさーい!あたしも天使なんだから、権利はあるでしょー!」





その頃、地上の一角では、暗く冷たい闇が次々と生み出されていっていた。
その中では、もっとも黒く塗りつぶされた影が低く、低く笑う。


「無駄な足掻きを……奪われた石は、壊される前に奪い返せばいいのだ……ッククク……」


闇は確実に、天の国に向かって広がり続けていた。

05/02/26