風見鶏



風が柔らかく吹いていた。何かを動かすような強い風ではなく、そっと触れるような微風。
一瞬それに気を取られると、目の前に何かが差し出されてきた。
それは……中に何かが入ったカップだった。


「……何これ」


思わず受け取りながらあらしが尋ねると、死神は何故だか得意げに答える。


「プリンだ」
「うわこれ本物?!さっき探してたやつ?」
「そうだ。とても美味いぞ」


スプーンを手渡してから、自分もプリンを取り出して食べ始めた死神。
ベリベリと蓋を開けて中を見つめた後、呆れ半分にあらしはもう1つ尋ねた。


「……で、何で今手渡されてんのさ」
「実はそれには大いなる理由がある」
「えっ」


何か不思議な食べ物なのだろうか。死神はスプーンをくわえながら言った。


「食べたら、元気になる」
「………」
「これは本当だ。ただ単に美味いだけでなく、プリンにはそれを越えた何かがある」
「はいはい……」


ためしに一口食べてみた。あらしはつるんとしたそれをゆっくり味わって飲み込む。


「……美味い」
「だろう」
「でも……元気になったかは分かんない」
「少なくとも、自分は元気になった」


今までも十分元気だったじゃん、と言いたげな目であらしが見ても死神はプリンを食べ続けるだけ。
仕方なく、そのまま無言でプリンを食べた。その間も優しい風はやむ事が無い。
まるで、励ますように。その背中を押すように。


「正直、これでも気分が沈んでいたつもりだったんだがな」


いつの間にかプリンを食べ終わっていた死神がポツリと呟くように言った。
底の黒くて甘い部分を食べていたあらしは、えっと目を見開いてみせる。


「あれで?!」
「見えなかったか」
「全然」
「騙すのは得意だ」


何だそれ。今日何回したか分からない呆れた目を向けたあらしはちょうどプリンを食べ終わった。
ひょいと空のカップを取りながら死神は空を仰ぐ。その空は、まるですべすべの青い皿のように、雲ひとつ無い空間。


「空が青くて、風が吹いてて、瓦礫の山。同じような日だったな」
「何が?」
「君を初めて見た日だ」


初めて見た日、つまり、人形だったあらしを見つけた日だ。あらしは体を固くした。


「フラフラ歩いてたら声が聞こえた。そっちを向いたら、人形が1つ転がっていた」
「……声?」
「そう、声。この風と共に流れるように耳に入ったんだ」


死神は一呼吸置いてから、言った。


「人間になりたい、とな」
「………」
「だから、魂の元を入れてみた。そうしたら、本当に人間になった」


あらしは黙って聞いていた。が、引っかかるものがあってとっさに顔をあげる。


「あの時はびっくりしたな。本当に、完璧な人間になったんだから」
「ちょちょ、ちょっと待って!何、もしかして、僕が人間になったのって、まぐれなの?!」


勢いでそう叫ぶと、死神は真顔で1つ、頷いた。


「あれは一種の賭けだった」
「………」


もはや何も言えなくなって、あらしは空を見た。
死神は言葉を止めない。今まで止めていたものを出しているように、流れるように喋る。


「人間となった君とは会えなかった。怖かったんだ」
「………」
「どうせすぐに君は止まると思った。薄情だと思うだろう。自分でもそう思う」
「………」
「だが改めて見てとても驚いた。君は生きていた。人間として、成長して」


あらしは無言のまま、頭に手をやった。身長は確かに成長している。しかしチビのままだ。
という事は、元から作りが小さかったのだろうか。何だか悔しい。
そこであらしは、自分が自然と人形の事を受け入れている事に今更気がついた。


「今までもフラフラ歩いていたが、目的というか、な、それを持ってなかったんだ」


死神は立ち上がった。目でそれを追う。青い背景に、黒が風になびく。


「風見鶏、知ってるか?大体鳥の形をしている」
「……風を読むやつ?」
「そう、風の向きを知らせる、道標のようなもの、それを作ったんだ」


あらしが何か言おうとしたが、先に死神が口を開いた。


「作っておきながら、その風見鶏が風に負けて折れてしまうと思って、見なかった」
「………」
「恐ろしくて見ることが出来なかったんだ。ところがどうだい、予想は大ハズレだ」
「はっ?」
「風見鶏は風に揺られるどころか、風に乗って飛んでいってしまったよ」


大空に向けて手を広げる死神。それをあらしはポカンと見ていた。
死神はこちらに背を向けて、空を真っ直ぐ見つめている。風の向く方向へ。


「風見鶏を作った時、決めたんだ」
「……何を」
「今までは当てもなくフラフラしていたが」
「うん」
「これからは風のように、フラフラしようと」
「………」


一体どこが違うんだろう。呆れを通り越してあらしは純粋にそう考えた。
それが顔に出ていたのだろうか、死神は弁解するように再び話し始めた。


「目的が違うんだ。何も目標が無いからフラフラするんじゃなくて、フラフラするのを目的としたんだよ」
「ふーん」
「一見変わらないように思うだろうが、これが違うんだ、まったく」
「ふーん」
「君はどうだ?」
「ふーん。……え?」


いきなりの問いかけにキョトンとするあらしを死神はじっと見つめている。
その表情はいつのまにか、いつも通りの笑みが広がっていた。


「何のために旅をする?」
「ええー……えー?」
「人間になった目的は?」
「そんな……事、言われても……」


もし今立っていたら座り込んでいただろう。幸い座ったままだったあらしは頭を抱え込んで、途方にくれた。
何だか目の前が真っ暗になったようだった。人間になった目的だって?


「覚えてないよ……人形の頃の事、何にも覚えてないんだ」
「自分の事なのに?分からないのか?」
「だから、覚えてないんだってば」


死神は、どこかおかしそうに笑った。


「また君は、気が付いていないのか?いや気付いているだろう」
「はあ?」
「恐ろしくて逃げ出してしまった、人形という事実を受け入れている事」
「……そ、それは」
「覚えていないと、言ったな」


自覚はしているのだ。悔しいが確かにその通りで、人形という言葉に違和感を感じない。
しかしあらしは首を振った。


「でも今は人形じゃない!」
「じゃあ君は何だ?」
「僕は……」


次の言葉は、自然の流れに沿ってポンと出てきた。


「人間だ!」


思わず立ち上がって叫んだあらしと死神の視線がぶつかる。その後、しばらくの沈黙が続く。口を開いたのはあらしだ。


「……人間?」
「さあ」


死神のそっけない返事。しかしあらしは聞いていなかった。


「そうだ、そうだよ、人間になるために人間になったんだよ!」
「そうなのかい?」
「当たり前じゃん人間になる他の理由なんて無いじゃんか!」
「それは覚えていたのか?」
「覚えてないよ人間だもん。それに、関係ないし」


ぐいっと空を見た。風が立ち上がった背中へと吹き付けてくる。


「今、人間なんだから」


そうと認めてしまえば、それはあっさりとしていた。
昔人形だった。しかし今はそうじゃない。ならば何だ。1つしかない、人間だ。簡単だった。
死神はもう1つ尋ねてきた。


「では、これからどうする」
「えっ」


あらしは少しだけ考えた。少しだけだった。


「そりゃ、旅するよ」
「何のために?」
「知らない。だって分からないし」
「ほう」


旅を始めたのは、それしかなかったからだ。今はまだそれでいいとあらしは思った。
旅を止める理由が、無いのだから。


「旅しながらだって、目的は探せるだろ?」
「そうだな。フラフラの目的を探すためにフラフラするんだな」
「そうだよ」
「ほらな、目的があるのと無いのとじゃあ違うだろう」


死神が笑うので、つられてあらしも笑った。笑いながら、今まで自分を支えていてくれた瓦礫を見る。
それを見ながらあらしはまた笑った。

知らないうちに今まで、本当に支えられていたらしい。


「死神」
「ん?」
「もう1つ、旅を続ける理由があるんだ」


静かにこちらを見つめる死神を見返してあらしは言った。


「僕がいないと地図も読めない、一緒に旅しなきゃならない奴らがいるんだ」


死神がそれを聞いて微笑むと同時に、何と瓦礫が喋った。しかも複数だ。


「それは言いすぎでしょう。他はともかく私は読めますよ」
「てめえ嘘付け!北と南逆に覚えてたくせに!」
「字は読めないが地図は分かるぞ!……多分」
「えーどうしようー、あたし全然分かんないわー!」


ごちゃごちゃ言ってる瓦礫を見ながら、死神が尋ねる。


「そいつらとは、誰だい?」


同じように瓦礫を眺めていたあらしは、笑いながら答えた。


「仲間だよ」


満足そうに死神が頷く。そちらを見てあらしがふと尋ねてきた。


「あー、1つ聞いていい?」
「ん?」
「僕って、どこからともなく刃物とか取り出すの?」
「……そうだな、取り出すな、今のように」
「へー本当だったんだ」


言いながら手に持つどでかい刃物を見もせずに、あらしは瓦礫の前に立った。瓦礫はまだ何か言い争っている。
あらしは、今まで支えていてくれたそれに刃物を掲げ……一気に振り下ろした。


ガキン!


ガラガラと真っ二つに割れた瓦礫が崩れ落ちる。その向こうにいたのは、4人の仲間たちだった。
笑っていた。あらしも笑っていた。
何を言えば良いだろう。その言葉は、また自然と出てきた。


「ただいま」
「「おかえり」」


仲間たちは今ここで、再会した。

05/01/21