滲んだインク
「プワーッ!ゴホゴホン!」
「ゲホッ……ガフン!」
「ケフンケフン!」
さっきから盛大にセキをしているのは、部屋中の埃を叩き落とす係のクロとシロにウミであった。
本に書いてある字が読めないのだから仕方ない。
「えーっと、『ヘッポコ太郎の大冒険』……これはこっちだな」
「『デブ猫には何故なるか』はここでしょうか」
「ああ、そこで良いと思うよ」
一方、本を分類して本棚にしまう係はあらしと華蓮だった。華蓮なんかは1人だけ埃除けマスクをしていたりする。
しかし、予想以上にこの書庫が埃まみれなので、全員片付けにてこずっていた。
「……なあ、マスクは1つしかないのか華蓮……」
「ええ、私の分しか」
「じゃあそのマスク埃叩いてるオレらによこせコラ!」
「嫌ですよ!私、あなた達と違って繊細なんですから」
「おめーのどこらへんが繊細なんだよ!」
「センサイってめいんでっしゅの前に食べるごはんの事?」
「それは前菜だ」
「やかましい早よしろお前ら」
隙あればすぐにギャーギャーと仕事をサボるのであらしは叱り付けるのに大忙しだった。
今のところ「刃物」はまだお呼びではない。
「たまには黙ってる時間とかないのかよ……」
「おーし言ったな言ったな。見てろよー」
「やってやるわよー!」
「元々人魚というのは大人しい種族なんだぞ」
「最初から私は静かでしたけどね」
全員が対抗意識を燃やして作業に戻ったのを見て、これでしばらくは大丈夫だろうとあらしはホッと息をついた。
そして、自分も同じように黙々と本をより分けていく。
「……おい、そこどけよ」
「分かってる」
「こっちは叩いたかしらー?」
「この本はどうしようか」
「えーっと……そこで良いんじゃないですか?」
言葉を交わすのは必要最小限に。
しばらく書庫には、書庫らしい静かな時が流れた。
しかし…、
「……いたっ!おいクロ、お前今足踏んだだろう」
「はあ?踏んでねーよ」
「あ、ごっめーん!あたしが思わず噛み付いちゃった!」
「噛み付いたのか!?」
「ほれオレじゃねーだろが、すぐ人を疑うのはやめて下さらなーい?」
「気色悪い言葉遣いは止めろ!」
「ちょっと!少しうるさいですよあなた達!」
「元はといえばシロが……」
「あたしのせいじゃないもーん!すっごいホコリっぽいから疲れてお腹減るんだもん!」
「それは理由になってないだろ!」
「カレンがマスク貸してくれりゃあよかったんだがよー」
「何ですか、今度は私に文句ですか」
「大体なんでオレがこんなめんどっちい事しなきゃならねーんだよ!」
「少しは真面目に働いてからその台詞吐いて下さいよ!大体いつもあなた達は……」
「いや俺は真面目にやってた!それをかじられたりしてだなあ」
「お腹すーいーたー!」
「あーもうじゃかぁしいんじゃ貴様らはー!」
ズッパーン!と、それはもう小気味良い音を立てて刃物は本棚を真っ二つにしてしまった。
恐ろしい切れ味を前にして、あと綺麗に二つに分かれてしまった本棚を見て、しばらく本気で時が止まった。
最初に動いたのは、思わず本棚に一撃を入れてしまったあらしだった。
「……あちゃー」
「あちゃー、じゃねーだろ!オレらを殺す気かあらし!」
「そ、そんな事言ってる場合じゃないですよ!」
「すごいわねー、こーんなに綺麗に切れちゃってるわー」
「どうするんだよこの本棚……」
「もっ元はといえば皆がやかましくしてたから!」
「……あー何これー?」
醜い責任の押し付け合いが始まろうとしていたその時、シロがいきなり声を上げた。
その声に思わず全員で注目する。
「どうしたシロ?」
「ほらほらー、本棚の奥に何か変な箱があるのよー」
変な箱?
どれどれと本棚を覗いてみると、なるほど、ぱっくり切れた本棚の奥の方になにやら随分と古めかしい箱が埋まっていた。
まるで意図的に隠されていたようで、あからさまに怪しい。
「本棚の置くにあったなんて……なんて値打ちのありそうなものなんでしょう」
「中は何だ?金になりそうなものか?」
「宝の地図だろ!絶対そうだろ!」
「美味しそう?美味しそう?」
「お前ら…」
いっせいに箱に群がる仲間達を見てあらしは呆れ返ったが、好奇心には勝てないものでそろそろと箱に近づいていった。
いつもより1.5倍ぐらいのスピードで箱へと走り寄った華蓮が代表で箱のふたをそっと開くと、そこには……、
箱以上に古びた、一冊の本が。
「「本かー」」
がっくりしている4人はほっておいて、あらしはその本を手にとってしげしげと眺めた。
表紙はかすれてボロボロでほとんど読み取れなかったので、試しにページをめくってみる。
しかし、
「うわ、これは読めないな……インクが滲んで文字が潰れてるよ……」
そう、文字が潰れているせいで何が書いてあるのか全く分からなかったのだ。
これでは何語で書かれてあるのかすら分からない。
「何でこんな本がこんな箱の中に……?」
「みんな読めねえんじゃ意味ねーなそれ」
「うーん……」
納得のいかないあらしは、さらにパラパラとページをめくりまくる。
意外とぶ厚い本だったがほとんどの文字が滲んで読めなかった。
「くそー何でこんなにインクが滲んでるんだろう?」
「水でもしみたか?」
「じゃあウミの仕業ねー」
「それだけで決め付けるなっ」
「これだから魚はイヤなんだよなー生臭ぇ」
「生臭いとか言うなー!」
「うわわ、ちょっと、周り散らかってるんですから暴れないで下さいよ!」
「あべしっ!」
どたんばたんと狭い中暴れまわるので、あらしは突き飛ばされてしまった。
その拍子に、あらしのポケットから何かがカツーンと床に零れ落ちる。
「……あ、時計が」
それは野原でたまたまネコバ……いや、拾った銀色の時計だった。
時計はそのままコロコロと、同じく落としてしまった本の上まで落ちてしまった。
「せっかく拾ったのに壊れたらどうするんだよ!……ふう、大丈夫だ」
「野原に落ちてたんですから、めったには壊れないですよきっと」
「それもそうか」
元通りに時計をポケットに入れて本を拾い上げる。
しかし、とたんにあらしは本に違和感を覚えた。
「……?」
なのでまじまじとよく見てみる。特に変わった所は……。
あった。
「あああー!」
「うわ!びっくりした」
「驚かさないでよー空っぽのお腹に響くじゃないー」
「だだってこれ、見てみろよ」
「「?」」
あらしに促されて本を眺めた4人は、同じように大声を上げた。
「っあー!」
「インクの滲みが消えてるじゃないですか!」
「えー?!どしたのどしたの?!」
「水分でも抜いたのか?!」
「いや……それが全然分からなくて……」
そう、今までうっとおしいほど滲んでいたインクが綺麗に文字の形を作っていたのだ。
それもいつの間にか、だ。
「何かしたのか?」
「してないってば」
「さっき倒れたじゃないですか」
「そん時何かしたんじゃねーかー?」
「何も無いよ、ただ野原で拾った時計が本の上に落ちちゃったぐらいで」
「何だーそうなのー」
「「うーん」」
とてつもなく鈍いやつらである。
「まーそんな事いいじゃねーか、読めるようになったんだしよ」
「そうよねー」
「所詮本なんて読めれば良いものですからね」
「で、何と書いてあるんだ?」
「えーと、ちょっと待てよー」
滲みが消えたのはページの中だけで、表紙はかすれたままであった。表紙は別に滲んでいた訳では無いからだろうか。
少し気になったが、あらしは表紙をめくって1ページ目を開いた。
滲んだインクは消えて、そこにははっきりとした文章が書き記されていた。
03/12/13