天使の翼


十何年か昔、ある1人の天使の子どもが生まれた。とても美しい天使から生まれた、とても可愛らしい娘だった。
天使にふさわしい、純白の子ども。
ただ1つ、その小さな翼が血のように真っ赤な色をしていた事を除けば。


白い世界にいきなり現れた紅色に、天使たちは恐れおののく。

これは何かの災いの前触れだと叫んだ天使がいた。
この子は呪われている、この翼がその証拠だと震え上がる天使もいた。
大部分の天使は、何故、とただただ恐ろしく感じるばかり。


その中で、1人だけ何事にも動じずに我が子を抱きしめていたのは、母親だけだった。





赤い翼をもった白い子どもは、結局何も無い、ただ赤い翼なだけの元気な子だと診断された。
安心したのは、父と母だけだった。


子どもをあやす妻に、夫は一度問いかけた事がある。

君は、その赤色が怖くないのかと。本当にその子どもでいいのかと。


  我が子を愛さない親がどこにいるというの。


それが当然のように子どもを抱きしめながら言う妻に、夫はもう二度と尋ねなかった。
妻の言葉に答えるかわりに、夫も我が子を愛した。





白色というものは、天使にとってとても大事で大切な色だ。白であればあるほど真の天使といえよう。
白は天使の誇りだ。


だから母は、白くて可愛らしい、とても大事で大切な娘に「白」の名をあげた。

あなたは私にとってとても大事で大切で、誇りの娘なのよ、と。





父は大天使に昇格した。忙しくなかなか帰って来れないのをいつも気にしていた。
母は病気にかかっていた。その腹の中には、新しい命が宿っていた。
子どもは元気に育っていった。だけど、友達がいなかった。



子どもは、いつも1人ぼっちだった。



ある日、子どもが母へこう尋ねたことがある。


   何であたしの翼は赤いの?


母は、ベッドに寝たまま愛しそうに我が子を見つめた。


   どうして?


   だって皆白いもの お父さんとお母さんも白いもの それに


   それに?


   皆 赤は不吉だって言うもの あたしも白い翼がよかった


母は手を伸ばして、目に涙を溜めた子どもを抱きしめた。


   あなたの翼はね 愛の色なの 私とお父さんの 愛の色


   あいの色?


   そうよ だからこの翼はとても素敵なものなのよ


そう言って笑う母が、子どもは何よりも大好きだった。大好きだったから、自分のせいで母が苦しむ思いをする事も知っていた。
あたしは「シロ」なのに、どうして「白」じゃないんだろう。1人そんな事も考えていた。





子どもに弟が出来た。雪のように真っ白な、とても可愛らしい子だった。その翼も輝くほどの純白だった。
なんて綺麗な子なんだろうと、子どもは喜んだ。それと同時に、ひどく悲しんだ。


   どうしよう あたしがこの子の名前とっちゃった


子どもは、弟を抱く母に頼みにいった。


   お母さん あたしの名前この子にあげる その方がきっと似合うから


しかし母は、頼みをまったく聞いてくれなかった。


   あなた以外に「シロ」は存在しないのよ この子にはこの子の名前があるんだから



弟は、愛の色と天使の色を足して「桃」になった。
子どもは弟が自分の色のせいで汚れてしまったような気がして、申し訳なかった。



   あたしの名前似合わない この名前がすごくもったいないわ


   そんな事言わないで あなたのためだけの名前何だから もっと誇りを持って



子どもが駄々をこねるたび、母は微笑みながらそう言った。何回も何回も言った。子どもが飽きてしまうほど言った。
子どもは、いじめられたり翼をからかわれたりした時、必ず母に駄々をこねにいった。


母に励ましてもらう事が、何よりも励みになったから。

駄々をこねるたび、母が苦しい笑顔を作る事を知っていても、止められなかった。





弟を産んだ後、まるで、力を使い果たしたように母は弱っていった。
浮かべる微笑みが消えそうに儚くて、子どもは何回も泣きたくなった。


   いやだ あたしを置いていかないでお母さん 

   いつものように笑ってよ 心配ないよって言ってよ すぐに元気になるっていったじゃん


   お母さん疲れちゃったの? あたしが駄々をこねるから? 他の人にいじわるされるから?



   あたしの翼が 赤いから?



問いに答えるべき人は、笑うように穏やかに眠った。




父は泣かなかった。でも夜中に1人で泣いていたのを知っている。
弟も泣かなかった。母親が死んだ事も理解できないほど小さかったから。

子どもは泣いた。涙を見せなかった母の分、子ども達の前で泣けない父の分、小さい弟の分、そして自分のために、一晩中泣いた。

泣いて泣いて、泣きながら思った。



   あたしのせいなんだ あたしの翼が赤いせいで お母さんは死んじゃった


   「モモ」もきっとあたしが名前もらっちゃったせいで体が弱くなっちゃったんだ


   お父さんもお仕事で あたしの翼の事ですごく苦しんでいるもの


   みんなあたしのせいだ あたしの翼のせいだ


   お父さんが可哀想 「モモ」が可哀想 お母さんが可哀想



   みんな ごめんね ごめんね





その日から子どもは翼を隠した。
赤い翼のことは皆知っているから、他の天使の態度は変わることはなかったけど。翼が無いと上手く力が出ないけど。
力が出ない分はたくさん食べた。それで補って、翼は絶対出さなかった。

まるでその紅色の翼を恥じるように。子どもは天使のシンボルを隠し続けた。





   みんなごめんね あたし 嘘ついてずっとずっと隠してた


   これだけはね 見せられなかったの とても怖かったから


   だってみんなが あたしの初めての友達だったのよ


   もう無くしたくなかったの みんなが離れていくのが怖かったの



   だからごめんね  ワガママでごめんね



   あたしは




「あたしの翼は、真っ赤なの、血の色なのー」


ぐいぐいとあらしと弥生を引っ張りあげながら、シロは泣いていた。
目を見開いて、しっかりと手を握り締めて、涙をボロボロこぼして泣いている。


「気持ち悪いでしょー、ごめんね、ずっと隠してたのー」


赤い羽根が目の前を掠める。重力に逆らい、優雅に空へとのぼる赤い翼。
あらしは半分呆けたまま、それを見つめた。


「あたし「白」じゃないの、でも、「シロ」を貰っちゃったのよー」


浮き島の上にいた仲間達もそれを見ていた。シロの言葉を聞いていた。


「ずっと皆に謝りたかったの、ごめんね、ごめんねー」


ズルズルとあらしと弥生を浮き島の上へと引っ張り上げる。駆けつけ集まった皆の前にシロは降り立った。
背中に、紅色の翼を生やしたまま。


「ずっと黙ってて、ごめんなさい……」


シロは涙を流しながらうつむいた。皆が見てる。「赤」を見てる。
きっと怒ると思った。何で黙ってたんだ、何でその翼は赤いんだ、騙していたのか、と。

天使は白い。でもシロは白くない。でもシロは「赤」を隠して「白」を演じていた。
シロは皆を騙したと思っている。怖かったからなんて、言い訳だ。大事な仲間に大事な事を黙っていたんだから。

怒られる事を、怒鳴られる事を覚悟して、シロは立っていた。じっと待った。


そして最初に聞こえた音は、ほう、というため息をつく音と、



「……綺麗だ」



その言葉だった。え、と思わず顔を上げるシロ。すると、


「綺麗、すごく綺麗だよ、すごいよシロ!赤い翼なんて初めて見た!すごいなあ、すごく綺麗だ」


何やら興奮した様子であらしが次々と言葉を発する。目を輝かせてすごいを連発する。「赤」を綺麗だと言う。
ポカンとしていたシロに、今度はクロが走り寄ってきた。


「おいシロ!何で今まで出し惜しみしてたんだよこの翼!うわ、すげえ!オレこの翼なら欲しい!ぜってえこれなら飛べる!」


片翼で高所恐怖症の彼が、この翼を欲しいと言う。これなら飛べると、しきりに羨ましがる。
え、え、と混乱する様子のシロに、ウミが近付いてきた。


「俺、こんなに綺麗な赤色を見るの初めてだ……。真っ白より好きだな。色がある方が綺麗だ」


青い海の世界に住んでいる人魚に綺麗な赤色だと褒められる。天使の白より好きだと微笑まれる。
シロは、さっきとは違う理由で泣きそうになった。ぎゅう、と精一杯目を閉じて我慢する。
そして、やたらと嬉しそうな仲間に、叫ぶように言った。


「な、なんで!あた、あたし、白くなんて無いのに!こんなに真っ赤なのに!」

「皆血の色だって、呪われてるんだって言ったのよ!それなのに、おっおかしいじゃない!」

「綺麗なんかじゃないわ!赤いから、あたしが赤いからお母さんは、モモはっ」

「あたしは「白」じゃない!赤なんて嫌!「シロ」じゃない!シロじゃ…!」


「シロさん」


肩に触れられ、ハッと目を見開くシロ。目の前には、優しく微笑む華蓮がいた。
華蓮はそのまま包み込むようにフワリとシロを抱きしめた。


「赤くても、いいんですよ」


ぐっと息が詰まった。体が温かい。言葉が温かい。固く、強張っていた心がその温かさによって解けていくようだ。


「赤くても、シロさんは「シロ」さんでいいんですよ」


ああ、と、シロは声にならない声を上げていた。ああ、これだ、これが欲しかった。
ずっと言いたかった。これがずっと、言いたかったんだ。


   あたしの名前、似合わない。お母さんにずっとそう言ってた。


「違う!」


   お母さんに言いたかったのは、そんなんじゃない。


「あたし、違うの!似合わないとかじゃないの!」


   ねえ聞いてお母さん。


「あたし、この名前、大好きなの!」


   苦しそうに笑うお母さんに、一番言いたかったの。


「大好きだったの!大好きだから、嫌だったの!」


   赤いのに「シロ」だって。他の天使に言われたから。


「あたしは赤いけど、「シロ」が大好きなの!」


   「シロ」ってお母さんに呼ばれるたび、仲間に呼ばれるたび、嬉しかった。


「あたし、「シロ」がいいの!」


   ねえ、お母さん。


「赤いけど、白く無いけど!」


   ずっとね、こうやって聞きたかったの。


「あたしはずっと、「シロ」でいたいの!」


   あたし、「シロ」でいていい?「シロ」になっていい?





「もっと誇りを持って」



   お母さんに何度も言われた。なんだ、お母さんは答えてくれてたんだ。



「あなたのためだけの名前なんだから」



   あたしに、あたしだけのために、一番最初に「シロ」をくれてたんだ。





「「シロ」」


仲間達の声。華蓮の肩越しに顔を覗かせれば、そこには皆いた。シロの名前を呼んでくれた。

心が完全に解け切った。温かい。全てが温かい。


「みんなぁー!」


シロは涙声で、それでも精一杯叫んだ。


「あたしは、「シロ」よー!」


「うん、シロ!」
「なーに当たり前の事言ってんだよシロー」
「シロ以外の何があるんだ?」
「シロさんは、シロさんですからね」


うわあっと声が出た。泣き声だ。シロは華蓮にしがみつきながら、声をあげて泣いた。

昔、「シロ」を母から最初に貰った。そして今、仲間達から再び「シロ」を貰った。



   シロ、シロ、シロ、それがあたしの名前。



シロは泣きながら、綺麗だと言ってもらった自分の赤い翼を初めて好きになれた。

だってこの「赤」はもう、自分の名前の妨げにはならないのだから。

04/10/31