結界
華蓮はすぐに出発した。紫苑を元に戻せる可能性が高まって、いてもたってもいられなくなったのだ。
どれぐらい急いで出てきたのかというと、食べかけの朝食をそのままにしてきたぐらい急いでいた。
せかせかと早足で歩く華蓮の後ろから、慌てて駆け足でクロがついてくる。
「おい!いくら何でも急ぎすぎなんじゃねーの?村に帰ってきたばっかりじゃねーか」
「クロさんこそ、ついてこなくて良いんですよ。これは私の問題ですから」
多少歩みを遅めながら華蓮が言うと、クロは手をパタパタ振ってきた。
「や、オレ魔王に顔も見せてきたし、地獄戻っても暇なんだよ。だからついでだし、手伝ってやるって」
「両親には会ったんですか?」
「いや、父ちゃんはともかく母ちゃんにはいい……。おっかねえから」
ブルッと体を震わせて呟くクロ。それほどまでにクロの母親は恐ろしい人なのだろうか。
しかし、と口を開きかける華蓮だったが、クロの言葉の方が早かった。
「それに、その魔法使いがこの近くにいるかも知れねえんだろ?」
「まあ、それはそうなんですが……」
近くに魔法使いがいるかもしれない。そうやって教えてくれたのは父だった。
―― 最近森の奥に怪しい場所があるんだ。魔法使いが住み着いてるんじゃないかって噂になっているが…… ――
確実な話ではなかった。しかし調べる価値はある。だからこうやって華蓮は歩いていた。
ちなみにリュウは、また奥さんに怒られてしまうとそのまま帰っていった。どうやら闘技会に参加したのは内緒にしてきたようだ。
「今更帰れって言ったって、リュウもういねえしよ」
「……仕方ないですね。邪魔はしないで下さいよ」
「チェッ、せっかく手伝ってやろうってんのに邪魔すんな、かよ」
「手伝ってくれと頼んだ覚えはありません」
ブチブチ2人で言い合いながらそのまま歩く。華蓮が前でクロが後ろ。微妙な早足で静かな森の中を突き進む。
「なあなあ、その怪しい場所ってのはどこにあんだよ?」
「そうですね……このまま休み無く進んだら夕方頃には着くでしょう」
「はあ?!休み無しで夕方!それを近いって言うのか?!」
「旅としては十分近いですよ」
「……まあ旅としてみるならそうだけどよ」
その時、嫌な予感がしたクロはためらいつつ華蓮に尋ねた。
「お、おい……。まさか、本当に休み無しでいくつもりじゃあないよな?」
「無論、そのつもりですが」
「おいい!そんな事したらオレ疲れ死ぬだろ!まず腹が減るっつーの!」
ぎゃーぎゃーわめきだしたクロに、華蓮は馬鹿にしたような目でふっと笑った。
「軟弱ですね」
「そういう問題じゃねえ!」
「嫌なら、悪魔なんですから自力で飛んで帰ればいいじゃないですか」
「てめえオレが飛べないの知っててそれを言うか?!」
静かだった森をわずかに騒がしくさせながら2人は進む。
歩くにつれ、」周りから他の音が聞こえなくなるのにも気づく事無く。
「そういえば……おかしいですね」
「……何がおかしいって?」
あれから本当に休み無く歩いて何時間か経過した。空はそろそろ夕暮れへと色を変えつつある。
よくここまで頑張ったオレ、とか思いながら、いきなり口を開いてきた華蓮にクロが首を傾げる。
「いえ、周りが静かなものですから」
「はあ?この森は最初から静かだったじゃねーか」
「……まったく、いつも無意味に騒がしいからこの変化に気づけないんですよ」
「キーッ!わざとらしくため息なんぞつきやがってー!」
怒りを抑えるようにジタバタとその場で暴れるクロ。それを眺めながら、華蓮はあたりを指差した。
「いくら静かといいましてもね、生き物の活気というか、そういうものが森にはあるんですよ絶対」
「あー……何となく分かる気がする」
「しかし、今よく見てくださいよ。生き物の気配があまり無いじゃないですか」
「おお、確かに」
ポンと手を打つクロ。
華蓮の言うとおり、周りには生物の気配がしなかった。本当に何もかもが凍ったように、無機質な空気だけが漂っている。
森で育った事も無いクロだったが、今のこの状況が異質なものだという事ぐらいは分かる。
「何だ?その、怪しい場所って、ここか?」
「いえ、もっと先のようです。行きましょう」
「まだ先かよー……」
それからしばらく2人は黙々と歩いた。そんなに長い事歩かぬうちに、いきなり華蓮が歩みを止めた。
ダラダラついてきていたクロは思わずぶつかりそうになる。
「わっ!な、何だよいきなり!」
「……どうやら、ここのようですよ。例の場所」
「何っ?!」
顔をあげたクロは、ハテ、と首をかしげた。前を見てみるが、特に今までと変わったところは無いように思える。
クロは怪訝な顔で華蓮を見た。
「どこが怪しいんだよ?他と同じじゃねーか」
「疑うのなら、このまま真っ直ぐ歩いてみてください」
「真っ直ぐ?」
言われたとおりクロは真っ直ぐ歩いていった。だが特になにも起こらない。
ほれ見ろ、とクロが口を開きかけた、その時だった。
ゴッ
「あがっ!」
何かに激しく顔をぶつけたクロはそのままひっくり返ってしまった。
痛む鼻を押さえながら涙目で前方を見ても、やっぱり何も無い。
「いっ今のは何なんだ?!」
「どうやら結界が張ってあるようですね、ここ」
「結界ぃ?!って分かってたんなら先にそれを言えよ!あーいてぇ……」
「体に直接分からせた方がいいと思ったんです」
まったく悪びれずに言い切った華蓮は、結界の壁があるだろう空間へ手を伸ばした。すぐに見えない壁に手が触れて、先へはいけない。
華蓮が用心深く辺りを見回しているうちに、クロがのそのそと起き上がってきた。
「じゃあこの先に行けねえのか?」
「みたいですね。でも……魔法使いがいるとしたら、きっとこの先にいるでしょう」
「この結界、壊しゃいいのか?」
クロが結界にべったり張り付いている間に、華蓮は無言で腰から何かを取り出していた。
華蓮愛用のその小型拳銃を、静かに結界へと向ける。
「クロさん、そこ動くと死にますよ」
「は?」
とたんにドンドンと破裂音が2発、森の中に鳴り響いた。固まったクロの左右には2つ、銃弾がめり込んでいる。
クロがカタカタ震えだす頃には、2つの弾は地面に落ちて、空中に何の後も残ってはいなかった。
「うーん、やはり」
「やはり、じゃねぇぇー!お前せめて人のいない方向に撃てよー!」
「結界を作り出す媒介があるはずなんですが……」
「聞いとけー!」
騒ぐクロを完全に無視した様子で何かを探し始める華蓮。
こいついつか思い知らせてやるとブツブツ呟きだしたクロは、左右に何かを発見した。
「……あー?」
「どうしました?とうとうボケましたか」
「違えよ!ほれ見ろ、変な玉が浮かんでんだよ!あっちとあっちに!」
「……玉?」
クロの指差すほうを見てみれば……あった。宙に浮かぶ、人の顔ぐらいの大きさの玉が。
鈍い光を発しているその玉は、ここから左右に1つずつ浮かんでいる。しかもどうやらギリギリ結界内に存在するようだ。
「これは……。もしかしたらこれが結界を作り出してるのでは」
「マジでか?!でも結界の中にあるんじゃどーしよーもねえじゃん」
「……いえ、いけるかもしれません」
明らかにはぁ?と訳の分からない顔をしたクロのために、華蓮は説明してやる事にした。
「いいですか?さっき弾がこの結界にめり込みましたよね」
「ああ、オレの横を2つほどな」
「ただの鉛玉でめり込むんですから、先の尖ったもので何らかの力込めて突けば、もしかしたら突き抜けるかもしれません」
「……そんなもんか?」
納得のいかない様子だったが、クロはいそいそと背中から三つまたのヤリ、ぐんぐにるを取り出してきた。
「じゃ、これで突けばこの壁突き抜けてあの玉壊せるかもしれねえんだな!」
「めいいっぱい力込めて突いて下さいよ。では、私はこっちの玉を」
「……え、拳銃じゃあ突き抜けねえんだろ?」
反対側の玉のほうへと歩いていった華蓮に、クロが戸惑いながら尋ねる。すると華蓮は、笑顔で振り返ってきた。
何故かクロは、その笑顔が何よりも怖いものに見えて思わず一歩後退する。
「クロさん、私は誰で、何ですか?」
「え?え、えーっと……お前は華蓮で、オオカミ女だろ?」
「そう、私はオオカミ女です。で、今空には何が出ていますか?」
「空って……」
クロが上を見上げると、そこには濃い藍色の空が広がっていた。いつの間にか、日はもう沈んでしまっていたようだ。
まぶしい太陽の変わりに、今は静かな白い光を放つ三日月が真上に浮かんでいる。
「……月が出てるぞ」
「月とオオカミは、どうやら不思議な繋がりがあることをご存知ですよね」
「オオカミになるのは月が丸い時じゃなかったのか?」
クロの言う通り、オオカミ人間は満月を見るとオオカミに変身してしまうらしい。
しかし今見たとおり、今日は三日月だ。満月ではない。華蓮はチラッと月を仰ぎ見て、ハッと鼻で笑った。
「オオカミ人間を見くびるんじゃありませんよ」
「へ?ど、どういう意味だよそりゃ」
「月さえあれば……。こういう事も出来るんですよ」
華蓮はこちらへ向けてスッと右手の甲を見せてきた。いや、正確に言えば、手の爪を見せてきたのだ。
クロが見つめる中、爪は、いきなりぐいっと上へ伸びた。
「……?!」
「これなら、あのしょぼい結界を貫くことぐらい出来るでしょう?」
10cm以上鋭く伸びた爪を見せびらかしながら華蓮がフフッと笑う。
何だか本気で恐ろしくなってきたので、クロは急いで体を玉のほうへと向けた。
「よ、よっしゃー、準備もととのった所でさっそくいってみようじゃねーかー!」
「そうですね」
華蓮は爪の伸びた手を前へ突き出し、腰を低くして構えた。
クロも、勢いよくぐんぐにるを突き刺せるように後ろへと引く。
「一気にいきますよ」
「っしゃー!いくぞー!いっちにぃのー」
「「さんっ!!」」
2人は同時にヤリを、爪を突き立てた。どちらも結界に負ける事無く、そのまま透明の壁を貫いていく。
そして先が玉に触れたと思うと、あっけなくパンと割れていた。
「!」
「割れた?!」
声を上げたとたん、その場が一瞬にして真っ白になった。しかしすぐに元の景色が戻ってくる。
ただ、2つの浮かぶ玉の姿が無い。それに……。
「……お、おお?もしかして、結界消えたか?」
「どうやら、成功したみたいですね……結界、消えてますよ」
「マジで?!いやっほーう!ざまあみやがれ!」
喜び飛び跳ねるクロと、安堵のため息をつく華蓮。
しばらく結界を打ち破った喜びに浮かれた2人は、すぐに正面に向き直っていた。
「……いきますよ。何があるか分からないんですから、覚悟しておいて下さいね」
「お、おう!」
前方には、怪しげな雰囲気が立ち込めていた。
04/09/11