一人旅



そこには、やはり何も無かった。見えるのは、どこまでも青い空にどこまでも茶色な大地。
はっきりと見える地平線の上には小さく連なる山々が見える。その山の上には黒く立ち込める雲。あそこだけ嵐でも来ているのか。
これと同じような景色を、以前にも見たことがある。今座っている、この場所から。


「……まあ故郷といえば、やっぱりここか……」


ここだけはいつまでも変わらないなあとあらしはぼんやり思う。
水の妖精ルーの作った渦の中に飛び込んだ後、気づけばあらしはこの何も無い平野の真ん中に立っていた。
ルーが「故郷を思い浮かべろ」とか言うからだ、と悪態をついてみる。


この場所は非常に良く覚えている。目を覚まして、初めてこの目で見て、覚えた景色だからだ。


あらしが今座り込んでいるのは、小さな瓦礫の山の上だった。

数年前、この瓦礫の中に埋もれるようにしてあらしは横たわっていた。目を開けて起き上がって、そして見たのがこの風景だ。
その映像はずっと消えることが無かったので、ある人に名を尋ねられた時とっさに「あらし」と名乗った。
その日からあらしは「あらし」となったわけである。


「でも、これからどうしよう……」


はあっとため息を付きながら空でも仰いで見る。成り行きでここに来てしまったのだが、どこへ行けばいいのか本気で分からなかった。
今までだって目的地なんて無かったはずなのに、これは一体どうしたのだろう。
どうしてこんなにも空虚が胸の中にわだかまっているのか。

今までこんな思いをしたことなんか、無かったのに。


「……ああめんどい……もう、ずっとここにいようかな」


歩き出すのが面倒だった。ここにいて、ずっと空を眺めていればどれだけ楽だろう。旅は楽しいが、同時に辛い事も沢山あるのだ。
あの時ここから一歩を踏み出さなかったら、今どうなっていただろう。
今のこのぽっかり穴の開いたような気持ちを感じることも無く、ここに存在していたのだろうか。
今からこうしていても、これは消えていくのだろうか。

自然とあらしが目をつぶった、その時だった。


「ほう、珍しい所に来たものだ」


いきなり人の声が聞こえてきて、あらしはぎょっとなって目を開けた。すると目の前に、黒い人影が見えるではないか。
確かに今までこの平野には誰も、というか何も無かったはずなのに。
いきなり沸いて出てきたようなその人物に、あらしは声も出ない。

しかもその人物がまた普通の格好ではなかった。黒い人影は文字通り上から下まで全て黒かった。
頭にはシルクハットを被っており、体全体をマントで覆っている。手にはなにやら大切そうに鎌が担がれていた。
怪しい。怪しすぎる。

まるで影から生まれ出てきたような、しかしそれでは闇すぎる、そんな人物だ。


「いっいきなり誰だっ!」


少々びびりながらも声を上げるあらし。すると黒い人影は、口を三日月の形にゆがめて答えた。


「"神"だ」
「……?!」


こいつは危ない。というかキチガイだ。絶対そうだ。いきなり自分を「神」とか名乗る奴がまともなわけが無い。
さっそく逃げ道を探し始めるあらし。しかし自称神はじいっとこちらを見つめている。正直、気味が悪い。


「……?」
「ほう……ほっほう。なるほど」


次の瞬間、自称神は顔を伏せて上目遣いにこちらを見つめながらクスリッと笑った。あらしの腕に鳥肌が立つ。


「なっななな、何だよ!」


ほとんど半泣きの状態で叫ぶと、自称神はスッと手を伸ばしてきた。そしてひたりとあらしを指差す。
そのまま自称神は言った。


「お主、変わった魂を持っていると思ったら、なるほど変わった生まれ方をしているな」
「……え?」


今このキチガイ何て言った?生まれ方?何でそんなものが分かるんだ?
呆けているあらしの顔を見て、またもや自称神はクスリと笑う。頼むからその笑いだけはやめて欲しい。キモイ。


「考えていることが顔に出ているぞよ。何故、と尋ねたいのだろう?」
「な、何で……」
「何故なら、我は“神”だからだ」


無意味に胸を張って見せる自称神。しかしあらしはそれに耳を貸さずに声を荒げる。


「何で、僕が持ってないものまで分かるんだよ!」
「うむ?」
「生まれ方も故郷も家族も皆僕は分からないのに、お前は分かるのか?!」


身を乗り出してくるあらしを見ながら、しばし自称神は考え込むようにあごに手を置く。
その後、何故かますます嬉しそうにクスクス笑い出した。この自称神、動作がいちいちキモく感じる。


「お主、本当に知らぬのか?」
「え?」
「自分の事を本当に何も知らぬのか?」
「し、知らないよ!覚えてないんだから!」


ムキになるあらしから目線をそらし、自称神は空に顔を向けた。


「覚えてない、か……くすくす」
「……?」
「我には分かるぞよ。お主の正体が」


バサリとマントを広げながら笑う自称神。思わせぶりなその口調に、あらしはムカムカと腹が立っていた。
何よりこいつの表情がキモイ。


「それじゃあ教えろよ!その正体ってやつを!」
「それではつまらぬだろう?」
「ムカーッ!じゃあどうしろっていうんだよっ!」


思わず刃物を出しかねない勢いのあらしに、自称神は言った。


「ヒントを出してやろう」
「……は?ヒント?」
「自分の正体は自分で探すのが一番だぞよ」


ヒントとは一体どんなものなのだろうか。緊張した面持ちで次の言葉を待つ。


「ヒントとは」
「………」
「もっと知る事だ」
「……はあ?」


思わずあらしは呆れた声を出す。しかし自称神は全然気にした様子もなくむしろキモイ笑顔で手を広げた。


「お主は知らぬ事が多すぎる。もっと色々なものを知ればおのずと自分という存在も分かってくるのだぞよ」
「……それって全然ヒントになってないじゃんか!」
「旅をしていたのだろう?その中で知ったことが山ほどあるだろう?」


言われて反論しようとしたがあらしは言葉に詰まっていた。確かに、旅をしていて学んだことはそれこそ沢山ある。特に……近頃は。
口をつぐんだあらしを見て、自称神はまたもやクスリと笑った。


「図星だな?」
「………」
「さて、我は忙しいのだ。そろそろ帰るぞよ」


いそいそと大切そうに鎌を抱えなおす自称神。その様子に、あらしは慌てた。


「え!帰るの?!」
「寂しいか?」
「いや正直この世から消えて欲しいぐらいキモイけどちょっと待ってよ!結局ヒントってあれだけ?!」
「そうだぞよ」
「あれじゃあ何にもわかんないよ!どうしろっていうのさ!」
「ふっ、我の知った事か」
「んな自己中な!」


座り込んでいたところから立ち上がったあらしに、自称神はクスクス笑いながら言う。


「歩き出せばいいであろう。お主には“足”があるのだからな」
「……?!」
「我は人形の手入れをしなければならぬのだ。サラバだぞよ」


そう言うと、自称神は溶け込むようにスッと消えてしまった。まるで最初からそこには何も存在しなかったように気配が消える。
しばらくあらしは、その場に呆然とした面持ちで立っていた。
結局あのキチガイ自称神は思わせぶりなことを沢山言っておいて何一つはっきりとは教えてくれなかった。何だったんだ一体。

もう一度、あの自称神の言葉を思い出してみる。もっと知る事だと、あいつは言った。自分には、知らない事が多すぎる、と。
そんなに知らない事ばかりだろうか。


そこであらしは考えてみた。今まで何を知ってきただろうか。
旅に出るまで世話になっていた人には、日常のことをいろいろ教えてもらった。
そういえばあの人がギルドを紹介してくれたんだっけ。それから、1人で旅に出た。

1人になれば知る事は多かった。旅の基本はもちろん身の守り方人との接し方それから……数え切れぬほど。
他の旅の人々にも出会って、色々教えてもらったりもした。それが何年か続いた。

そして、仲間ができた。ほとんど無理矢理で成り行きだったけれども。仲間たちからは、一体何を知っただろうか。


そこまで考えたあらしは、そこから言葉にできない事に気づいた。
確かに知って、学んだ。その証拠に、仲間と別れた後何かが抜けていった気持ちを知った。これも言葉にできない。
こんな言葉にできないもの沢山、あらしは知らなかった。

そうだ、まだ知らない事がある。この感情も知らない。だって今までずっと一人旅をしてきたのだから。


愕然とした。何てことだ。まだ知らない事ばかりではないか。


あらしは初めて知りたいと思った。今まで入ってきた知識は全て勝手に入ってきたものだ。
自分の正体だって今まで知りたいとも思わなかったのだ。しかし今、初めて自分というものを知りたいと思った。

知りたいと思うと同時に、期待と不安が襲ってきた。何に対しての期待なのか、何に対しての不安なのか、それは分からないけど。
それも知りたい。もっと色んな事が知りたかった。


知るためには、一体何をすればいいだろう。


「……そうだ、歩けばいいんだ」


あらしはポンとひらめいた。とても簡単なことだ。ヒントを貰うまでもない。
立ち止まっていては何も見えない。何も動かない。自分が動かなければ、周りの景色だって変わらないだろう。

だから、歩き出せばいいのだ。


「あっ、でもどこにいこう……ここには何もないしなー」


周りを見回してみる。数年前と変わらない風景。だからこそ、ここからはもう何も学ぶことはない。
ここは確かに良く覚えている場所で、あらしの故郷であるかもしれないが、あらしの知りたい事はもう何も無い場所だった。
ここは、去るべき場所だ。

そこで、目の前の山の上の遠くにある嵐を見た。嵐に巻き込まれては大変だ。反対方向に進まなければ。
反対方向といえば。


「……あの街かあ。そうだ、マスターに挨拶でもしにいこうかな」


旅に出る前に世話をしてくれた恩師を思い出す。あれから一度も会っていない。元気だろうか。顔を見せたら喜ぶかもしれない。


あらしは今までたっていた瓦礫の山から、一歩を踏み出して歩き出した。

その一歩が、どんなに重要なものであるかを知る事もなく。

04/08/05



 

 

 
















ところで、今回出てきた(キモイ)自称神は、共に相互している「メーカーズ」に出てくるやっぱりキモイ奴です。
登場させる許可を頂きました。向こうの方が10倍ぐらいキモイので、そのキモさが是非見たいという人は是非見に行ってくださいね。
ご協力ありがとうございましたー>杏社長