足跡



道を外れて川をのぼっていくと、森は自然と深くなっていった。人魚の村は本当に小さなものらしい。
河人魚の村なのだと、女性は横たわりながら説明してくれた。


「私の村と似たような感じですね」


華蓮が懐かしむように目を細めた。手は首からぶら下げている黒い石のついたペンダントを握っている。
彼のことを思い出しているのだろうか。


「カレンの村ってー、オオカミ人間の村ねー!」
「そうですよ。こういう森の中にある小さな村ですが」
「あなた……オオカミ人間なんですね……」


女性が物珍しそうに見上げてきた。まあ人魚も珍しいものなのだが。


「ええ、ちなみに珍しいのは私だけじゃないんですよ」
「そうよー!あたしは天使だしー、クロは悪魔だものー!」
「まあ……」


シロの言葉にさすがに女性は驚いた表情だ。一度にこれだけの種族を見れる機会はそうそうないだろう。


「皆さんバラバラなのに、共に旅をしているなんて……素晴らしいですね」
「えへへー、仲良しなのよー!」
「そうですね……ただの人もいますがね」
「そうだね平凡っていいよね凡人に生まれてよかったよ本当」


あんまり凡人ではないが普通に人間しているあらしは今はもう涙が止まっていた。顔を洗ったのが効いたのだろうか。
とそこで、三輪車をこいでいたクロが振り返ってきた。


「おーい、このまま真っ直ぐ進んでいいのか?おばちゃん」
「あ……はい、川を伝えば村につくはずです……」
「随分と森の中にあるんだな」


不安そうにウミが辺りを見渡している。海育ちだから森の中の生活というのが信じられないのだ。
女性は、その様子を見てフフッと笑う。


「水さえあれば……私たちは生きていけますから……」
「ああ、確かにな」


今人魚に足りないものがあるとすれば、それは涙だけ。一番近くにある水がないだなんて皮肉なものだ。
その時、


「あ?」


クロが妙な声を上げた。前方に何かを発見したらしい。何だ何だと、箱の方に乗っていた仲間たちも身を乗り出してくる。


「なになにー?どしたのー?」
「村があった?」
「いや村はまだ見えねえ。けど、足跡ならあるぜ」
「「足跡ぉ?!」」


こんな森の中に足跡が?


「それって、動物の足跡じゃあないんでしょうね」
「ちげーよ!ほら、よく見てみろよ!」


クロがむきになって指差した地面を見てみれば…確かに人の足跡だ。
しかもその量が半端ではない。今ここにいる人数より多い。


「……何で、こんな所にこんなに足跡が」
「これを見ると、最近出来た足跡のようだな」


ウミが不吉な事を言う。無数にある足跡をじっと見ていると、何だか気味が悪くなってきた。
怖くなってきたあらしの横で、華蓮があっと声を上げた。


「この足跡、その河人魚の村の人たちのものじゃありませんか?」
「「え?」」
「この近くに村があるのでしょう?なら、足跡があってもおかしくありませんよ」


ですよね?と華蓮が問うと、女性はゆっくりと頷いた。


「はい……村の者も、たびたびここ辺りに来ますから……」
「な、なーんだ!そうかー!」
「っはは……!いやー、ビビって損したぜまったく!」
「未知の生物やおっかない敵かと思ってタルに隠れる所だった……」
「あはははー!」


笑いながらクロは三輪車をこぎ始めた。ビビって思わず止まってしまっていたのだ。箱はゆっくりと足跡の横を通り過ぎる。
その時改めて足跡を眺めた女性の口から、絶望に沈んだ声が漏れる。


「……ああ……」
「どうしたのー?」


シロが女性の顔を覗き込む。さっきより心なしか青ざめているような。


「これは……人魚の足跡じゃありません……」
「「……え?」」
「人魚はあまり靴を履きません……でもこの足跡は、全て靴の跡です。これは……私の村の者の足跡ではありません」
「「………」」


言われて見てみれば、ウミも女性も靴ではなかった。
ウミなんてビーチサンダルだ。あの、歩くとペタペタ音が鳴る、あれだ。靴なんかではない。


「……つまり、どういう事?」


再び恐怖の舞い降りてきたあらしが問うと、今にもぶっ倒れそうな女性が答えた。


「つまり……人魚ではない人が大量に……この人気のない森に今現在もいる、という事です……」
「……うぇ」


声を漏らしたのは誰だったのか。次の瞬間、箱の中はパニック状態となっていた。


「どっどどどいういう事?!これどういう事?!」
「この森に人はあまり来ないはずという事は敵か?!敵なのか?!」
「いんのか?!近くにいんのか?!ぐんぐにる準備か?!」
「どんな人なのー?美味しいのかしらー!」
「先制攻撃という事でためしに撃ってみますか?」
「あの、皆さん……とりあえず落ち着いて下さい……」


女性の控えめな声に、5人は一旦落ち着きを取り戻した。


「まずは……村に行ってもらえませんか?心配なので……」
「……そうですね。近くには誰もいないみたいですし」
「よ、よーし、このまま真っ直ぐだよな、行くぞーっ!」


自分を励ますように掛け声をかけて、クロはまた三輪車をこぎ出す。箱は、ゆっくりと足跡の上を通過していった…。





「……ちょっと止まって下さい」
「んぁ?」


制止を促したのは華蓮だった。足跡を過ぎて、もうすぐ村だという所。華蓮は目を細めて周りを見渡している。


「カレンどうしたのー?」
「もうすぐ……村なんですが」


シロと女性が戸惑ったように尋ねてきた。それに華蓮は、なおも見渡しながら答える。


「近くに誰かいますよ」
「「!」」
「誰かって、村の人じゃないのか?」


ウミがそう言うと、華蓮は小首をかしげた。


「そうなのかもしれませんが……隠れているみたいなんですよ。村人が隠れているのは少しおかしいでしょう」
「確かに……」
「すごいなあ華蓮。そんな事まで分かるのか」
「ふふっ。まあオオカミ女ですから」


あらしにおだてられて胸を張る華蓮。すると女性がそろそろと箱から顔を覗かせた。


「もしこれが敵だったとしたら……村はどうなったんでしょう……」
「とりあえず村に行ってみっか?」
「そうだね。ここでこうしてても始まらないし」


それじゃあ、と箱がまた進みだそうとしたその時、目の前にパッと何かが飛び出してきた。


「お母さん!」
「「!」」
「……!その、声は……」


女性が急いで身を起こす。出てきたのは、6,7歳ぐらいの男子だった。
怖いのか体は震えているが、その場から逃げようとはしない。


「よくもお前らお母さんをさらったな!覚悟しろ!」
「「え?!」」
「違うの……違うのよトム。この人たちは助けてくれたのよ……」


飛び掛ってくる男子を女性があわてて止める。どうやら息子のようだ。


「お母さん大丈夫?いきなり流れていっちゃったから心配したんだよ」
「ええ……大丈夫よ。あなたこそどうしてこんな所に……」
「あ、そうだ!大変なんだよお母さん!早く逃げなきゃ!」
「え……?」


ぐいぐい引っ張り出す息子トムに、女性は困惑している。


「ここに来る途中、足跡無かった?あれ、兵隊さんのなんだ!人間なんだよ!」
「……何ですって……?!」
「それで村に来たから皆あっちに逃げたんだ!僕らも逃げなきゃ!」


女性はあわててこちらに振り向いてきた。そんな女性に、1つ頷いてやる。


「よし、そっちに行こう!」
「じゃあ早く行きましょー!見つかっちゃうわー!」
「っしゃー!出発だ!おらてめえも乗れボーズ!」
「え?え?」


戸惑うトムを引っ張り込んで、箱は進路を変えて川から離れていった。

茂みに潜む、もう1つの気配に気づく事も無く……。

04/06/02