人魚の声



「……さっきから面白いほど止まりませんねそれ」
「なあ、あれってそんなに止まらないもんだっけか?」
「俺は流した事も無いから知らんが」
「よしよしー、泣き虫ねーあらしはー」
「うっさいもうほっとけっ!」


頭をなでてくるシロの手を払ってあらしは再び突っ伏した。どうやらさっきから涙が止まらないらしい。
まるで止め方を知らないように、後から後からこぼれてくる。


「……これで病気が治ればなあ……人魚全員助かるんだろうな……」
「うわ、ウミの目が据わってるし……!」
「切羽詰ってるのねー」
「無駄ですよ人魚じゃないんですし。まず平凡顔ですし」
「平凡顔のどこが悪いんだー!」
「何ならオレの美しい涙でも使ってみるか?今からあくびでもしてみるからよ!」
「いや遠慮しとこう……逆に悪化しそうだ」
「んだとおらぁ!」


こうやって騒いでいるのは、森の中の道を進む箱の上だった。
上の方に今回の事は連絡入れるよといっていた男門番の元から旅立ってきたのだ。
結局、あの火事は焚き火の不始末が原因ではないかという事になったが……。


「でもあのお人形さん、可哀想だったわー……」


泣きはしないものの、シロが悲しそうな顔で呟く。
優しく微笑みながら燃えていった(らしい。あらしがそう言うので)あの女門番は、崩れた瓦礫からは見つけられなかった。
きっと完全に燃えてしまったのだろう。見た所木製のようだったから。
せめてもと、燃えてしまった門の片隅に小さな墓は立ててきた。


「大丈夫ですよ。あの人はきっと無事にあの世へ逝ったでしょうから」
「……うん……そうねー」
「だから、いい加減泣き止んでくださいよあらしさん。ウザイですよ」
「くそーウザイ言われたっ……!僕だって止めたいよコンチクショー」


まだあらしがメソメソしていると、まだ目が据わっていたウミがピクリと反応した。


「……お、あらし、近くに川があるぞ。顔でも洗ってきたらどうだ?」
「え?本当?」
「ちょうど良かったじゃないですか。その汚い顔さっさと流してきなさい」
「汚いって!確かに汚いけど……!……じゃあちょっと行ってくるよ」
「足滑らせて溺れんなよー」
「余計なお世話だ!」


箱を降りてぐすぐすしながらあらしはウミの指し示した方へ歩き出した。人魚なだけに、水の事に関してはウミは信用できる。
そう、水の事に関してだけは。その証拠に、しばらく行くとちゃんと川にたどり着く事が出来た。


「あー……水気持ち良いなあ」


落ちないような体勢を作ってから水をすくってバシャバシャ顔へとかける。
熱くなった目が川の水で冷やされて、非常に気持ち良い。これなら涙も止まるだろう。


「あーついでに飲み水の確保でもしとこうかな」


箱に戻って入れ物でも持って来ようかと立ち上がりかけたあらしは、次の瞬間体の動きを止めていた。
一瞬だったが、何か声が聞こえたような気がしたのだ。弱々しい、しかしどこか通る声が……。


「………」


しかし今はもう聞こえない。幻聴だったのか。


「そう、気のせいだ気のせい。こんな所で誰かの声がするわけ」
「……すいません……」
「あったーっ!」


思わず飛び上がったあらしはすぐさま後ろを振り返った。そう、声はすぐ後ろから聞こえたのだ。
しかし、後ろにはあの川しかないはずなのだが……。


「だ、誰かいるの?!」
「……ここです……」
「え?」


声は川の中から聞こえた。そんなバナナ。違う馬鹿な。
あらしが目を凝らして川の流れを見つめていると、ふと見えた。人間の頭くらいの大きさの岩にしがみつく、人の手が。


「あーっ!いたーっ!」
「……助けて下さい……」
「ちょ、ちょっと待ってて!もうちょっと頑張ってて!」


あらしは手を伸ばそうとして、自分の手が相手に届かない事を悟った。この川、よく見たら結構大きいのだ。
川の真ん中辺りに存在する岩まで、手では届きそうに無い。


「ご、ごめん!手届かないし僕泳げないんだ!」
「そう……ですか……。……もう……だめ……」
「わー!頑張ってー!だ、誰かー!手長い人か泳げる人ー!」


あらしがわーわー叫んでいると、声を聞きつけた仲間たちがぞろぞろとやってきてくれた。
1人で叫んでいるので何事かと思ったのだろう。


「どーしたんだー?溺れたのか?」
「溺れてるのは僕じゃなくて!あの人!」
「……あー!本当だわー!溺れてるー!」


それを聞いたとたん、ウミが飛び出した。ちゃんと背中のタルをおろしてから、だったが。
そしてそのまま川の中にドボンと飛び込む。


「ウミー!頑張れー!」
「きゃーっ!ウミ今だけかっこいいわー!」
「唯一の取り柄ですからねこれが」


褒めてるのかけなしてるのか微妙な声援を送っていると、水の上へ顔を出したウミが今にも手を離しそうな人を抱え込んだ。
すると、驚きの声を上げる。


「な……!こ、この人……!」
「どうしたんだウミ!また知り合い?」
「いや、違う……この人、人魚だ」
「「はあ?!」」


岸上から見た所その人は女性のようだが……。人魚も溺れるものなのだろうか。


「人魚の川流れ……か」
「それよりこの人引き上げるの手伝ってくれないか?けっこう流れが速いんだこの川」
「よーっし、まかせろ!」


クロがウミから女性を引き取ってズルズルと引き上げた。上半身は普通の人間だが下半身は……魚だ。この人は確かに人魚だ。
しかしすぐに足は人間の足に変化していった。


「本当に人魚だったんだこの人……!」
「わーい女の人魚だわー!もう会えないかと思ったわー」
「ま、待て待てシロ!この人弱ってるから甘噛みでも死んでしまうぞ!」


川から出てきたウミがあわててシロをおさえる。ほっておいたら本当に腕あたりに噛み付きそうだ。
女性は、弱々しいながらもちゃんと息をしている。


「……すいません、ありがとうございました……」
「いやいや。それより……大丈夫?何か顔色悪いし」
「人魚なのに何で溺れてたんですか?足でもつったんですか?」
「いえ……息子に魚でも取ってやろうと思ったんですが……体力が続かなくて……」


何とこの女性は子持ちらしい。しかし、体力が続かないとは、最初から体調でも悪かったのか。
女性は、震える手を持ち上げて川上の方を指差した。


「重ねてすいませんが……私を村まで連れて行ってくれませんか……?」
「村?」
「人魚の村です……小さな村ですが、あっちにあるんです……」


知ってるか、とウミに目で聞いてみれば、彼は首を横に振った。きっと本当に小さな村なのだろう。


「どうせあっちに行こうと思ってたし、いいよね」
「あたしはいいわよー!」
「私も別に構いません」
「同族だから、俺は助けてやりたい」
「よっしゃ!決まりだな!じゃあ箱に戻ろうぜ!」


女性はクロが背負ってやった。少しの距離も歩けそうに無いぐらいぐったりしていたからだ。
女性は青い顔のまま、ウミを見て微かに微笑んだ。


「本当は……普通の人に人魚の声を聞かせては駄目なんです……だから同族がいて良かった……」
「え、そうなの?」
「ええ……あまり人魚の存在を知らせては、いけないんです……」


ウミは、複雑な表情で女性の言葉を聞いていた。父親のことを思い出しているのだろう。
するとそこで、華蓮が女性に問いかけてきた。


「それにしても随分と体調が悪そうですね。まさか病気なんじゃないですか?」
「げっ、大丈夫かよおばちゃん!」


クロが失礼な呼び方をしているが、子持ちなのだから仕方ない。女性は弱々しく微笑んでみせた。


「人魚にしかかからない病気なんです……。今の所、治す手立てが無くて……」
「「……!」」
「まさか……その病気は」


ウミが目を見開いて尋ねれば、女性は小さく頷いた。


「はい……『ナミダ病』です……」
「ウミ……!ナミダ病ってやっぱりあの」
「……ああ、あの病気だ」


ウミは苦々しそうに言った。人魚の涙でのみ治す事が出来るらしいナミダ病。
しかし、今の人魚は誰一人として涙を流す事は出来ないという。事実上不治の病だ。


「夫は先に病で……逝ってしまいました。村はきっと、もうすぐ全滅するでしょう……」
「「………」」
「本当……矛盾していますよね……。涙さえあれば、それだけでいいのに……」


女性の声はか細かった。その目からは、不自然なほど涙はあふれてこない。こう考えれば、何て残酷な病なのだろう。
人魚たちはこんなにも苦しんでいるというのに、それをあざ笑うかのように病は体を蝕んでいく。
するとウミが、絞り出すように声を出した。


「……すまない」
「「!……」」
「……すまない……」


それは誰へ、何に対しての謝罪だったのか。その震える声は、確かに泣いていた。彼は、声だけで泣いていた。
それに、女性はやはり微笑むのみ。


「謝らなくても良いんですよ……ありがとう、ございます……」
「ああ……すまない」
「はい……ありがとうございます……」


涙の出ない人魚たちの泣き声は、ひたすら心に悲しく響くばかりであった。

04/05/26