優しい人形



ただじっと佇む無表情のその肌に触れてみれば、確かにそれは硬かった。
何かの木で出来ているのか、しっとりとはしているがつるつるの表面。彼女は確かに人形だった。


「すっげえー!あんた人形だったのか!全然わからねーよ!」
「人形なら人形だって言ってくれれば良かったのにー!」


女の周りではクロとシロがキャーキャーはしゃいでいる。まあ、それも今回は仕方が無いだろう。
自分の意志で動く人形なんて、2つともないだろうから。


「……何かの魔法で動いていたりとかするんですか?」
「いやそれは分からないんだ。あの子も、気づいたときはこうやって門番やってたって言ってたしな」
「じゃああの女門番、おじさんより前からここにいるのか……」


残りの3人は火をおこす男門番とのんびり会話をしている。いや、1人だけ落ち着きが無い。
静かにただじっと女門番に見つめられているあらしだ。


「……なんだろう、あの人、いつもああなの……?」


女門番から必死に目をそらしながらあらしが問うと、男門番も首をかしげた。


「いや、むしろあの子があんなに他人に興味を示すのはすごく珍しいよ。おれが見る中では初めてだなあ」
「嘘っ!何で?!」
「平凡な顔つきの人間がタイプなんじゃないですか?」
「平凡は嬉しいんだけどさ華蓮……さすがに僕もへこめるよ……」
「誰かとあらしが似ているのか?」


色んな可能性を考えてみたが、これだ!というのは思い浮かばなかった。
女本人に聞いても「別に何でもありません」とか言って答えてくれないのだ。その間に、男門番は火をおこし終えている。


「よし、出来た。今日の夕飯はバーベキューだぞー!」
「「おおーっ!」」


だんだんと日が落ちてくる空の下で、野菜や肉が火にあぶられて良い匂いをあたりに漂わせる。
こんな中で食欲が沸かない人間なんていないわけで、全員思いっきりバーベキューをかみ締めた。


「っあー!外で食う肉はうめえなー!」
「おいクロ……バーベキューなんだから生肉食べずに焼けよ」
「シロさん、ちゃんと野菜も食べなきゃいけませんよ。ほら、私の分です」
「わーいありがとー!カレンって優しいのねー!」
「シロ騙されてる、騙されてるから」


ふとあらしが隣に目を向けると、そこにいつの間にか女がしゃがみこんでいたので思わず肉を噴き出す所だった。
燃え盛る炎に顔を照らされながら、真っ直ぐにあらしを見ている。その視線から、あらしは目をそらすことが出来なかった。


「な、何……?」
「あなたは」


女は、無機質な声を出す。しかし、それに何か思いがこもっているようにあらしは感じた。


「あなたはこれから、どこへと行くのですか」
「……え?」
「その足でどこへ歩き、その目で何を見るのですか」
「……?とりあえず目的は、ウミの人魚の病気治しに華蓮の恋人治しに……」


しかし、そこで女は首を振った。


「違います。あなたの、目的は何ですか」
「……は?僕の目的……?」


女のその真剣な目に、自然とあらしも真剣に考え込んでいた。
人の形を持つ彼女の考えは分からなかったが、この問いがとても大事なもののように思えたのだ。


「僕は……昔の記憶が無い、けど、別に記憶を探してるわけじゃないんだ」
「では、何を探しているのですか」
「……僕の、帰る場所、かな」
「帰る、場所……」
「そう、帰る場所」


あらしは女を見た。女もあらしを見た。そして次の瞬間、女は1つこくりと頷いた。


「分かりました。ありがとうございました」
「あ……う、うん」


満足したのか、女はあらしから目線をそらしスタスタと歩いていってしまった。
対してあらしは、しばらく女の後姿を呆然と見つめた後、男門番に尋ねる。


「……ねえ門番のおじさん、あの人、笑うの?」
「え?いや、おれは見た事ないなあ。何てったってほら、人形だしな」
「………」


しかしあらしには確かに、確かにあの女が、微かに微笑んだように見えたのだ。





眠れるわけが無い。あんな意味深な質問をされてさらにあんな風に微笑まれてしまったら。
という事で、あらしはベッドの中で1人目を開けていた。
きっともう深夜だろう。久しぶりのちゃんとしたベッドだというのに、何だかもったいない気分である。


「……結局、何だったんだろう」


女のことを思い出す。人形らしい無機質な瞳だったが、その眼差しは人間以上に真っ直ぐだった。まるで何かを見定めるように。
一体彼女は、何を見ようとしていたのだろう。
考えがまとまらなくて、あらしはガバッと起き上がった。


「っあー!駄目だ、夜風にでも当たろうかな……」


夜風に当たるとよく眠れるとか教えてもらった事がある。そのままチラッと窓を見たあらしは、一瞬我が目を疑った。
いやそんなまさか。だって、こんな真夜中に煙なんて…。それもサンマを焼くときの数倍の量なんてまさか。
しかし、何だか焦げ臭い匂いを感じ取った瞬間、あらしは隣のベッドをバシバシ叩いていた。


「ちょっ……!こ、これ火事?!火事なの?ねえ!」
「あーん?あと5分寝かせてくれよ母ちゃーんむにゃむにゃ……」


しかし運悪く隣はなかなか起きないクロだった。パニックになったあらしは思わず、刃物で窓を叩き割っていた。


「起きんかわりゃー!火事だーっ!」
「か、火事?!どこだ火事どこだ?!」
「火事だと?!は、早く井戸あたりに隠れなくては……!」
「もう食べられないわよーえへへ……」
「何ですかこんな夜中に……気のせいとかだったら撃ちますよ」
「気のせいじゃないってほら煙があんなに!焦げ臭い匂いもするしっ!」


確かにあらしの言う通りだ。煙も見えるし焦げ臭い。
全員で顔を見合わせていると、とどめにバンとドアを開けて男門番が転がり込んできた。


「たっ大変だ!起きるんだ!下で火の手が上がってる!火事だぞ!」
「「……ぎゃーっ!」」


状況を把握した5人は慌てて走り出した。下で火の手が上がっているという事は、早くしなければ脱出も出来なくなってしまう。


「急げ!こっちだ!」
「おいシロ起きろって!逃げんぞ!」
「んー?新種の食べ物ー?」
「ぎゃー!かっかじるなー!」
「早く言ってくださいよ!燃え死ぬ前に撃ち殺されたいんですか!」


火は1階の部屋から出ているようだ。ちなみに5人が寝ていたのは2階なので、階段が火に包まれれば終わりだ。
幸い、まだ火はそこまで来ていない。
一番最後を走っていたあらしは、階段を下りる直前に後ろを振り返って、思わず足を止めていた。
そこに女が、じっと立っていたのだ。


「……な……!何してるんだよ!早く逃げないと燃えちゃうぞ!」


皆は先に下へと降りていった。煙も多くなってきたので、早く降りないと危ない。
あらしが呼びかけると、女はあらしの方に顔を向けた。その瞳には光が無く、そしてやっぱりどこまでも真っ直ぐだった。
無言の女にあらしが再度呼びかけようとした時、女が口を開いた。


「私の帰る場所は、ここなんです」
「……え?」
「私はここにいました。だからここを離れることは出来ません」
「……!何言ってるんだよ!」


あらしは駆け寄って女の腕をつかんだ。やっぱり、硬くて冷たい。それでも、放っては置けなかった。


「いくらなんでもおかしいだろ!この建物と心中する気か?!」
「そうです」
「っ!だっ駄目だっ!一緒に逃げよう!早く!」


必死に腕を引っ張って連れて行こうとするあらしを、女はただじっと見つめる。
その瞳は無機質なはずなのに、どこか悲しそうだ。


「……駄目なんです。ここを失ったら、私は帰る場所がありません」
「そんなの!無くなったら、また探せばいいじゃないか!」


あらしの言葉に、女はハッとしたように反応した。しかしすぐに、その瞳により一層悲しみの色を滲ませる。
それはどこか、全てを諦めたような悲しい表情で……。
女は腕を握るあらしの手を、もう一方の手でスッと静かに外した。


「私には……出来ないんです」
「出来るよ!誰にだって!」
「いいえ、私には出来ません。でも……あなたなら出来ます」
「……は?」


背後に炎が迫ってきてるのを感じる。しかし、あらしはその場を動くことが出来なかった。
女の目が、真っ直ぐに自分を見ている。


「かつて一歩を踏み出したその足でまた……探すことが出来ます」
「何言って……」
「だから……あなたはこれからも、歩き続けて下さい」
「!」


女が、突然あらしを突き飛ばした。その背後にあるのは階段で、宙に浮けないあらしは当然階段を転げ落ちてしまう。
1階まで落っこちてしまったあらしが顔を上げると、そこは火の海だった。階段はもう使えない。


「……そんなっ!」


バッと階段の上を見上げると、女がこちらを見下ろしていた。勢いよく巻き上げてくる炎に、今にも包まれそうだ。
ゴウゴウと燃える炎の音に負けないように、女が声を上げる。こんなに燃える音がうるさいというのによく聞こえてきた。


「私は……人形だから、何も出来ないんです。ここに在り続ける事しか出来ないんです」
「なっ……!」


言葉を失うあらしに、女は静かに、静かに言った。まるで周りの音がいきなり止まってしまったかのように、静かに。


「私は人形だから、笑いません。涙も出ないし、怒りもこみ上げてきません」
「……!」
「それに……」


女はオレンジ色の光をバックに、真っ直ぐ立っている。その姿が、とても綺麗だった。



「こんな硬い体だから、痛みも感じません。だから……大丈夫です」



その言葉に、あらしは思わず声を上げていた。


「何が……!何が大丈夫なんだよ!」


ダンとこぶしを床に打ちつけてなおもあらしは叫ぶ。自然とこみ上げてくるものを止めようともせずに。


「あんた今、笑ってるじゃないか!笑える奴が、痛みを知らないわけないだろ!」


そう、女は確かに笑っている。悲しそうに、しかし優しく笑っている。笑いながら、涙を流すあらしを見下ろしている。


「あんたは人形なんかじゃないよ!痛みも知ってて、笑うことも出来る人間だよ!」


涙が止まらない。止める気もない。ボロボロ零れる雫を、女は微笑みながら見つめた。


「私の代わりに、泣いてくれているのですね……」
「……っ!」
「私は……嬉しい。人形なのに、嬉しいんです」


心から嬉しそうな声で、女は言う。ほら、人形が嬉しさを声に出して、笑っている。


「ありがとう……嬉しい……ありがとう、あらし」
「っ嫌だー!死ぬなー!」
「ありがとう……ありがとう……」


伸ばした手は届かず、人形は静かに微笑みながら炎に包まれる。音は、やっぱり聞こえない。
赤く輝いた顔に、涙の幻を見たような気がする。


人形の顔は、嬉しさに満ち溢れていた。




国と国とを繋ぐ門は、赤い炎の中で静かに消えていった。





夜明けが来た。日の光は、無残にも瓦礫の山と化した門を明るく照らす。門は全焼だった。何も残らなかった。

建物があった辺りの瓦礫の前に、1人の少年が立っていた。無傷とはいえないが、少々かすり傷があるぐらいの軽症。
その目からは依然として涙は止まっていない。
そこへ、この門の門番だった男が近づいてきた。


「……あの子は自分の意思であそこに残ったんだ。確かに悲しいが……あの子は人形だ。そんなに悲しむ事は無いよ」


男門番は慰めるために言ったのだが、あらしはブンブンと首を横に振った。


「違う!あの人は……ただの人形なんかじゃない!」
「……!」
「……ただの人形なんかじゃ、無かったんだ……」


ずっと頭の中に引っかかっていた。人形は、人形なんかじゃない。ただの人形なんかじゃないんだ。
でもそれを言葉にしようとすると、恐ろしく難しい。だから、涙を流す。

正直自分でも何でこんなに涙が出てくるのか分からない。しかし、止めようとは思わなかった。

あらしは、涙に濡れた瞳で空を見上げた。夜明けの薄い空は、どこまでも高い。


「……君はきっと、あの向こうに行ってしまったんだろうなあ」


まるで呼びかけるように呟く。
炎の中微笑んで見せた、あの悲しいほど優しかった彼女が、あの空の向こうで涙を流せればいいと思う。
それまでは僕が、流しておいてあげよう。


「何だ……行けたじゃないか。君も、空の向こうへ」


優しい人形。きっと君を忘れる事は無い。


空の向こうで、少年の心の中で、彼女は生き続ける。

04/05/15



 

 

 















あらしと女門番(人形)の関係は……見ていけば分かると…分からない人にはなんじゃこりゃですが。