世界



かつて、これほどまでに感激した顔を見たことがあっただろうか。
いつも散々苛められて良い所も無い、顔はいいのにその背中にひび割れたタルを背負った彼の、ウミの感激したその姿を。
その彼の目の前に広がるのは、青々とした母なる海。


「……海だ……!」


まさに感激の涙を流さんばかりである。まだ流してはいないが。その横に、やがてクロとシロも追いついた。


「うおー!何じゃこりゃーっ!」
「きゃー!海だわー!」


叫ぶクロと歓声を上げるシロ。クロは海を初めて見るらしい。


「ウミ?これウミか?」
「言っておくが俺の事じゃないからな」
「この大っきーい青いのを、海っていうのよー!」
「っへー!何だ、名前同じなのに随分と色々違うんだな!」
「どういう意味だ!」


大きな海を目の前にして、3人ともおおはしゃぎだった。それと対照的に、1人だけやたらと沈んだ面持ちの者が。


「大丈夫ですって、別に泳ぐわけじゃないんですよ?船に乗るんだから安心でしょう」
「……もし沈没とかしたら……」
「そんな事めったに無いですよ。多分」
「……本当に、どうしても海を行かなきゃいけないの?」
「何回目ですか。ここから東に行くには険しい山脈があるから、海側を通った方がかなり安全で、しかも早いんですよ」
「でも海の上も十分に危ない!これは言い切れる……!」
「……あらしさんも結構諦めの悪い人ですね」


超の付くカナヅチであるあらしには、船に乗って海の上を浮かべというのはもはや拷問に近い事だった。
しかし、華蓮が説明するように、向かう先には結構な険しい山脈が存在する。
ので、船に乗って山脈をよけて進むしかないのだ。


「くそっ……!今日以上に山を憎んだ事は無い……!」
「海はどうなんですか」
「憎む前に怖いっ!」
「……そうですか」


さっきからあらしを宥めている華蓮はふうっとため息をついた。
もうこれは既に(無理矢理の多数決で)決定した事なのだから、諦めれば良いものを。


「ほら、早く歩かないと3人とも行っちゃいますよ」
「ううー……」


後ろの2人がノタノタしている間に、ウミとクロとシロは海に向かって駆け出していた。
トップを走るのは、珍しくウミだ。


「っただいまー!」


波打ち際に立って、思わず叫ぶ。今まで水とは程遠い所を旅していたのだからそう叫びたくもなるだろう。
その背中に、シロが飛びついてきた。


「ここにウミが住んでたのー?」
「いや、俺の故郷の海はもっと別のところなんだ」
「遠いー?」
「遠い……かな。でも全ての海はつながっているから、この海も故郷のようなものだ」
「そうねー!」


和やかに話していると、箱を引っ張ってきたクロが追いついた。そして、


「ひゃっほー!初海ー!」


バシャバシャと海に飛び込んでいった。


「うひゃー冷てーっ!気持ちいいー!」
「あーっ!ずるいわよクロー!」


それを見たシロもすぐさま海に駆け込んだ。ウミは、足元の水の感触を楽しむようにゆっくりと歩いている。


「……ぐはっ。何だこれしょっぺぇ!」
「ああ、海の水は塩水だからな」
「塩水だあ?何でだよ!」
「知らん!」
「普通の水より美味しいわー♪」
「の、飲むなよシロ、塩分の取りすぎは体に悪いんだぞ!」


そこへ、砂浜に放置された箱へとやっとあらしと華蓮も追いついた。


「いくつなんでしょうかねえあの人たちは」


呆れたように華蓮がそう言うと、あらしが水平線を見つめながら呟いた。


「あの向こうにも地面が続いてるなんて思えない……」
「海なんですから、絶対続いてるでしょう」
「……こうやって見てる分には普通に綺麗なのになあ」
「そんなものでしょう、自然というのは」
「ううっ」


まるで子どもを見守る親みたいに3人の様子を観察していた華蓮とあらしだったが、そこへビショビショに濡れたクロがやってきた。


「よおよお、何見てるだけーな状態になってんだよ!お前達も来いよ!」
「濡れるから嫌です」
「入ったら死ぬし」
「死なねーよ!浅いし死ぬ前に助けてやっから来いって!」
「ぎゃー!前にもあったこんな展開ーっ!」


無理矢理引きずられていくあらしを、華蓮はニヤニヤ笑って見つめるだけだった。


「ほぉれ飛び込んで来ーい!」
「ひぎゃー!」


悲鳴とともに上がる水しぶき。そして上がってこない1人の人間。
様子を見ていた4人は、冷や汗をタラリと流しながら顔を見合わせた。


「っかしーな、ここ、浅いよな?」
「私でも足がつくわよー」
「あ、どんどん流されてますよ」
「しまった、あまりの沈みっぷりに助けるの忘れてた!」


かくして、溺死する前に無事あらしは海の中から引きずり出されたのだった。
こんなに泳げないとはもしかして、昔変な実を食べて海に嫌われでもしてしまったのだろうか。


「しょっぱい……目痛い……死ぬ……」
「あーあ、いじけちゃったじゃないのー」
「こりゃあトラウマになるな」
「一体誰のせいで……」
「まあまあ、とりあえず船乗り場の方に行きましょうよ」


華蓮が無理矢理話を変えたおかげで、今回刃物の逆襲は起こらなかった。
5人中4人が濡れた状態で移動を始める。もちろんこの状態で箱には乗れないので、全員徒歩だ。


「ウミ、探してる仲間って、海に住んでるの?」


何気なくあらしがウミに尋ねた。ふと、そういえばウミは仲間を探してたんだったなと気付いたからである。


「さあな……正直、まったく分からないんだ」


ウミは憂鬱そうなため息をつきながら答えた。


「ただ、水のある所にはいるだろうけどな。後は、噂とかを頼りに探すしかないし……」
「一体どうして仲間とはぐれたりしたんですか」


成り行きで出てきた華蓮の言葉だったが、ウミはうっと詰まってしまった。


「……?何ですか、人に言えない事をやらかしたんですか?」
「い、いや、別にそういうわけじゃないんだが……」
「すごく怪しいわー!」
「まさか、誰かにまた騙されでもしたんじゃねーだろうな?」


クロが言うと、ウミはさらにギクッと反応した。本当に素直な人魚だ。


「本当にそうなんだ……」
「ち、違っ!」
「あははー!ウミってばスナオなのねー!」
「だってなあ、あいつが「ナミダ」があるとか無いとか言うから……!」


と、そこでウミは自分の口をバッと塞いだ。目が泳いでいるところを見ると、さっきのはかなりの失言だったようだ。


「「………」」
「あ?涙が何だって?」
「……や、何でもない。忘れてくれ」
「中途半端な所で終わられちゃ余計気になるじゃないですか」
「本当に何も無いんだ。本当だ」


言葉もどことなく棒読みだし冷や汗流してるし何も無いわけが無いのだが、ウミは珍しく断固として言わないつもりらしい。
無理に聞き出すのも酷だろう、という事で、あらしは話を逸らす事にした。


「そいうえば皆、今回の作戦は覚えてるか?かなり嫌だけど」
「当ったり前よー!」
「おう!完璧に覚えてるぜ!」


皆すぐにのってきた。背後で安堵のため息が聞こえる。一日一善だ。


「もうすぐ船乗り場に着きますからね。心の準備は良いですか?」
「「おーう!」」


張り切る仲間達の横で、あらしはチラリと海を見た。どこまでも続く青い海は、全てを飲み込んでしまいそうだ。
しかし、この海の向こうには、まだ世界が広がっているのだ。
自分の知らない世界、いや、ただ忘れてしまっているだけかもしれない世界が。
海は怖いが、その世界をいつか見てみたいとは思う。


「……よし、行こう!」


5人の旅人達は決意を固めた顔で前進する。向かうは、1つの船乗り場。作戦は、そこから始まる。


そう、彼らの全財産は、未だに金貨3枚のみだった。

04/03/20