しるし



森に、1つの銃声が響いた。パン、という、比較的軽い音だった。


「……!」


つうっと頬から血がつたう。華蓮は、信じられないような目で、自分の震える手を見つめていた。
拳銃を持つ己の手は、もう1人の手によって握り締められていた。
華蓮が恐る恐る顔を上げると、そこには、


「……紫苑……」


いるはずのない彼の姿。紫苑はゼイゼイ肩で息をしながら、華蓮の手を握り締めている。
拳銃から弾が飛び出す直前、紫苑がその手で僅かに軌道を逸らしたのだ。弾は、華蓮の頬をかすって、彼方へと消えていった。


「紫苑……何で……?」


手の振るえを抑える事が出来ぬまま華蓮が問う。
すると紫苑は1度大きく息を吸ってから、華蓮の手を握っている方とは逆の方の手を、大きく振りかぶり、


「馬鹿野郎っ!」
「!」


再び森にパン、という音が響く。しかし今度のは何かの破裂音ではなく、何かを叩く音のようだった。
赤くなった頬を抑えて華蓮が前を向くと、紫苑の左手は、華蓮のそれよりも激しく震えていた。


「し……」
「これで……頭冷めたか?正気に戻ったか?!」


紫苑が手をあげたのは、これが初めてだった。それほど痛くは無かったが、今のダメージは華蓮の内に深く、深く響いていく。


「おれ……!お前が死のうとしてるの見て頭が真っ白になったんだぞ!ひどく、ひどくびっくりして……!」


紫苑が声を荒げている。あの、いつも優しく笑っていた紫苑が、


「もしおれが間に合わなかった時はどうなってた?!華蓮……お前、死んでたんだぞ!」


目に涙をためて、こんなに震えて、


「お前が死んじゃったらおれ、どうすれば良いんだよ!一生、守るって……そばにいるって、誓ったのに!」


華蓮の手をまだぎゅうぎゅう握り締めて、このまま大声で泣き出しそう。


「……くそっ!男が先に泣くなんて、みっともない……!」


ぐいぐい涙を拭った後、まだ湿ったままの瞳を細めて、紫苑はとても紫苑らしい微笑を華蓮へ向けた。
それは、あの時まで常に、華蓮に向けられていたもので。


「……ああ、華蓮、生きてて、よかった……!」


それを言いたかったのは、こっちの方だ。

心の中の、ずっとこわばっていた部分がその時、ほぐれていった。


「……っ!紫苑……っ!」


拳銃を取り落とし顔を覆ってしまった華蓮を、紫苑は優しく包み込んだ。
紫苑は、声を上げることも無く、ただ嗚咽を漏らして涙を流す華蓮をただただ抱きしめていた。





「よかった……間に合ったみたいだね」
「カレン……よかったわねー……!」
「う゛おおっ……!いーい話じゃねーかっ!」
「……純愛だ……」


場面が場面なだけに出るに出れない4人の仲間たちは、物陰からこっそりと2人を見守っていた。





涙もおさまってきた華蓮は、改めて紫苑の顔を見上げた。


「……紫苑、そういえばどうしてここに……?!」
「ん?」
「だって、あの時紫苑は……!」
「ああ、実はさ、おれ死んでなかったんだ!」


紫苑は、華蓮を安心させるようにニコッと微笑む。


「石に変えられてたんだ。ほら、あの黒い石!」
「……え?あ、あれに?!」


よく考えれば、紫苑が消えたところにあの石が落ちていたのだから、それは十分にありえる話であった。
気が動転していて、それに全く気付く事が出来なかったが。


「も、盲点でした……」
「あはは、おれたち、ずっと側にいたんだな」
「……そうか、ずっと側にいたのね……」


うつむく華蓮をしばらく見つめて、紫苑は眉を寄せながら口を開いた。


「……ずっと側にいたのに……」
「?」
「話しかけてやることも、守ってやることも出来なかった……」
「紫苑……」


後悔するように項垂れてしまった紫苑に、華蓮が優しく微笑む。


「私はいつだってあなたに守られてた。あなたが側にいてくれただけで、私はそれだけで頑張れたから……」
「華蓮……」
「だから、そんな顔しないで」
「……うん、ありがとう……」


茂みの奥でドキドキしながら見守って(覗いて)いる8つの目に気付くことなく、2人は見つめあう。しかしその時、


「っくくく……残念だ、契約によって手に入った魂は、自分の自由に使えたんだが」
「「?!」」


ガサリと現れたのは鈴木だった。その姿を見て、紫苑がすぐさま飛び出そうとする。


「お前がっ……!」
「待って紫苑!」
「……え?」


困惑した様子の紫苑の前に立つと、華蓮は鈴木を真っ直ぐ睨みつけたまま、指を突きつけて声を上げた。


「私は、あなたに復讐するつもりでした」
「……?」
「しかし、今からそれを止める事にします」
「ほう……大事な人が生きていることを知ったからか?それとも」
「私は!」


鈴木の言葉を遮って、華蓮は高らかに宣言した。


「紫苑を、愛する人を助けるために、あなたと戦います!」


それは復讐ではなく、前へ、未来へ進もうとする華蓮の強い決意だった。

その瞳に暗い影などは、もうどこにも見当たらない。発されるのは、強い光だけ。

目の前にしゃんと立つ華蓮の後姿を、紫苑は圧倒されるように見つめた。


「……華蓮……!」
「っくくく……!面白い、ならば自分を倒してみよ。そして大事なものを、その手で取り戻してみるのだな」
「あなたに言われなくても、自分で掴み取ってみせますよ!」


瞬時に華蓮は拳銃を構えたが、すでに鈴木は逃げに入っていた。
消え行く鈴木は、見えなくなる前に1度だけ、にいっと笑ってみせる。


「まだどこかで会おうぞ、オオカミの娘よ」
「また逃げる気かっ!たまには男らしく向かって来いやこのノシイカ!」
「か、華蓮落ち着けっ!」


紫苑が慌てて華蓮を押さえている間に、鈴木は完全に消えてしまった。
しばらくそっちを睨みつけていた華蓮は、すっと紫苑を振り返る。


「紫苑、この後また、黒石に戻ってしまうのでしょう?」
「え?ああ、もうそろそろヤバイかもしれない……」
「そう……。ごめんなさい紫苑。もうちょっと、待ってて」


苦しそうに顔をゆがめる紫苑の手を、華蓮がぎゅっと握り締め、


「私が絶対、あなたを助けて見せるから」
「華蓮……」


紫苑が、幸せそうに微笑んだ。


「ありがとう……頑張れよ」
「言われなくても」


華蓮が見ている中、紫苑の姿はゆっくりと薄らいでいき、やがて、完全に見えなくなった。
それを確認してから、華蓮は足元に転がった黒石を拾った。


「………」


しばらく見つめる。そして1度目を閉じてから、大事そうに首へと下げた。


「……さて、これから一体どうしましょうかね」


華蓮は改めて顔を上げた。牢から出る時、あの4人とはハッキリと別れてきてしまった。
紫苑がやってきたのだから、牢から出られたとは思うが。

今更戻れるのだろうか。あの仲間達の元へ。

何だかんだ言って、華蓮はまだ他人に対して臆病だった。
初めて会った時は何となくついていったのだが、今は関わりすぎた。戻りたいと思っていても、受け入れてくれるだろうか。


「荷物もないし……とりあえず、戻りますか」


ため息をついて村の方へと歩き始める。たとえ1人で旅をする事になったとしても、自分はただ前へと進むだけだ。
そう、たとえ、1人になったとしても。

少しだけ眉を寄せて茂みを掻き分けた、その時、


「……あっ、カレンが来たわよー!」
「えっ本当か?」
「本当だ、やっと来た来た」
「遅っ!待ちくたびれたぜー!」


箱に乗った仲間たち4人が、普通にそこにいた。思わず華蓮はその場に立ち尽くす。


「……何……やってるんですか?」
「何って、ひどいなあ」
「帰ってくるのずっと待ってたのよー!」
「ほら早く乗れよ、今すぐ出発すんぞ!」
「村人がいつ探しにくるか分からないからな」


ほらっと手招きする4人を見て、華蓮は少しだけ躊躇った。


「でも……私は……」
「ってダー!ほらもう来やがったぞ!」
「何っ?!……本当だ、しかもさっきより人数増えてないか?」
「ぎゃーっ!は、早く行こう早く!」
「カレンー!早くーっ!」


呼ばれてハッとした華蓮は、次の瞬間箱に飛び乗っていた。


「よし行けクロ!全速力で!」
「っしゃー!」


勢いよく走り出した箱の背後には、村人達が迫ってきていた。


「あいつらがいたぞー!」
「まだ逃げる気かっ!追えー!」


しかし、村人達のスピードでは箱に追いつくのは無理そうである。
全員でホッと息をついた後、シロが嬉しそうに笑いながら華蓮に言った。


「おかえりカレンー!」
「……!……ただいま、です」


そうかえした華蓮の顔には、確かな強い女のしるし、笑顔があった。

04/03/15