復讐



私と紫苑は、知らず知らずのうちに付き合っていた。そもそも私がこうやって敬語を使うようになったのは、もう少し幼い頃からだ。
私の両親は2人共とても優しい。ずっと大好きだった。

少なくとも、本当の両親ではないと、知るまでは。





私がほんの赤ん坊の頃、村はずれに落ちていたのを両親が拾ったのだと、村の人が話しているのを偶然聞いてしまった。
それを知った瞬間、私は今まで本当の子どものように育ててくれた両親が、分からなくなった。
何故、両親はあんなに優しいのだろうか。
きっと両親は、私を実の子どものように、いや、それ以上に愛してくれている。もちろん今も。

でも、私は?この愛に、答える資格があるの?

そうやって毎日考えて、気付けば、私は他人と距離を置くようになっていた。
私は両親の愛を疑ってしまった。この疑いはきっと、一生付きまとうだろう。
そんな私が愛される資格なんて、無いのだ。





そうやって距離をとっていたというのに、紫苑という男はいとも簡単に私の心へと入り込んできた。
こんな愛想の無い女のどこが良いのか分からないが、紫苑は毎日私の元へやってきて、語って、笑って、私の側にいた。いてくれた。
それはもしかしたら、優しい人だから同情からの行動だったのかもしれない。しかし、そんな事はどうでも良かった。


私は、紫苑を愛してしまった。


紫苑は、私にこう言ってくれた。


「愛する資格とか、愛される資格とか、そんなの誰でも持ってるんだよ。君も、おれも、皆。……おれは、華蓮を愛したいんだ」


この人といると、私は許されたような気分になる。この人ならきっと、愛してもいい。愛されてもいい。
涙を見せないように頷くのは、大変だった。



紫苑に助けてもらって、言葉は敬語だけどちゃんと両親と普通に話せる事が出来るようになった。お父さんお母さんと、呼べる。
きっと紫苑がいなきゃ今の私はいなかった。
この人を失う事なんてもう、出来るわけが無い。



そんな時だった。あいつが、鈴木が現れたのは。



ただ、私たちは村の入り口にいただけ。そこで、一番最初にあいつに会ってしまっただけだ。


「……すいません、この村に何の用でしょうか」


見ただけで怪しいと分かるそいつに、紫苑はそう話しかけた。
この村はオオカミ人間の村。森の中にひっそりとある村なので、人の出入りは少ない。
それなのに妙な雰囲気をまとった男が1人でやってくれば、誰だって引き止めるだろう。紫苑ならなおさら。
男は、嫌なにやり笑いで答えた。


「噂に聞くだろう。村や町が、次々に襲われ、消えていっていると」
「それとあなたと何の関係が……」
「……まさか、その犯人はあなたとでも……?!」


私がそう言うと、男はにいっと笑った。それは即ち、肯定。


「何っ?!そうなのか?!」
「っくくく……」
「それじゃあ……この村も消すというのか?!」


叫ぶ紫苑に男は笑うだけ。すると、紫苑は男の前に立ちふさがって、両手を広げたのである。
その目には、ここを通さないという決意があふれていた。私は、その横でただ見ていることしか出来ない。


「ほう……立ちふさがるか」
「帰ってくれ!この村には手を出すな!」
「どけ。痛い目にあいたくなかったらな」
「嫌だ、どくものか!」


紫苑の本気を感じ取った男は、しばらく考え込むそぶりを見せた後またにやっと笑った。
その視線の先に呆然と立っていたのは……私。


「それでは……これでもどかないかね」
「何……?!」
「大事な、大事な子が危ない時でも」
「?!」
「華蓮っ!逃げろ!」


紫苑が叫ぶ。しかし、男ににらまれた私はその場から一歩も動く事が出来なかった。
体はただ震えるだけ。瞳はただ見開かれるだけ。開かれたままの口からは声も出ない。
私が見つめる中、男は手に何か光を集めて、それを放ってきた。


「華蓮!」


この一瞬というのが、私にとっては永遠に近いほどの長さだった。よく、スローモーションのように見えると聞くけれど、まさにそれ。
紫苑が私の前へ飛び出してきたのが、本当にゆっくりと見えたのだ。
紫苑にあの光が命中したと分かったのは、彼が悲鳴を上げてからだった。


「っうわああああっ!」
「紫苑ー!」


私は叫ぶ紫苑に触れることが出来なかった。手を伸ばしたその先にはもう何も無く……。

紫苑は、私の目の前から、消えてしまった。


「紫苑!紫苑!いやー!」
「っははは!身を挺して庇うとはなかなかだな」


男は残酷に笑いながら、私に背を向けた。


「今回は見逃してやろう。その男に感謝するのだな、オオカミの娘よ。っははは!」
「紫苑……!紫苑っ……!」


あまりにも突然の事に、私は涙もでなかった。ただ彼の消えた地面を見て、名を叫ぶだけ。
しばらくしてから、そこに小さな黒い石が落ちている事に気付いた。


「……紫苑……?」


私は、それが紫苑の欠片だと直感した。村を、私を、その身一つで守って見せた、彼の欠片。
それと気付いた瞬間、悲しみは一気にやってきた。
あの人は消えてしまったのだ。私の目の前から、私を庇って。


「っっうあああああああっ……!!」


石を握り締めて、私は声を上げて泣いた。こんなに激しく泣いたのは、きっと最初で最後だと思う。私はその瞬間、独りだった。

私は常に彼に守られていた。皮肉な事に、彼を失った今それに気付いた。私は、優しかった彼に甘えていたのだ。
ずっと支えてもらってた。支えを失った今どうだろう。私はこんなに弱いじゃないか。
いや、私は最初から弱かったのだ。ただ強がっていただけで、私は1人で立てると思い込んでいたのだ。

支えてくれていたその手に、気付きもしないで。



ごめんね紫苑。ごめんなさい。私が弱かったばっかりに、あなたは消えてしまった。

私のせいだ。私のせいで、紫苑……紫苑……!





やがて私は涙でぐしゃぐしゃになった顔をのろのろと上げた。そこにはもちろんもう、あの男はいない。

あの男。そうだ、あいつが紫苑を…。

そう思った瞬間、私の中に激しい憎悪が湧き上がってきた。あの男が、紫苑を、私のせいで、紫苑が……!
あいつだ、あの男だ。あの男が紫苑を消した。奪っていった。


私が今紫苑にしてあげられる事、それはもう、これしかない。


復讐だ。


復讐してやる。あの男に、紫苑を奪われた、復讐をしてやるのだ。

きっとあなたは、それを望まないでしょう。でももう決めたから。私が、決めた。
自分でも分かってる。これは、ただの私の罪滅ぼしだ。私が弱いせいで失ってしまった彼へとの、罪滅ぼし。
でも、今の私には、もうこれしかないのだ。



紫苑、私を怒るのは、全てが終わった後にして下さい。

それまで、待っていてくれませんか。



石を握ったままの手で涙をグイッとぬぐう。声を上げて泣くのは、これが最初で最後だ。
これ以上失うものは、きっともう何も無いから。


私は強くなる。今までのようにただ支えられるだけの存在ではなく、支えてあげられるような存在になるのだ。

それを、この石に誓おう。あなたの欠片である、この石に。



少しだけ待ってて紫苑。私は、強くなって見せるから。
強くなって、あなたの隣に立てるような女に、なるから。

だから、復讐へ走る私を、許して下さい。


……ただ、あなたと一緒にいるだけで、よかったのに……。






『華蓮は見た目より遥かに優しくて、弱い人なんだ。おれが守ってあげなきゃならないのに……』


過去を語った後、黒石へと姿を変えられた紫苑は悔しそうに呟く。
そこでクロが体をブルブル震わせているのにあらしが気付いた。


「クロ、どうした?」
「……じゃねえか……」
「は?」
「泣ける話じゃねえかよーっ!」


ドバドバ涙を流しまくるクロにあっけに取られていると、紫苑が震える声を出してきた。
石なのでよく分からなかったが、きっと泣いている。


『分かってくれたかっ!華蓮の儚さをっ!』
「いや儚さはともかくケナゲなやつじゃねーかカレンのやつーっ!」
『そうなんだ!健気なんだっ!』


こういう話にクロは弱いらしい。
この、泣きながら喚いている2人(1人と1個?)をどうしようかとあらしが悩んでいると、ウミがポツッと言ってきた。


「しかし、そうやって話せるならどうして華蓮に言ってやらなかったんだ?」
「そうよー!カレンってばシオンが死んじゃったって思ってるのよー!可哀相じゃないー!」


シロが詰め寄ってくると、紫苑は口ごもるように黙ってしまった。そしてしばらくしてから、躊躇いがちに答えてくる。


『……実は、おれがこうやって話せるのは、今まで力をためていたからなんだ』
「力?」
『普段はこんな風に話せないんだよ、石だから。だからずっと力をためてて……今回はただならぬ嫌な予感を感じたものだから』
「……そうだ、華蓮!」


ハッとあらしが立ち上がる。そうだ、こんな事をやっている暇は無い。華蓮を止めなければ。


「でも、この鉄格子がある限り外には出られないぞ」
「鍵はあそこにあるのにー」
「くそー!どうせならここ開けてから行けよカレンー!」


また鉄格子に張り付いて騒ぎだした4人の後ろで、床に転がった黒石から声が洩れる。


『そうだ、華蓮があいつに……!おのれ、そんな事、させるかーっ!』
「「?!」」


紫苑の雄叫びと同時に、牢屋内に激しい光が充満した。それは、黒石から放たれたものだった。


「ギャーッ!何だこれ!」
「眩しいーっ!」


その光の中から、バッと1人の男が飛び出してきた。黒い肌で背が高い、しかしどこか人の良さそうな印象を与える男。
そう、それはおそらく、紫苑だ。


「華蓮!今行くからな!」


人へと姿を変えた紫苑は、そのままガシッと鉄格子を握った。すると信じられない事に、鉄格子がいともたやすく押し広げられたのだ。
そこに一瞬で、人1人通れるほどの隙間が出来あがる。


「うおー!華蓮ー!」


紫苑はそのまま愛しい人の名を呼びながら外へと駆け出していってしまった。
残された4人は、急な展開に思わずポカンと立ち尽くす。


「……何であいついきなり人間になったんだあ?」
「多分、火事場の馬鹿力ってやつじゃじゃないかな……」
「さっきの鉄格子の力は、元からなのか、緊急事態だからなのか」
「もー!皆も早く行くわよー!」


立ち直りが早いというか物事を深く考えないシロが先に牢屋から出る。それを見て、我に返った残りの3人も慌てて外に出た。


「よし、とりあえず……」
「「急ごう!」」





華蓮は、1人で立ち尽くしていた。


「死ぬのならば1人にしてやろう。他の者がいると緊張してしまうだろうからな。っくくく」


そうやって言い残して消えてしまったので、今鈴木はここにはいない。ここにいるのは、体を震えさせて立っている、華蓮だけだ。


「………」


無言で拳銃を見つめる。これは、育ててくれた父が華蓮にくれたものだった。
これで自分の身を守りなさい。ただし、撃つべき相手を間違えないように。村から旅立つ華蓮に、そう言って渡してくれたもの。
その拳銃は今、自分の震える手の中にあって、その先は自分を向いたままだ。


「……っ!」


華蓮は激しく首を振った。今ここで紫苑を助けるために自分の命を差し出すことには、躊躇いはない。
しかし、自分は何のためにここまでやってきた?あの男に、復讐をするためではなかったのか。
だがその男が、今度は紫苑を蘇らせようと言う。分からない。私は一体、これからどうすればいいの?


華蓮は今、復讐と、悪魔の囁きに、板ばさみ状態になっていた。
この拳銃は、あの男を殺すためのもの。しかし、これで自分を撃てば、紫苑は助かる。

復讐すると誓った。しかし、彼は助かるかもしれない。

すべては、華蓮次第。


華蓮は、紫苑の笑顔を思い出していた。あの笑顔が、もう一度、蘇るなら……。


私はもう、それでいい。


目をつぶった。もし、またこの瞳が開かれる事があったら、その時は一番に彼を映せる事を祈りながら。

そしてゆっくりと、指が、引き金を……。


「華蓮ー!」




幻聴が、聞こえた。

04/03/10



 

 

 















華蓮の過去話でした。