小さな約束
「……おかしい。クロが来ねえ」
リュウは首をかしげながら歩いていた。
この地獄に滞在している間リュウは地獄ホテルに泊まっているのだが、クロはずっとリュウの元を訪れていた。
しかし、今日はまだ来ていない。
「何か急な用事でも出来たんかなー」
来れない時は前日に言うもんなーと思いながらリュウ。
毎日飛ぶ訓練に精を出すクロが、あれでも結構律儀な性格なので何も言わずにサボろうとするとは考えられなかった。
1回クロが母ちゃんに怒られてて遅れたことはあるが、今日はいくら何でも遅すぎる。
という事で、暇でもあるしリュウはクロを探している所なのだ。
「おーい竜のダンナー!」
「んあ?」
1人の悪魔に声をかけられて、リュウは空を振り仰いだ。その悪魔は忙しそうに飛んだまま話しかけてきた。
「実はな、しばらく地獄山には近づかないで欲しいんだ」
「地獄山ぁ?あのごっついでっかい山か?一体どうした?」
「いやな、地獄山にでっかい雷雲が出たんだ。あの山、特に地獄崖によく雷が落ちるんだよ」
「そりゃあおっかねえ山だな」
「ああ、危険だから絶対行くなと魔王様からの伝言だ」
「はーんなるほど。よし分かった」
リュウが頷いたのを見て悪魔は飛び立とうとしたが、すぐに振り返ってきた。
「そうだそうだ、ついでにクロにも言っといてくれ。あいつ見当たらないんだよ。あんたいつも一緒にいるだろ?」
「……ああ、伝えとく」
「ありがとな。ああ忙しい忙しい……!」
すぐに飛び去っていった悪魔を見送りながら、リュウは考え込んでいた。
地獄では、すぐに伝えたい連絡は伝達屋の悪魔が地獄内を飛び回って伝えている。さっきの奴もその1人だ。
スピードも速いし目も良いし、地獄を隅々まで知っている伝達屋がそれでもクロを見かけなかったとは。
……嫌な予感がする。
うーんと考えながらまた歩いていると、前方に何やら不審な様子の悪魔2人を見かけた。
しかもそいつらは、よくクロを馬鹿にしているやつらではないか。
ひどく慌てた様子で、リュウにも気がついていない。
(何だあいつら……)
「なあ、ちょっとやばくねえか?」
「だって……いきなり雷が来るなんて思わねえだろ?!」
リュウは自然とその2人の会話に耳を傾けていた。
「何であの時地獄崖なんて言ったんだよ!」
「ほっ本当にあるんだから仕方ないだろ?!」
「だけど竜花なんて他の所にも生えてるだろ!」
(竜花?)
竜の肩こりに効く竜花の話を何故この2人がしているのだろう。
「どうするよ……あいつ、まだ帰ってきてないみたいだし……!」
「でっでもあいつ飛べないんだぜ?!それであの崖を登るか?!」
「そ、そうだよな……いくらクロでも諦めるよな……」
「……おい」
いきなり背後から低い声をかけられて、悪魔2人はビックと飛び上がった。
そしてそこに立っていたのがリュウだと分かると、今にも泣き出しそうな顔になる。
「今の話……どういう事か説明してもらおうか?」
リュウがギロリと睨みつけると、2人はひえーっと縮こまった。
「いっいや、おれ達ただ地獄山に竜花があるんだって話してただけで……!」
「そうそう!クロがそれ聞いて勝手に行っただけなんだ!」
「……つまりクロの野郎、地獄山に行ったのか?しかも崖に?」
リュウには分かった。クロが何故竜花なんかを取りに行ったのか。竜にしか効かない花なのだから、答えは1つしかない。
「あんの馬鹿……!」
舌打ちしながら地獄山を見ると、いかにもな黒い雲が今にも光の槍を落とさんばかりに垂れ込めている。
雷に打たれれば、例え体の丈夫な竜でもまず無事ではいられないだろう。生身の悪魔ではなおさら。
リュウは後ろでブルブル震えている2人を振り返った。
「おいお前ら、念のためお偉いさんにこの事報告しとけ!」
「「え?!」」
「分かったな!」
「「は、はい!」」
2人がブンブン頷くのを見ると、リュウは空に向かって吼えた。と思ったら、そこにあっという間に赤竜が現れていた。
「出来るなら……諦めて崖なんざ登ってんじゃねーぞ、クロ!」
かすかな願いを込めて、1匹の竜は黒雲垂れ込める山へと躊躇うことなく飛び立っていった。
リュウは、クロが非常に諦めの悪いやつだという事を知っていた。
知っていたからこそ願ったのだが、その願いは不幸にも叶う事は無かった。
クロはちょうど今、崖を登っている最中だったのだ。
「うひーなんちゅう崖だよ……落ちたら死ぬんじゃねーのこれ?」
崖はほぼ垂直。凹凸はあるので登れない事も無いが危険には変わり無い。岩にしがみつきながら、クロは下を見ないように崖を登っていた。
正直、下からこの崖を見上げた時はそのあまりの高さに気が遠くなったほどだ。
しかし、その崖の途中に小さな花らしきものが見えた瞬間、クロは崖に飛びついていたのである。
まさに残っていたものはもう意地だけであった。
「しかも曇ってきたしよ……ああーついてねえー!」
ゴロゴロ不気味な音が響いてきた雲にクロは顔をしかめた。
この地獄山はよく雷が落ちると言われているが、こんなに悪くなることは無い。のに、今日に限って何故こうなるのだろうか。
「でも……もう少しだ」
竜花がどんなものかは知らなかったが、クロの目の先には崖にひっそりと咲く花があった。束に出来るほどの量ではないが仕方が無い。
クロは踏ん張っている足を突っ張って、右手をぐっと精一杯伸ばした。
ズルッと落ちそうになったが、それでも花へと向かって手を伸ばす。
やがて手に限界が近づいてきた時、手に花が触れた。
「……!やった……!」
パアッと顔を綻ばせた瞬間、いきなり目の前が真っ白になった。
無音だったし、何も見えなくなった。
ただ感じたのは自分が落ちている事と、何かに抱え込まれたような気配がするだけ。
次にひどい衝撃が来ると、クロの目の前は真っ白から真っ黒に変わっていた。
気がつくと空からは激しい雨が降っていた。雷は未だにどこかに落ちているらしく、光と音は鳴り止む事が無い。
しかしそんなひどい天気の中、クロは雨も雷もまったく気になっていなかった。
目の前に、真紅の竜が背中から煙を出して横たわっていたのだから。
「……リュウ……?」
クロは今の状況がすぐに理解できなかった。
何故リュウは目の前に倒れている?何故崖から落ちたクロが無事だ?何故リュウは動かない?何故?
―何故リュウの右翼がないんだ?
「ッリュウー!大丈夫かリュウ!目!目を開けろよー!」
クロがリュウの体をバシバシ叩くと、リュウがうっすらと目を開けた。
生きていたのだ。
「……クロ……怪我、ねえか?」
「ねえよ!お前の方が怪我してんだぞ!何で……!何でこんな事しやがったんだリュウ!」
クロはもう理解していた。自分はさっき雷に打たれそうになって、それをリュウが庇ったのを。
そのせいでリュウは背中に雷をうけ、右翼を……。
「もうこれじゃ飛べねえじゃんか!何でだよ、オレ、オレが勝手にここに来て、なのに何でリュウが……!」
「……おいクロ……」
混乱してボロボロ涙をこぼすクロを、リュウはふっと微笑みながら見つめた。
「その花、おれのために取ってくれようとしたんだろ?」
クロの手には、しっかりと一輪の花が握られている。
「ありがとな」
「……っ!今お前がそんなっ……!お礼なんて言うなよぉー!」
クロはわあわあ泣きながらリュウの体にしがみついた。
「クロ……おれとお前は親友だよな?」
リュウはゆっくりと頭を持ち上げながら尋ねてきた。それにクロはこくこく頷く。
「親友のために命を懸けんのは当たり前なんだよ。だから、んな泣く事ねーんだぞ」
「……んなっ……!そんなっ……!」
言葉を詰まらせたクロは、次の瞬間ぐいっと涙を腕で拭った。
しかし雨も降ってるし涙も止まらない。再び顔を濡らしながらそれでもクロは叫んだ。
「オレもっ!オレも親友のために命を懸けるぞ!」
「クロ……」
「だから死ぬなリュウ!約束だ!オレもっ命懸けてリュウを守るからな!」
叫んだ後またわーんと泣き出したクロに、リュウは微笑んだ。
「……おれは死なねえよ」
その後しばらくしたら、魔王率いる救助隊が駆けつけてきた。
ああ、これで助かった…。
ふっと安心したリュウは、そのまま意識を手放していた。
「おい医者のおっちゃん!リュウは大丈夫か?!生きてるのか?!」
「ああ、命に別状はないよ。ただ……」
「え……?!」
「右翼はダメだね。燃えちまってるよ。左翼は無事だったがな」
「それじゃ……!リュウもう飛べねえじゃんか!」
「片翼じゃあ飛べないからなあ。まあ、右翼だけだったもの奇跡だったしな」
「………」
「クロ、お前の気持ちも分かるがこればかりは……」
「……なあ、悪魔の翼と竜の翼って、似てるよな」
「は?あ、ああ、まあな。仕組みもほとんど同じだろう」
「んでもって左は大丈夫なんだよな?右だけがダメなんだろ?」
「ああそうだが……まさかお前……」
「おっちゃん!オレの翼、リュウにあげてくれよ!」
「っクロ!お前なんという事を……!」
「なあいいだろ!このままじゃリュウ飛べねーじゃんか!」
「たっ確かに竜の生命力は半端じゃないし翼の移植は成功すると思うが……いいのか?お前は。翼やっちまったらもう一生飛べないんだぞ?」
「オレは元々飛べねーもん!でもリュウはすごい綺麗に飛ぶんだよ!オレ、リュウには空を飛んで欲しいんだ!なあ頼むよおっちゃん!」
「……お前がそこまで言うのなら……。よし、分かった、任せとけ」
リュウは体の痛みを感じながら目を覚ました。生きてる。ここは病院のようだ。窓際に竜花が生けられているのが見えるが。
リュウは今人の姿でベッドに寝ていた。どのぐらい寝ていたのだろうか。
ふとリュウは体に違和感を覚えた。人の姿だから翼は見えないのだが、感じる。確かにあの時右翼を失った気がしたのだが……。
両翼どちらもあるのだ。実は右翼も無事だったのか?
とその時、病室のドアが勢いよく開いた。クロがやって来たのだ。
「あーっリュウ!目ぇ覚ましたのか!よかったー!」
「クロ、お前も無事だったみたいだな……」
「おおっお蔭様でな!まあ母ちゃんにも魔王の野郎にも怒られちまったけどなー」
「そりゃそうだろ……あそこに1人で登るたぁな……」
よいしょとベッドに起き上がったリュウは、クロを見て我が目を疑った。
目の前に立っているのは、その背中に左翼のみ生やした片翼の悪魔の少年だった。
「クロ?!お前っ……!その翼はどうしたんだ?!」
「あ?これ?別に。どーって事ねえよ」
そこでリュウはハッと気がついた。失ったはずの自分の右翼。そしてクロの背から消えた右翼。
「……まさかクロ……!お前、翼をおれに?!」
「よかったなー!移植成功だってよ!オレの翼、何だかひ弱だけどリュウなら飛べるだろ多分!」
「ってめえクロッ!」
リュウはガシッとクロの肩を掴んだ。しかしクロもギッとリュウを睨みつける。
「余計な事しやがって……!お前それじゃもう飛べないじゃねーか!」
「余計な事って何だよ!リュウこそ余計な事しまくっただろ!」
「何っ?!」
「オレ!約束したじゃねーか!」
ぐわしっとリュウの胸倉をつかんだクロは、そのまま叫んだ。
「親友のためなら!この命いくらでも懸けてやるってな!」
「!!」
「なんだ片翼ぐらい!オレ両方あっても飛べねーもん!だから!リュウがオレの翼連れて飛んでくれよ!速いだろお前!」
「……っ」
リュウは親友に何も言えなくなって肩から手を離した。それを見て、クロも手を離す。
「……ったく……こんな大事なもん、おれにくれやがってよ……」
「オレ、リュウも大事だから全然平気だぞ」
「くそっ恥ずかしい事さらりと言いやがってこいつ……!」
リュウは、塞ぎこんでた頭をバッと上げてクロを見た。
「お前が後で返せって言っても返さねえからな!」
「誰が言うか!それもうオレのじゃねーもん!」
「よーし分かった。もうこれはおれのもんだ。この翼でな、世界中飛び回ってやる!いいか?!」
そう怒鳴ってきたリュウに、クロは笑顔で返した。
「おお上等だ!どこでも飛んで来やがれ!」
さすが竜なだけあって、リュウの怪我の治りは早かった。
もうほとんど完治という時、リュウは地獄を出て行くことを決めた。
「いつまでもここにいるわけにはいかねえからな。何せ放浪の旅の途中だし」
「旅ってそんなに楽しいか?」
尋ねてくるクロに、リュウはうーんと考え込んだ。
「そうだな、楽しいな。色んなもの見れるし、色んな奴に会えるし」
「ほー」
「こうやっておれ達が出会ったのも、旅のおかげだしな」
はっはっはと笑うリュウを見て、クロは目を輝かせる。
「じゃあオレもいつか旅するぞ!んでもっていつかリュウにオレが会いに行ってやる!約束だ!」
「おいおいクロ、そんな簡単に約束していいのかよ。ちゃんと守れるのか?」
「オレは守れねえ約束なんてしねえよ!」
「ま、それもそうだな」
そこでクロとリュウは向き合って、ガッシと腕を組み合わせた。
「また」
「会う日まで」
リュウはクロが離れるのを見て空へと吼えた。そこへ出てきたのは全身真っ赤な竜。
……ではなくて、右翼だけが真っ黒な赤竜。
「何だかすんげー不恰好だなそれ」
「お前が言うな片翼。……じゃあな!約束忘れんじゃねーぞ!」
「おおっ!またなー!」
赤い竜はあっという間に空へ昇ると、しばらく上空をぐるぐる回った後すぐに遠ざかっていった。
そしてその赤い点が消えて見えなくなるまで、クロは手を振り続けていた。
その後悪魔の少年は、幾年過ぎてやがて旅人となる。
他の者から見ればささやかな小さな約束を守るために、悪魔は親友の元を訪れるのだった。
『おっお前は……っ!リュウ!』
『おいおい……まさかクロじゃねーだろーなお前!』
約束は守られたのか。それは、本人と仲間達のみぞ知る。
04/1/16
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悪魔クロの過去話〜あの頃の僕らの小さな約束〜後編でした。