花束
眼下には、自分の生まれ育った土地が果てしなく広がっている。
空も珍しく快晴。いわゆる絶好の飛び立ち日和だ。
こんなに良い眺めなのに、しかし1人だけ顔を青くしている者がいた。
「ようようクロ!お前まだ飛べてねーのかよダッセー!」
「お前だけだぜーまだそんな風にブルブル震えてんのはよ!」
頭上からかけられた言葉に、高い所から下を見ながら固まっていた悪魔の少年クロは、そちらをキッと睨みつけた。
「うっうるせえ!別に飛べなくたって生きていけらあ!」
「へへっあんな事言ってるぜ」
「負け惜しみじゃねーか」
「んだとこらあ!」
「悔しかったらここまで来てみろってんだ!」
ピュンピュン自分の翼で飛び回る他の悪魔達を、クロはギリギリ歯をかみ締めながら見ていた。
そして下を見て固まって、悔しそうにしばらくうつむいた後、ダッと駆け出した。
「またクロが逃げたぜー!」
「あいつ一生飛べねぇんじゃねーの?」
背後からの笑い声を聞きながら、クロはこぶしをぎゅっと握り締めてただ走った。
「ちっ、あいつら喧嘩ではすぐ泣いて逃げるのによ、こういう時だけ……」
ブツブツ呟きながら、クロは生まれ育った土地の、地獄の地面を踏みしめていた。
クロは、自他共に認めるひどい高所恐怖症だ。そのせいで1度も空を飛んだ事が無い。同年代のやつらはもう全員空を飛べるというのに。
クロの背中に生える黒い翼は、もう飛ぶ気も無いのかパタパタ動きはするが全く力が入らない。
「いいんだ。一番強い悪魔になってあいつら見返してやんだからよ」
ケポンと石を蹴りながらのクロの言葉。彼の夢は地獄一の悪魔になる事だ。
飛べなくたって、きっとなれると信じている。
とその時、ふと空を見た。何か見慣れぬものが目に入った気がしたからだ。
それは、こちらに急速に近づいてくる赤い点だった。
「な、何だあれ……」
赤い点はあっという間に大きくなって、でっかい何かの生物の形となった。
クロが口をあんぐり開けていると、何とその生物はクロの目の前へと降りてくるのだ。
ドシンと振動がしたかと思うと、その生物はふーっと息を吐いた。
「あーさすがに疲れたぜー。地獄ってのはここかそこのガキ」
その大きさと見た目の怖さにクロはあっけに取られていたが、むっとして言い返した。
「ガキじゃねえ!オレはクロだっ!よーく覚えとけ赤トカゲ!」
赤い生物はそれを聞いて怒るかと思ったが、勢いよく笑い出した。
「初対面でそこまで言われたのは初めてだぜ!ぎゃははは!」
「?」
「よーしクロ、おれは赤トカゲじゃなくて竜だ竜!竜のリュウだ!」
「はあ?りゅうのりゅうって訳わかんねーよ。どっちがどっちだ!」
クロは、竜の存在を知らなかった。めんどくせえなーと赤竜のリュウ。
「名前はなあ、おれの親に文句言ってくれよ。まあリュウって名前なんだ覚えとけ!」
「それならそうと早く言え!リュウだな、よし!」
名前を頭に叩き込んだクロを見て、リュウはシュンシュンとその体を竜から人へと変えた。
「うわ!……お前人間だったのか?」
「何でだよちげーよ。竜人だ。……ああもう説明すんのは苦手だ」
説明は後にしようと決めたリュウは、クロへと右手を差し出した。
それを見て、思わず後ずさりするクロ。
「な、何だよ」
「びびんなって。挨拶だよ挨拶」
「あいさつぅ?」
「今日この時からおれとお前は友達だ!いいだろー竜の友達だぜ?」
クロはびっくりしてリュウの顔を見た。リュウは、にやっと笑ったままだ。
それを見てクロも、笑顔を作ってリュウの手をつかんだ。
「よろしくなリュウ!」
「ああよろしくクロ!で、いきなりで悪いんだがおれ地獄は初めてでよ、案内とかしてくれると助かるんだけど」
「へっ地獄なんてオレの庭だぜ!来いよ!」
この日から、クロとリュウは友達になった。
2人が友達から親友にかわるまで、さしたる時間はかからなかった。本質から相性がいいのか、初日から2人はやけに息が合ったのだ。
なんでもリュウは色んな所を旅して回っている途中らしく、クロよりは確実に年上だろうと思われる。
しかし、まさに友情に年齢など関係ないのだ。クロとリュウは、まるで幼い頃からの親友のように親しくなった。
ので、
「お前、飛べないんだな」
という事実は、あっさりリュウに知られてしまった。
「……高所恐怖症、なんだ」
「そんなに高い所ダメなのか?」
「すんげーダメ。足震えて、体が全然動かなくなるんだ」
「ほー」
空を飛ぶ悪魔達を見ながら言うクロを、リュウは黙って見つめていた。
とそこへ、クロと同年代の悪魔達2人がやってきた。
「ようクロ、今日は飛ぶ練習しねーの?」
「馬鹿、あれは練習とは言わねーよ。飛ぼうともしねーんだからよ!」
「それもそうか!」
「まーたお前らかよ。暇人だなー」
下から睨みあげるクロに、悪魔2人はニヤニヤ笑っている。
「クロ、竜と友達になっても飛べねーもんは飛べねーんだぜ!」
「なっ……!」
「そうだ、翼貰えよ!少しは飛べるかもしれねーぞ!」
「リュウはそんなんじゃねーよ!別に無理して飛ぼうなんざ思わねーっ!」
ブンブン腕を振り回すクロから2人は笑いながら遠ざかっていった。何だかんだ言いながらリュウの事が怖かったのかもしれない。
しばらくクロは、悪魔2人がいなくなってからも空を睨みつけていた。まるで憎むように。
そして、ポツリと本音が洩れた。
「……オレだって……オレだってなあ、この空を飛んでみてーよっ……!」
そのままうつむいてしまったクロに、リュウは静かに近づいた。
「クロ、じゃあさ、おれが1度連れてってやろうか、空へ!」
「……は?」
驚くクロに、リュウはニヤリと笑いかけた。
「竜のスピードはすげーぞー!そんなの味わったらもう空なんて怖くねえさ!な!」
「……うー……」
多少の不安が残るが、クロは一応頷いた。リュウは満足そうに笑うと空に向かって一声吼えた。竜の姿になるのだ。
その姿はいつ見てもかっこよくて、クロはほーっとため息をついた。
「よし乗れクロ!しーっかりつかまれよ?」
「おっおう!」
ぎゅっとクロが背中につかまったのを確認すると、リュウは勢いよく翼を広げた。
「いくぜー!」
「っぎゃああああー!」
赤竜は、叫び声と共に空を舞った。
「ひぎゃあーっ!たったっ高いいぃー!」
「ほれ見ろよクロ、これが空だぜ!気持ちいいだろー?」
「あああああーっ!こえぇんだよバッキャロー!」
「クロ、ほら、さっきのやつら目ん玉見開いてるぜ?」
「ザザザマーミロだぜー!でもやっぱりこええぇよぉー!!」
リュウの背中に乗ってる間、クロはずっと叫びっぱなしだった。
「おいクロ!下見ろよ、地獄が全部見えちまうぞ」
「しっ下だとー?!」
クロはずっときつく閉じていた目をそっと開けた。そこに飛び込んできたのは、初めて見る地獄の姿だった。
クロの住んでいたこの土地が、すべて今見えるのだ。
地獄は意外に小さくて、そして空は思っていたよりも遥かに大きかった。
「っああああー!すげえ!すげえよー!すげえこえぇよー!」
「な、すげえだろ!」
「くそ!風が目に染みて涙出てくるだろーがー!」
叫ぶクロの目からは、ぼろぼろ涙がこぼれていた。
風が染みたのか、それとも本当に怖いからなのか、初めての空に感動したのか、それはクロにも分からなかったが。
「っリュウー!すげえこえぇじゃねえかー!」
「そりゃすまんかったな」
「でもなあぁーっ!ありがとなー!」
泣きながら叫びながらのクロの礼に、リュウは笑顔で返した。
「親友の中にはなあ、そんな礼なんていらねーんだよ!」
結局、この日もクロは空を飛ぶ事は出来なかったのだが。
初めて空を経験した日から数日後、その日、クロは悩んでいた。
「はあ…あいつには世話になりっぱなしなんだよなあ」
リュウは、クロの飛行訓練に熱心に付き合ってくれていた。何度も背中に乗せたり突き落としてみたり励ましたり。
しかし未だにクロは飛べずにいる。
それはいいのだが、それに対してクロは何だか申し訳なく思っているのだ。
リュウは「親友だから礼はいらねえ」とか言っているが、親友だからこそ礼がしたいのだ。
その礼はどうすれば良いだろうかとクロは悩んでいる所だ。
「言葉だけじゃあなー何か喜びそうなもんねえかなあ……」
クロがとぼとぼ歩いていると、あのいつもクロをけなしまくる悪魔達に出会った。
2人は何だか熱心に話しこんでいる。
(何だ?)
「なあ、地獄山にある花の噂、知ってるか?」
「おお知ってる知ってる。竜花だろ?崖の途中に生えてんだってなー」
竜花。どこかで聞いたことある言葉だった。そこでクロはハッと思い出した。
以前リュウが言っていたのである。
『竜の肩こりにゃあ竜花が効くんだよ。あれ貼り付けると楽になるんだよなー。あーどこかに生えてねーかなあ』
「これだっ!」
ポンと思いついたクロは、2人にさっと近づいた。
「なあ!その噂本当なのか?!」
「おおクロ、本当らしいぜ。あの崖に生えてるって。なあ」
「おお、あの地獄崖。すごい所に生えてるもんだなー」
「よっしゃー!サンキュー!」
聞き出すやいなや、クロはバッと駆け出した。
地獄山とは地獄で一番大きくて険しい山の事である。その山にある地獄崖は、ほとんど垂直の危険な崖だ。
しかしそんな事はクロの頭からは綺麗に消し飛ばされていた。
ただリュウにお礼がしたくて。
おかげで悪魔2人が意地悪そうに笑っている事にも気付けなかった。
どのぐらい花は生えているだろうか。どうせならたくさん取ってこよう。綺麗な花だったら、まとめて花束にしてしまおう。
喜ぶだろうか。笑ってくれるだろうか。親友は。
頭に花束を描いた悪魔の少年は、親友のために走るのだった。
04/1/13
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悪魔クロの過去話〜リュウとの出会い、そして友情〜前編でした。次後編です。