スティグマ



1匹の竜が、深い森の上を颯爽と飛んでいた。朝日がその赤い体に当たって、まるで竜が真紅に燃えているように見える。
その竜は手に何かをつかんでいた。それは、とても簡単な作りのただの箱。しかし四つの車輪付き。
その箱の中には、少年と悪魔と天使と人魚とオオカミ女という変わった5人組が乗っている。
ちなみにその中の1人、悪魔のクロはやたらと青い顔をしていた。


「なるほど、極度の高所恐怖症か。だから逃げようとしたんだな」


黙り込んでいるクロの代わりにリュウから説明を聞いたウミが納得したようにしみじみと頷く。
するとリュウはカカカッと笑ってみせた。


「そーなんだよ、こいつ、そのせいで1度も自分で空飛んだ事無いんだぜー!」
「え、悪魔なのにですか?」


翼あるのに、と華蓮が言うと、クロはバツが悪そうにふいっと顔をそらした。意外な事実だ。
今も、いつもの元気はどこへやら、すっかり縮こまってしまっている。
するとあらしがにやーっとクロに話しかけてきた。


「へー、やっぱりクロにも弱みとかあったんだー」
「カッチーン!カナヅチにゃあ言われたくねえなぁおい」
「ムカーッ!そ、そこでそれを出すなっ!」
「何だよ、空を飛ぶこたぁあんまり無いからいいんだよ!泳げねえのは致命的じゃあねーのか?!ああ?!」
「いや!悪魔で高所恐怖症の方がダメだと思うね僕は!」
「んだとこらあ!」
「やるか?!」
「……低レベルの争いだなー……」


ぐぬぬと睨み合うクロとあらしに、ウミは呆れた視線を送っている。
と、そこにシロがとことことクロの元へやってきた。


「どーって事無いわよクロー。私も翼の調子悪くて今飛べないものー」
「何だシロも飛べねーのか。じゃあ仲間だな!」
「仲間、仲間ー!」
「じゃあこの中で飛べる奴はおれだけって事だな!」


勝ち誇ったようにそう言うと、リュウは目を細めて前方を見た。


「さーて、目標が見えてきたぜ」
「「!!」」


前を見ると、確かにいた。あの英雄の顔…じゃなく、科学者エンティ・ドマーの顔型ロボが。
顔だけがポッカリ浮いている光景は、少し怖い。


「おりゃー!待ちやがれ顔ー!」
「「ひーっ!」」


リュウがいきなりスピードを上げたので、5人は振り落とされないように必死に箱にしがみついた。
近づいていくと、顔からあまり科学者っぽくない口調の声が聞こえた。


『もう追いついてきやがったぜコラァ!』
「おう!覚悟しやがれエディちゃん!」
『その呼び名は禁止だっつったろうがコラァ!』


顔はぐるりと回転してこちらに顔をあわせてきた。


『言っとくがなあ、こちらには秘密兵器ってもんがあんだよコラァ!』
「ほっほーう、一体どんなもんなんだよそりゃあ」
『それは……これだコラァ!』


声と共に顔の耳から手のようなものが出てきた。今度はその手に何かが握られている。
その握られているものを見た瞬間、リュウの様子が変わった。


「……!てめえ、それはっ……!」
「?おい、どうしたリュウ!」


クロが尋ねても、リュウは答えなかった。いや、答える事が出来なかったのかもしれない。
リュウの目は、ただ手に握られている何かに注がれている。
それは、何やら石みたいなものだが……。
とそこで、リュウはぶんぶんと激しく首を振った。


「うあ……!だ、ダメだ!お前ら、すまん!」
「「え?」」


声を上げた瞬間、箱は空中に投げ出されていた。
リュウが手を離したのだ、と悟った者は、果たしていたのだろうか。


「「ぎゃあああああっ!!」」


ボロっちい粗末な箱は、5人を乗せたまま森へと落下していった。




もし、ちょうどそこに生えていたでっかい木の枝に箱が引っかからなかったら、きっと全員ぺしゃんこだっただろう。
リュウがそうやって落としてくれたのかもしれない。

とりあえず、5人は生きていた。


「……生きてる……」


枝の上に上手く寝転びながらあらしは呆然と呟いた。落下している時間は一瞬だったのだが、それが永遠に感じるほど死を覚悟した。
しかし、今こうやって生きている。奇跡だ。


「……はっ!そうだ、皆無事か?!」
「私とシロさんは生きてますよー」
「……実はオレ、あの瞬間死んだんじゃねーか?なあ」


近くで華蓮とクロの声がした。ウミの返事は無かったが、枝に引っかかってダランとたれているのがあらしのいる場所から見えた。
多分生きてるだろう。多分。

全員が生きている事を確かめた5人は(ちゃんとウミは生きてた)引っかかったままの箱はそのままにして地上に降りてみた。
深い森だったが、ちゃんと地面はある。
と、横を見たシロがはっと息を飲んだ。


「ねえ、あたしたち、随分と運が良かったみたいよー……」
「「えっ?」」


全員で横を見ると、全員でそのまま固まった。
何せそこには、深い深い谷があったのだから。ちょっと横に落ちていたら、この下にまっさかさまであったろう。
もちろん怪我しましたどころの騒ぎじゃなくなる。即死だ。
全員、今自分がこうやって生きている事に安堵のため息をついた。
そこでクロが、はっと何かを思い出したように空を見上げた。


「リュウは……?!」
「「あっ」」


残りの者も気付いて顔を上げる。葉が茂っているために空は僅かにしか見えないが、その隙間から何かが見えた。
その何かが、人間の姿になったリュウだといち早く気付いたのはやたらと目が良いクロだけで、しかもこのままではリュウが谷底に落ちてしまう事にも気付いた。
気付いた瞬間、走り出していた。


「クロ?!」
「そっちは谷ですよ!」


分かってるよんなこたぁ!と心の中で叫びながら、クロは谷へと飛び出していた。そしてそこに落ちてきたリュウの体を、根性で抱き止める。
この時彼の頭の中には、自分が飛べない事実も高所恐怖症も無く、ただ友を助ける事しか入っていなかった。
そしてその右手は左手に抱えた友を落とすまいと、ちょうど崖に生えていた木の枝を見事に掴んでいた。
つまり、クロと気を失ったリュウを支えているのはクロの右手のみで、丈夫なのかどうか分からない枝だけが2人の命の綱なのだ。
そこに生えていただけでその枝は奇跡だったが、いつまでもつか。


「クロー!」
「大丈夫か?!」


仲間達が崖の上から顔を覗かせた。クロは軋む右手に顔をしかめさせながら、それでもどなった。


「オレは平気だ!リュウも生きてる!でも気絶してんだ!」
「登ってこれそうか?!」
「さすがに無理だろこりゃあっ!」


左手にはリュウ、右手には枝、クロには全然余裕が無い。それは見ただけで分かる。
ウミは手を伸ばしてみたが、全然クロに届きそうも無かった。


「ダメだ、ロープか何か無いのか?!」
「そんなのないわよー!」
「クロさん!こんな時高い所が怖いだの言ってる場合じゃないですよ!」


華蓮が、身を乗り出して叫んだ。


「こうなったら飛んで下さい!悪魔なんでしょう!」
「そうだクロ!下を見なければ大丈夫だ、飛べ!」


ウミも励ましかアドバイスなのか分からないが叫ぶ。しかしクロは首を横に振った。


「ダメだ、オレは飛べねえ!」
「何言ってるんですか!死にたいんですかあなたは!」
「死にたくねえよ!だけど飛べないんだ!」
「だから……」
「たとえオレが高所恐怖症じゃなくても!今のオレは飛べないんだっ!」


その言葉に、華蓮とウミは首をかしげた。何故飛べないんだ?
すると、あらしが口に手を当てて叫んだ。


「クロ!どうしても飛べないんだな!」
「ああ!飛べねえ!」
「よし分かった!もうちょっと待ってろ!」


あらしはむっくり体を起こすと、ウミに言った。


「ウミ、僕の足を掴んでくれ」
「……は?!」
「ここからクロまで僕とウミなら届く。でも引っ張りあげるには僕じゃ無理だ。だからウミが華蓮とシロと一緒に、僕とクロとリュウを引っ張りあげるんだ」
「なっ……!」


つまり、あらしがウミに足を掴まれたまま逆さづりになり、クロを掴んで引っ張りあげるのだ。
それならクロにも届くだろうが……。


「逆さづりですよ?!正直すっごい怖いと思うんですけどそれ……!」
「大丈ー夫っ!僕には逆さづりの経験があるっ!ように思う!」
「何だよそりゃ!逆さづりの経験なんてサーカスとかぐらいでしかないだろ!」
「あーもういいから!このままじゃクロもリュウも落ちちゃうだろ!」
「……っ!」


時間は無いのだ。こうしている間にも、クロに限界が来てしまう。
ウミは、決意を固めた顔で頷いた。


「よし、やろう!」





「ぎゃー!こっこわーっ!落ちたら死ぬー!ひーっ!」
「おいあらし!お前がいいって言ったんだぞ!」
「分かってんだちきしょー!叫んで気合入れてるんだよー!」


あらしのキレ度は刃物を出しかねない勢いだが、さすがにそれはなかった。
逆さのまま、あらしは必死にクロへと手を伸ばす。


「いっいいかクロー!勝負は一瞬!枝をバッ!と離して僕の手をバッ!と掴めー!」
「分かったからそんなに叫ぶなうるせーっ!」


自分も叫びながら、しかしクロも限界に近かった。何せリュウはクロと同じかそれ以上の長身なのだ。
長身2人分を支えている枝も右手も、随分と偉いと思う。


「よーし!いっせーのーせでいくからなー!」
「どんとこーい!」


下から聞こえる声に、華蓮とシロもぐっと力を入れた。重力の力に負けたら、全員で仲良く谷底へさようならだ。
あらしの足をしっかりと握りながら、ウミが声を上げた。


「いくぞー!いっせーのー」
「「せっ!!」」


すべては一瞬だった。クロがバッと枝を離したとたん、重力が下へと運ぼうとするのを感じた。
このままじゃ、痛いと思う間もなくあの世行きだ。


(そんなの、ごめんだろ!)


クロは思わず全身に力を入れた。こんなに飛びたいと思ったのは、あの時以来だった。
あの時なら飛べたかもしれない。しかし、今ではどうあがいたって無理だ。


片翼だけで、どうやって飛べというのだ。


しかし、飛びたかった。このままリュウを死なせたくなかったし、自分も死にたくなかった。
しかしそれ以上に、今必死になって自分を助けようとしている仲間達とまた笑いあいたかった。また旅をしたかった。
クロは精一杯手を伸ばした。届くように、この手が仲間へ届くように。
自然と背中に翼を出していた。これじゃ飛べないが、飛びたかった。

一度でいいから、飛びたい。

高所恐怖症で、空なんて誰が飛ぶかとずっと思っていたクロがそう願った時、ふわっと体が浮き上がったように思った。
それは実際そう思っただけかもしれないが、クロは確かにそう感じた。
自分の、左にしかない翼が、自分を上へと押し上げたように感じたのだ。

本当の所どうだったのか、それは分からなかったが。
次の瞬間、クロの上へとあげられた右手は、あらしに両手でガシッと掴まれていた。


「……!!」
「よっしゃー!捕獲成功ー!」


あらしが叫んだのと同時に、華蓮とシロがウミを支える力をぎゅっと入れた。
さすがに男3人を引っ張りあげるのはひと苦労だ。


「大丈夫か2人とも!」
「全然平気です!これぐらい!」
「早く引っ張りあげましょー!」


クロは呆然と自分の右手を見ていた。今思うと、飛べたのは幻だったような気がする。いや、きっとそうだ。
とりあえず、今自分がこうやって手をつかめたんだから、いいのだ。


「クロ!」


ぐいぐい上へと持ち上げられながら、あらしが声を上げた。


「お前飛んだじゃん!そんな翼で!」


どうやらあらしにも幻が見えたらしい。幻とは気付いてないが。
あらしがあまりにも笑顔でそう言うので、クロも、


「うるせえ、そんな翼って言うな!……立派だろーが!」


思わず笑いながら、そう返していた。






高い所が怖くて飛べもしないのに、背中には翼。

まるでこの翼は自分にとってのスティグマだ。

あっても悲しいだけのものだった。

なのに、そんな翼がこんなに誇らしい日があの日以来に来るなんて。




スティグマと呼ばれたその悪魔の翼は、やがて悪魔の誇りとなったのだ。

04/1/7



 

 

 
















スティグマ【stigma】とは、不名誉な印…恥辱、汚点、汚名とか、そういう意味です。
もちろん他の意味もあります。でもまあ、今回はこんな感じで。