「ああ、まだかなあ」



   勇気



少年は今年一番の微妙な顔をしていた。
思うところがたくさんありすぎて、一体どんな表情を表に出していいのか分からない顔だった。
学校帰りだった。少年はその手にカバンを持ったまま、路地の片隅にしゃがみこんでいる。


「まだかな……」


少年は早く家に帰りたかった。
基本的に少年は寄り道をあまりしない人間だ。時々友人の家に寄ってみたり、死神の散歩に付き合ったりはするが、それだけだ。
家に帰って自分の部屋に入って、学校が終わったんだと認識するまでは何だか落ち着かないのだ。
遊んだりするのは、まず家に帰ってからの方がいい。


「……まだ来ないな……」


ちなみに、さっきから呟いている声は少年のものではない。
少年は微妙な心境で微妙な顔しか出来ないので、微妙な気持ちを抱えたまま黙っている。
全てが微妙なのに知らずに言葉が出てくるはずも無い。


「もう少ししたら来るかな……」
「うん、多分来るよ」


見かねた少年がそう返してやれば、隣に同じようにしゃがみ込んで壁越しに向こうを見つめるその顔がパッと華やいだ。


「はい!」


その素直な返事は可愛いと思う。普通に。
相手は女の子だった。少年もお年頃だし、女の子と二人きりなのだからもう少しドキドキしてもいいと思う。
が、少年は微妙な表情を見せるだけであった。
いつもキャーキャー騒いでいるあの少女とは違う(少年はあの少女が苦手だ)普通の女の子であるにもかかわらず、だ。

同年代の男子よりもそういう事に興味が薄い少年であったが、ここまで微妙なのには訳がある。
それは、この女の子が、


「あードキドキする……!早く来ないかな……でも怖いな……」


マキちゃんだからだ。






マキちゃんに下校途中に捕まったのは初めてではない。
しかし前回は友人と一緒に捕まったのだが、今回は違った。
友人と一緒に帰ったのは今日も同じだ。友人と別れて、さあ家に帰ろうとしたそのときに捕まったのだ。
まるで少年が1人になるのを待っていたかのようなタイミングである。
驚いて立ち止まる少年に、マキちゃんはこう言った。


「すいません、付き合ってください!」


一見愛の告白のようだが、少年は違う事を最初から分かっていた。
マキちゃんが思いを寄せる相手は、自分ではないと知っていたからだ。
悲しい事にこの子は、大変間違った方向へと突き進んでしまっている。


「黒い人とお話したいんですけど、1人じゃちょっと勇気がでなくて……!」


そんなマキちゃんの言葉によって少年はここにいるわけだ。
黒い人とは言わずもがな死神だ。1番近いところにいるのが少年だった訳だから、少年1人を誘ってきたのだろう。
そう、マキちゃんの思い人は死神だ。
どこがいいのかさっぱり分からないが。


「ねえ……」
「はい?」
「なんで僕なの?これなら別にあの子でもよかったんじゃ……」


あの子。マキちゃんの友達でもある少女の事だ。
するとマキちゃんは勢いよく首を横に振る。


「だっ駄目です!親友のライバルに会うのに、そ、そんな、誘えないです!」
「だからなんであの2人ライバルなのさ……」


原因が自分である事を知らない少年は首を傾げるばかりだ。
その間にもマキちゃんは道の向こうをまた眺め始める。

2人は今、これから散歩から帰ってくるはずの死神を待ち伏せしているところだった。少年の家の前で。
何が悲しくて自分の家の前で張り込みをせねばならないのか。
バックを抱え込んで少年はため息をつく。マキちゃんに聞こえないように。


「……あ!」


マキちゃんの息を飲むような声。
少年も壁からそっと頭を覗かせてみれば、いた。遠目からもはっきりと分かるその黒さ。
ていうか鎌が目立ちすぎ。
ご機嫌な様子で散歩から帰ってきたのは、間違いなく死神だった。


「死神帰ってきたよ」
「はい!あ、あの、そこにいて下さい!」
「う、うん」


少年にそう言うや否や、マキちゃんは屈みこんでた姿勢からすっくと立ち上がった。
そしてまるで敵地に乗り込むかのような真剣な瞳で一歩足を踏み出した。
面倒くさがってた少年も、その雰囲気に思わず緊張して、遠ざかる背中を見守る。


「すっすいません!」
「お」


緊張で裏返りそうなマキちゃんの声に、死神が足を止めた。


「君は……あの娘の友達のまともな子か」
「はいあのその友達です!えっと……今日はちょ、ちょっと聞きたいことがありましてっ……!」
「何だい?」


マキちゃんは顔を真っ赤にして口ごもった。
ぎゅうっと目を瞑って必死に喉の奥からか何か言葉を出そうとする。
その様子を見てたら、何だか少年までこぶしに力が入っていた。

頑張れ、マキちゃん。勇気を振り絞って。


「あの、ああの、その……あっあなたは……!」


少年の喉がごくりと鳴る。すうと息を吸うマキちゃん。
言う!


「あなたは死神さんですか!」
「そうだ」


至極当たり前のように答える死神。勢いを殺さぬよう、間髪いれずにマキちゃんは再び質問を口にした。


「と、という事は、魂とか狩れるんですか?!」


予想外の質問。少年はぎょっとした。
前に同じような事を聞いた気がしたが、死神は何と答えたっけ……。
今日の死神は、少し考えるように黙って、


「出来ない」


と答えた。マキちゃんは悩むように視線をさまよわせる。


「そ、それじゃあ……人を殺したり出来ますか?」
「それは、しない」


微妙な答えだが、少年は納得した。
人を殺す事は、それなりの力と手段と度胸があれば誰にだって出来る。

しかし何という質問だろう。
マキちゃんの意図が読めなくて、少年は眉を寄せた。


「魂の案内は出来ますか!」
「出来ないな」
「死神さんはたくさんいるんですか!」
「見た事はないな」
「死神さんがたくさんいる国とかあるんですか!」
「さあどうだろう、知らないな」
「空、飛べますか!」
「頑張れば」
「出来るの?!」


思わず声を上げた少年なんて無視して、最後にマキちゃんは言った。


「そ、その鎌、本物ですか……?」


死神はちらと肩に担ぐ大きな鎌を見た。
すると、それをマキちゃんへと近づけてみせた。


「よければ、触ってみるかい?」
「え?!……い、いいんですか?」
「どうぞ」


マキちゃんは震える手を伸ばした。
まるで、少しの衝撃でも壊れてしまうような儚いものを触るかのように、慎重に伸ばした。
そしてとうとう、その指先が鎌の刃へとそっと触れる。
マキちゃんはとても感激した様子だった。


「かっ鎌……!私、触ってる……!」
「そうだな」


しばらく堪能するように鎌を小さく撫でていたマキちゃんは、パッと手を戻すと深々とお辞儀をしてみせた。


「あっありがとうございました!とても参考になりました!」
「そうか」


参考?少年がポカンと見つめる中、マキちゃんは嬉しそうにまくし立てる。


「私、ちょっと趣味で小説書いてるんですけど、良い話思い浮かばなくって!そこで死神さんを見つけたんです!」
「つまり、いいネタになると」
「ずっと憧れてたんです、死神さんのお話!今日は徹夜かなあー!良いものが書けそうです!」
「それは良かったな」
「はい!本当にありがとうございました!それではっ!」


早く帰ってプロットにまとめなきゃーとか何とか呟きながらマキちゃんが去る。
少年はその姿を呆然と見送った。
マキちゃんはきっと、少年の存在を綺麗に忘れてしまっている。


「思ったより変わった子だな」


いつのまにか傍に立ってしみじみと呟く死神に少年は無言で頷く。
明日、友人に今日の事を何と話そうか考えながら。

しかし、一体どんな話なのかマキちゃんに尋ねてみる勇気は、さすがに無かった。

05/12/10




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物書き登場。そんな愛も在りだと思いたいです。