弓魂−きゅうこん− 第2射 グッバイ俺の平凡な日常
「うおおおおおおおーっ!」
藤咲潤太、高校男児は今、猛スピードで走っていた。その顔は、今までに無いほど必死だった。
彼が走っているのは学校の廊下。本来ならば叱られるその行為も、その真剣な顔に誰も静止できないでいる。
潤太は、早くから学校にきて、爆走しながら教室を一つ一つ覗いていっていた。
「ここかーっ!」
バシーンとドアを開けた先には驚いた顔の生徒が数名いたが、
「…くそ…ここにもいないか…」
目的のものは無かったらしく、ドアを閉めてまた走り始める。どうやら誰かを探しているようだ。
「潤太、一体誰を探しているのだ」
「ああっ?」
走っている最中に潤太の足元から声がした。潤太には、そいつの正体を見なくても分かっていた。
猫のクセに人語をペラペラと、しかも偉そうに話すやつ、黒猫のネコババ、通称コバだった。
昨夜色々(本当に色々と)あって、付きまとわれているのだが。学校にまで平気で入ってくるのかこの猫は。
「昨日のやつを探してるんだよ!」
「昨日のやつ、というと」
「屋上で俺の事をこっそり覗いてたやつだよ!」
そう、暗い夜の学校の屋上で弓を打っているというかなり怪しい現場を、昨日ウッカリ見られてしまったのだ。
口止めとか証拠隠滅とか記憶抹消とかしなければ、潤太の明日は無い。
「心当たりがあるみたいだな」
「おお!だから今そいつを探してるんだけど…」
走りながら黒猫と話すその姿は十分怪しいものだったが、本人は全く気付いていない。
やがて疲れきった潤太は、ゼーハーと肩で息をしながら立ち止まった。
「くそー…いないな…!」
「これで学校中を回った気がするが」
「もう一回探してみるか…」
「で、誰を探しているの?」
「は?…うぎゃぉ!」
背後からいきなり話に入ってこられ、潤太はコバと一緒に飛び上がった。そこには、潤太と同じように息を切らせた男子学生が1人。
「なっ何だよいつからそこにいたんだよ矢吹!」
「実はずっと追いかけてたんだけど…」
「うむ…私にも悟られずに後をつけてきたとは…この小僧やるな…」
ボソッとコバが妙な感心をしているこの男の名は『矢吹 光風』。立派なのは名前だけだともっぱらの噂だ。むしろ事実だ。
その平凡な顔がいけないのか何なのか、気配というものを常に感じさせないやつだった。
ちなみに、潤太と同じ美術部だ。
「藤咲君が般若みたいな顔で走ってるからどうしたんだろうって思って」
「般若って…。あ、そういえばお前、あいつと同じクラスじゃなかったか?」
「へ?」
誰の事?と尋ねてくる光風に、潤太はクワッと詰め寄った。
「あいつだよ、キナ子!キナ子と同じクラスだったよな!」
「え?あ、日和佐さん?そ、そうだけど」
「今どこにいるか知らないか?どこ探してもいないんだよ」
肩をつかんでガクガク揺さぶってくる潤太に、光風は首をガクガクさせながら答えた。
「ひ日和佐さんならまままだ来てないないよー」
「…来てない?」
パッと手を離した潤太から少し遠ざかりながら、光風はそうだ、と頷く。
「いつもギリギリに来てるから、朝は多分会えないと思うよ」
「…本当か?」
「うん」
「くっそおおおおー!せっかく早起きしてまで来たっていうのにー!」
思わずガバッと頭を抱える。相手の事はまったく考えていなかった。ああ、ついていない。
「…同じ部活なんだから、用があるなら放課後にすれば…」
「それじゃ遅いんだよ!」
光風はドードーと落ち着かせようとするのだが、潤太は一向に落ち着きを見せない。
『日和佐 キナ子』は、潤太と光風と同じ美術部の女子高生だ。名前のせいか何なのか、黄粉が大の好物らしい。
昨晩潤太を覗いていた目は、確かに彼女のものだった。潤太には自信がある。
「…ところで何で日和佐さんを探してるの?」
「は?」
「急ぎの用みたいだし…僕が何か伝えといてあげようか?」
「それは有難いが…うーん…」
潤太は考えた。確かにキナ子に思いっきり口止めをしておきたい所なのだが、どうやって伝えてもらうか。
考えをまとめ終わった潤太は、ガシッと光風の肩をつかみ、声を潜めて伝えた。
「いいか?あいつによーっく言っておいてくれ」
「う、うん」
「昨夜見た事は、絶対人に言うな。言いふらしたらただじゃおかないからな、って」
「?わ、分かった」
「よし頼んだぞ」
首を捻りながらもその場から去っていく光風を、潤太は満足そうに見送った。
「口止めは成功か?」
「いやまだ分からない…ってお前、何で学校にいるんだよ!」
冷静になった潤太は、改めて傍らに立つコバにつっこんだ。光風につっこまれなくて本当に良かった。
「ここに魔物が出たらどうする。私1人でもお前1人でも攻撃が出来ないではないか」
「日常生活では弓も矢も持ってないからな!大体1人じゃなくて1匹だし…」
「つべこべ言うな」
「…はい…」
やはり、この黒猫に逆らえそうに無い。潤太がはあっとため息をついていると、
「じゅーんたさーん!」
「は?!がばべふっ!」
背後から声がしたかと思うと、潤太は前のめりに押し倒されていた。背中に何者かがのしかかってきたのだ。
学校の廊下でこんなことするやつに、残念ながら潤太には心当たりがあった。
「……お前は…水沢かっ」
「私を一発で当ててくれたという事は…これは愛ですねっ!」
「違うっ!所構わず飛びついてくる奴なんてお前以外に俺は知らない!」
「つまり、私は潤太さんにとって唯一無二の特別な存在というわけですね!」
「とりあえずどいてくれ!その後にゆっくりとつっこむから!」
潤太の叫びに、『水沢 翔子』は仕方ないように立ち上がった。
彼女は思い込みが激しく、そのテンションの高さが潤太はどことなく苦手なのだが…どうやら目を付けられてしまっているようだ。
ちなみに、彼女は潤太と同じクラスで、何気に美術部である。
「で、いきなり何なんだよ」
「だって!さっき潤太さんったら矢吹君と密会してたじゃないですか!」
「…密会って…」
「一体何の秘密の相談だったんですか!まさか…キャー!」
勝手に何を思い込んだのか、翔子はズダダダッと走り去っていった。何しに来たのだろうか。
疲れたように立ち尽くす潤太に、コバがふと声をかける。
「…お前も大変だな」
「…まあな…」
黒猫に同情されて、潤太は泣きたくなったがここはグッとこらえて歩き出した。もうすぐ朝の会が始まってしまう。
朝から何でこんなに疲れてるんだろう、俺…。そんな事を考えながら、潤太はクラスへと戻ったのだった。
そして、次にこけたのは自分のクラスに入った時だった。
「おいおい潤ちゃーん!さっき廊下で男と怪しい密会してたって本当か!?」
ズベゴシャッ(こけた音)
「なんじゃそりゃーっ!」
さらりと爆弾発言をしてきた生肉大好き男児レア(同じクラス)に、潤太はものすごい勢いで詰め寄った。
しかし慣れているのか、レアはまったく動じずに答えてくる。
「さっき妄想女が教室に飛び込んできたとたん、でっかい独り言でそうやって叫んでたんだよ」
「くっそー!やられたー!」
妄想女とはもちろん翔子の事である。机にガンガン頭を打ち付ける潤太に、レアはにやにやしながら尋ねてくる。
「で、誰と密会してたんだ?あ?」
「だっれが男と密会なんてするかー!矢吹と普通に廊下で立ち話してただけだ!」
「相手選べよ潤ちゃん」
「俺だって友達選びてえよ!…っていうかお前ー!そういえば昨日よくも掃除を押し付けやがったなー!」
潤太は、昨日図書館掃除をレアに押し付けられたことをようやく思い出した。
そうだそうだった、そのせいで黒猫を蹴ってしまって、何か目をつけられてしまったのだ。
つまり今起こっている不運のすべての原因は、こいつなのだ。
「お前のせいで、お前のせいで、俺は、俺はー!」
「はー?何のことかなー?」
「とぼけるなーこの生肉ー!」
「最高の褒め言葉だ」
「焼き焦げた肉ー!」
「んだとー?!最低な侮辱言葉じゃねーかそりゃー!生肉に謝れー!」
「まず俺に土下座で謝れー!」
「こらー!そこ何してるんだー!」
2人の口げんかは、通りかかった先生の雷によってとりあえずは収まったのだった。
今日の時間割は6時間授業だった。授業の合間の休み時間に、潤太はキナ子に会いに行こうと試みたのだが。
一時間目の休み時間…翔子に捕まって密会の誤解を一生懸命に解く。
二時間目の休み時間…レアと口げんかの続き。
三時間目の休み時間…口げんかしてたら翔子に飛びつかれ、机の角に頭が当たって失神。
昼休み時間〜掃除時間…失神したまま。
五時間目の休み時間…6時間目が始まる直前に目覚める。
こうして、今現在放課後になってしまったのだった。
「…俺は…不幸の星の下に生まれついたんだ…」
「うむ、違いない」
頭を抱えながら歩む潤太の足元から、コバも大きく頷いた。
コバもずっと側にいたのだが、はたから見てても潤太の不幸っぷりは思わず同情してしまいそうになるほどだ。
「とうとう放課後になっちまったし…最初から諦めてた方が良かったのか…?」
「まあ元気を出せ。今からその者に会いに行くのだろう?」
「…ああ、まあな…」
放課後となってはもはや邪魔するものはいない。2人(一人と一匹?)は今から美術室に行くところだ。
例のあいつがいるはずの、美術室へ。
「たーのもー!」
バッターンと派手な音を立てて美術室の扉を開く。思わず挑戦的な言葉を発してしまったが。
「あーっ、昨日の夜屋上で黒猫と会話をしながら盗んだ弓を引いてた潤太だー!」
「いーたー!やっといたー!って、何いきなり暴露してんだてめー!」
こちらを指差して笑う彼女は確かに昨晩覗いていた女、日和佐キナ子だった。その横には運悪く光風の姿もあった。
「…藤咲君…そんな事してたんだ…」
「信じるなー!矢吹も、言うなって伝えとけとあれほど言ったじゃないかー!」
目を合わせない光風の肩をガクガク揺さぶると、キナ子がケラケラ笑いながら親指をグッと立ててきた。
「だーいじょうぶよ!昨日あたしがキナコを盗みに入った事は誰にも言ってないから!」
「誰もお前の窃盗を黙っとけと伝えたわけじゃねえー!自首しろー!」
「嫌よこれはもうあたしのキナコよ!」
「キナコ窃盗と覗きの罪で逮捕だー!」
「お、落ち着いて藤咲君!日和佐さんもキナコ振り回さないで!」
ギャーギャー暴れる潤太とキナ子を一生懸命押さえようとする光風。
と、そこへちょうどやってきたのは妄想女こと水沢翔子。もめている3人をしばらく眺めて…。
「…さ、三角関係だなんてそんな…きゃーっ!」
果てしなく勘違いしたままどこかへと駆けていった。
「また激しく誤解されたしー!くそー俺友人運悪すぎだろー!」
「ひ、ひど…!僕は普通に友達だよ変人じゃないよ!」
「そうよそうよ!あたしたちは普通に友達じゃないの!」
「少なくともお前は違うだろー!」
「そうよ、あんたは違うでしょ!」
「いや違うのは日和佐さんだよ!」
「あっそうなの?」
「よーよー潤ちゃーん!三角関係でもめてるって本当かー?」
「あーもうちょっとお前ら全員そこに落ち着けー!」
数分後。キナ子光風翔子レアをひとまず美術室に集めた潤太は、そこで深い深いため息をついた。
ここにいるのは全員美術部である。何の因果でこんなに個性的なメンバーになってしまったのだろう。
とりあえず、と、潤太はキナ子に詰め寄った。
「で、昨日お前が見たものを誰に言いふらしたんだ?」
「え?昨日の夜屋上で黒猫と会話をしながら盗んだ弓を引いてた事?光風だけよ」
「だから何で暴露するんだよ!」
「潤太さん…夜中にそんな事してたんですか…!まさか弓で誰かを暗殺…?!」
「やーい潤ちゃん変人変人ー」
「えーい黙れ!」
これでこのメンバー全員に知られてしまった…。一番知られたくなかったというのに。
潤太はこの状況をどうやって収めるか迷っていた。どうにか穏便に。平和的解決を。
そんな考えを無にしたのは、潤太の足元に立っていた黒猫だった。
「潤太、お前が見たものは全て幻覚だとでも言えば良かったのではないか?」
「ああそうか、そうすれば良かったなー…。で、そこでお前が喋っちまえばそれも出来ないだろうがー!」
コバの首根っこをつかんで怒鳴り散らす潤太。それを見た4人の反応は…!
「ね、ね、猫が喋った…?!しかも偉そうに…!」
人並みに驚いてくれた光風。
「きゃー!猫と喋るなんて潤太さんもしや異星人…!」
微妙な勘違いをしてくれている翔子。
「すげえ!喋る猫の生肉!」
危険な事考えてそうなレア。
「あーキナコ美味しいわー」
もはや自分の世界に飛び立ってしまっているキナ子。ここからすでにそれぞれの個性というものがあふれまくっている。
コバは潤太の手からひょいと逃れると、机の上にストンと降り立った。そして、4人に向き直る。
「私の名はネコババ。コバと呼ぶがいい。この世界に来た魔物を倒すために異次元からやってきたのだ」
「すげえ!魔物の生肉!」
「しかしこの世界では自分の力が使えないため、この潤太に強力してもらう事になった」
「つつつまり潤太さんが選ばれた戦士なんですね!選ばれた戦士!キャー何だかすごくト・キ・メ・ク!」
「昨日の晩弓を射っていたのはそのためだ。弓に力を溜めて魔物を倒したのだ」
「うふふ、キナコさえあればあたしは生きていけるわ」
「なあお前たち、頼むから普通の人間の反応を見せてくれよ」
ちなみに、普通の人間の反応を見せてくれる光風は固まったままだ。刺激が強すぎたらしい。
と、そこで潤太はハッとなってコバに詰め寄った。
「何お前暴露しまくってるんだよ!まあ弁解してくれるのは助かるけど」
「いやなに、協力してくれる者は多いに越したことは無いからな」
「…へー…あ、そうだな、そうだよな、仲間は多い方が良いもんなーアハハハ」
ぽんぽんとコバの頭を叩く潤太。何か思いついたようだ。
「ってことは、別に俺がやらなきゃいけないってわけじゃないんだよな?そうだよな?」
「む?」
「じゃあ他に頼めよ他に!まだましな奴がいるだろ?な?それじゃあそういう事で俺は抜けるから!」
「いや、それは出来ぬ」
「何でだよ!こんなに他の奴いるじゃねーか!」
ガバッと泣きついてくる潤太に、コバは少々哀れみのこもった金色の瞳を向ける。
「どうやら私の力はお前と相性が良いらしくてな、他の者だと昨日のように簡単にはいかないのだ」
「…は?」
「つまり、これからもよろしく頼む、と、そういう訳だ」
「……そんな…」
ガックリと項垂れてしまった潤太を横目に、コバはさっきからはしゃいでいる残りの者に顔を向けた。
「そういう訳で、私たちに協力して欲しいのだが」
「……はっ、僕は今まで何を…あっそうか固まってたんだ…」
「します!協力します!そしたら色んな事に巻き込まれてあんな事やこんな事が…キャー!」
「よっしゃー!生肉食べ放題ー!」
「キナコくれるんだったら何でもするわよ!」
「何?何?…とりあえずOKで」
コバは、満足げな顔で潤太を見た。
「良い仲間たちではないか」
「ああそうだな!良い仲間たちだよコンチクショー!」
潤太のやけくそな叫びは、古びた天井にぶつかってどこかへと消えていったのだった。
書:04/05/03
再公開:06/04/02