酢男は止まらない −ツッコミ少年とごぼう酢使い−



森に1人の少年が倒れていた。彼の名はウィン・レスト。金髪碧眼の、どこにでもいそうな普通の少年だった。
しかしウィンは、極度の腹減りと喉の渇きのよってもう立ち上がる気力さえない。


(ああ…きっと僕は死ぬんだろうなあ…。天国かな、地獄かな…)


かすかにこんな事を思う。少なくとも、どちらかに逝ってしまうだろう。
死ぬ事は怖かったが、ウィンにはもうどうすることも出来ないのだ。こうなったら、苦しむ事無く天国辺りに逝きたい。


(頭の中が…ボーっとしてきた…)


目を閉じる。この森の風景を見ることはもうないだろう。だってほら、もうすぐ天国(多分)に逝くのだから。
かすかに何かの香りも漂ってきて…。


(天国の香りかな…。お腹空いてるから何か食べられるものがあればいいけど…。…あ、)


ウィンはかすかにピクッと反応した。香りをはっきりと感じることが出来たからだ。


(これは…何かの食べ物のにおい?何だろう、酢豚かな…それにしてもお酢がきいているのか酸っぱい匂いだ…)


酢豚は、どんどんとウィンに近づいてきた。


(天国にも酢豚ってあるもんなんだ…って、かなり酸っぱい匂いだな…酢豚っていうかこれもう酢だよ。うわすっぱっ!)


あまりにも酸っぱい匂いに、ウィンはうなされ始めた。


(ちょ、これすっぱ…!もしかして天国って酢の匂いするの?!す、すっぱっ!)


酢の匂い漂う、天国か…。


「いっいやだそんな天国ー!」


思わずガバッと跳ね起きたウィンは、目の前にいた男とハタと目が合った。茶髪に黒目の男だ。
手には水筒みたいなものを持っていて、しゃがみこみながらウィンを見ている。男は、ウィンに言った。


「どんな天国だったんだ?酢がたっぷりまんべんなく振りまかれた天国か?」
「いやまだ天国には逝ってな…っていやだってそんな天国っ!」
「まあとりあえず、生きてたか」


よいしょと男は立ち上がって、水筒の中身を飲んだ。
何故かまだ酸っぱい匂いが漂う中、ウィンはこの男が自分を心配してここに座っていたのに気づいた。
そこで、あわてて頭を下げる。


「あ、ありがとうございました。ところで…それ、何飲んでるんですか?」
「飲むか?」
「え、いいんですか?いやあ、僕すごく喉渇いてたんですよねー…」


手渡された水筒に口をつけたとたん、ウィンはブッと吐き出していた。


「ガッハァ!」
「何してるんだよお前…ほら、もったいねぇな…」
「こっこっこれ何?!何かすごく酢っぽいんですけど!」


ゲホゲホしながら尋ねてくるウィンに、男は胸を張って答えた。


「酢だ」
「やっぱり酢ー?!これが酢天国の原因かー!しかもまったく薄めてないぞコンチクショー!」
「薄める必要がどこにあるというんだ」
「大有りだー!ってか飲んでるー!ひぃーっ!」


叫ぶウィンの目の前で、男は実に豪快に酢を喉へ流し込んだ。そして、いかにも幸福そうにふにゃりと笑う。


「くーっ…やっぱりこれだな」
「ど、ど、どうしてそんな飲めるんですか…?!」
「俺は生まれてこの方この酢しか摂取したことが無い」
「嘘だー!」
「真実だ」
「人間じゃねぇーっ!」
「貴様…俺を馬鹿にしてるのか?」
「むしろ僕からかわれてるの?!からかわれてるの?!ねえ!」


非常に混乱した状態のウィンを眺めてから、男はポンと手を打った。


「そうか、分かったぞ」
「へ?何が?」
「お前は酢アレルギーか何かで酢が飲めないから信じられない、と」
「ちっがーう!」


じたばたした後、ウィンはキッと男に向き直った。


「あんたは普通の人間が生酢を飲めると思ってるんですか?!」
「この世には二種類の人間がいる。酢が飲める人間と、酢アレルギーの人間だ」
「アレルギーさえ無きゃ全人類酢飲み可能かよ!大体僕は生酢が飲める人間でも酢アレルギーでもないっ!」
「さてはお前…人間じゃないな」
「お前が人間じゃないんだーっ!一体あんた何者なんですかっ!」


やっと根本的な質問をすることが出来たウィンに、男は酢を飲みながら答えた。


「俺は、体内の70%が酢で出来ていると信じてる男、ススだ」
「だからこんなに酸っぱい匂いが…って名前、ススですか」
「『酢々』だと思っただろう。残念ながらカタカナでススだ」
「そうだえすか、そりゃあ良かった。…あ、僕はウィン・レストです」
「ウィン・レ酢トか」
「勝手に変換するなー!」


酢男ススは、ウィンの渾身のツッコミにくっぷす事無く尚も酢を飲んでいる。
ウィンは、ゼイゼイ息切れしながら悔しそうに顔をゆがめた。


「くっそー、こんな人初めてだ…!いや、むしろ人…?!」
「酢男だ」
「うっさい自称するな!…ああ…どなってたらお腹空いて本気で死にそう…」


再びガクッと倒れたウィンを、ススが覗き込んでくる。


「どうしたんだ?酢天国にでも旅立つのか?」
「そんな天国死んでも逝くかー!」
「死因は酢か。幸せだな」
「ああそうだよ!酸っぱい匂い吸いすぎて死んじまうよ!不幸だよ!」


思いっきり叫んでくる死にかけの少年を、ススは困ったように見下ろした。


「しかし困ったなあ…食物は俺の分の酢しかないし…」
「あんた本当に酢しか持ってないんだ?!」
「やらんぞ?」
「いらんわー!」


するとススは、しばらく酢水筒を見つめた後サッと背中を向けた。ウィンは果てしなく嫌な予感がする。


「ちょ、ちょっと…どこ行く気ですか?」
「すまん。俺は伝説の酢飯を探すたびに出なくてはならないんだ」
「酢飯の伝説かよ!…じゃなくて、本気で行くんですか?!僕今にも死にそうなんですよ?!」
「十分元気そうに見えるんだが」
「何言ってるんですか!こんなに弱ってるのに!」
「酢力か」
「持っとらんわそんなパワー!」
「……むっ」


ススが何かに反応した。その様子に、思わずウィンも叫んでいた口を閉じる。
そうしてみるとかすかに…だが確かに物音がした。ザッザッザッと、人が草むらを歩む音。それと、人の声。


「…なあ、何かここら辺、変な匂いがしないか?」
「ああ、何だか…酸っぱい匂いだな」
「酢か…?」
「何でこんな森の中に…」


それは、明らかにこちらへと近づいてきていた。やはり酢の匂いを気にしているが、人だ。しかも複数だ。


「た…助かった!酢男よりははるかにましな人々だきっと!」
「そこまで言われるとさすがに照れるな」
「1ミリグラムも褒めてないわっ!」


元気を取り戻したウィンが体を起こしていると、ガサッと茂みから人影が現れた。
ぱっと顔を上げたウィンはしかし…そのまま固まっていた。その人影はどこをどう見ても、4,5人の盗賊だったのだ。
…いや、確かに人外の酢男よりはまだましな人間かもしれないが。


「お!おい、人だ!2人いるぞ!」
「旅人か?こりゃあいいぜ」
「ちょうどこんな森の中だ、金目のもの奪って殺っちまおうぜ」
「いーやー!」


ウィンは自分の不幸を嘆いた。行き倒れて出会ったのが、酢男と盗賊だなんてひどすぎる。何か罪になるような事をしただろうか。


「今すぐ酢神を崇め奉れ。そうすれば救われるぞ」
「どんな宗教勧誘だそれー!」


さりげなく酢を手渡そうとしてきたススの手をバシッと叩いていると、盗賊たちがニヤニヤしながら話しかけてきた。


「よおよおそこのお二人さん。何か金目のものは持ってねえか?」
「それをおれたちに差し出せば、命だけは助けてやってもいいぜ?」


嘘だ、今さっき殺るとか何とか言ってたくせに。
ウィンは酢男にはつっこめるが盗賊にはつっこむ度胸が無かったので、その言葉は飲み込まれたまま出てこない。
黙ったまま固まってるウィンの代わりに、ススが口を開いた。


「残念だが、お前たちに差し出すものは何も無い」
「な、なにぃ?!」
「俺が持っているものは、命より大事なこれしかないからだ」


これ、と指差すのはやっぱり例の酢水筒。しかしそうとは知らない盗賊たちは、水筒を見て目を光らせた。


「へえ…それじゃあそれを頂くとするか」
「これを奪うというのか」
「こんな所でおれたちと出会ったのが運のツキだったのさ。へっへっへ」
「…そうか…」


静かにそう言うと、ススは目を細めて盗賊たちを見据える。その鋭い視線に、盗賊たちは少々たじろいだ。


「俺のこの宝を奪うつもりならば…仕方ない」
(宝ときたか…)


ススがあまりにも真剣なので、心の中でつっこんでおくウィン。ススは、スッと右手を動かした。


「この手で…排除する」
「っ!」


息を呑む盗賊。ススが伸ばした手の先には、1本の鞘が左腰にぶら下がっていた。酸っぱい匂いに騙されて今まで気づかなかった。
ウィンは、グッとこぶしを握り締める。


(まさか…この酢男実はすごい剣使いとか…!)


ウィンと盗賊が見つめる緊張の中、ススは鞘からヒュンと抜いた。

ごぼうを。


「「ごぼうかよ!」」
「ごぼうではない。細長くて土色の根は食用とされているキク科の大形二年草だ」
「それは俗に言うごぼうじゃないか!」
「どこかの地方ではそうとも呼ばれているらしい」
「全地方でごぼうごぼう呼ばれてるよ!」
「くそ…!なめやがって…」


少しでもごぼうにビビッてしまった己が恥ずかしいのか普通に怒っているのか、盗賊たちは顔を赤くして睨んできた。
しかし、ごぼうを手にしたススは動じる気配も無い。


「お前ら、このごぼうをなめているだろう」
「なめるよ誰だって」


盗賊のかわりにウィンがつっこむ。


「ただのごぼうと思うなよ。これをかければ…この世で最強の武器になるんだ」
「「何っ?!」」


驚く盗賊たち。しかし、ウィンは逆に呆れた目でススを見た。もちろん、ススが酢水筒を指差していたからだ。
ごぼうに酢をかけてどうなるというんだ。
呆れたウィンを尻目に、ススはダバダバお酢をかけ始めた。
すると…。


「うわっ!何だこの匂いは!」
「すっぺぇ!すっぺぇぞ!」
「これは…何かの毒か?!」


盛り上がっている所悪いが、あれは酢である。
ススがごぼうをブンと振ると、酢の雫が少し空中に散らばった。


「…これでいい、さあ、来い!」
「おっおもしれえ!やるぞ皆!」
「「おう!」」
「えー?!本気でやるのー?!」


ウィンが叫んでいる間に、盗賊たちは次々にススへと飛び掛かっていった。対するススはやっぱりごぼう(酢付き)を構えたまま。
盗賊の中の1人が、勢いよくごぼうじゃなく剣を振りかざしてきた。


「くらえーっ!」
「うーわー!」


その様子を指の隙間から覗いていたウィンは、次の瞬間我が目を疑った。
一番最初に突っ込んできた盗賊をススがごぼうでベシッとはたくと、その盗賊がばたんと倒れてしまったのだ。


「わー!マイクが、マイクがやられたぞー!」
「んな馬鹿なー!って、この盗賊以外に名前が標準?!」
「ふふふ…見たか、これが酢とごぼうの力だ!ちなみに俺はごぼうは嫌いだ」
「嫌いだったー!ごぼう嫌いだったー!」
「ちくしょー!マイクのかたきー!」


混乱の中、今度は2人が飛び掛かってきた。
これにもススは動じる事無くひょいっと最初のやつをかわすと、次にいた盗賊の顔めがけて酢を放った。
あれはきつい。顔に匂いが染み付きそうだ。


「っぎゃあああ!目にしみるー!」
「ケビーン!」
「ケビンが顔に毒を食らったぞー!」
「くそっ!マイクに続いてケビンまで毒の餌食に…!」


すいません。酢です。


「これ以上酢を無駄にしたくない。降参しろ」


ススが酢水筒をちらつかせながら盗賊たちに呼びかけた。
ウィンにとっても、そろそろあたりに酸っぱい匂いが充満してきているのでさっさとこの戦いを終わらせて欲しかった。
しかし、盗賊たちは一向に逃げ出さない。


「うっうるせえ!ここで逃げられるかっ!」
「仲間のかたき、とってやる!」
「ここからが本番だ!」


この匂いの中、拍手したくなるほどの根性である。だが今は降参して欲しい。この森が酢森となるまでに。


「ス…ススさん、もうこの辺にしておいた方が…」
「だめだ、酢のプライドにかけてここは引くことが出来ない」
「そんな酸っぱいプライド捨てちまえーっ!」


ススを説得しようと思ったが全然応じる気配もない。
ウィンがああーっと頭を抱えていると、ススはごそごそと懐をあさり始めた。何か探しているのだろうか。
しばらくすると、ススが何かを取り出してきた。それは、酢水筒と色違いの水筒。
…まさか…あの中身は…。


「これはとっておきのものだったんだが…仕方が無い…」


水筒をズイッと掲げながら、ススは言った。


「これは俺が特別に調合した『ロイヤルブレンドウルトラミラクル酢スーパー』3号だ。今までのものとは格が違うぞ」
「「『ロイヤルブレンドウルトラミラクル酢スーパー』?!」」


結局は酢なのだろうが、この酢男が自ら調合したものだ。どんな酢なのだろう。
しかも3号ときた。1号と2号よりも強力なものに違いない。匂いとか。


「…これを…食らいたいか?」
「「っ?!」」
「いくぞ」
「「っひー!」」


ススが構えたとたん、耐え切れなくなった盗賊たちは次々に逃げ出していった。


「うわーもう嫌だー!」
「お助けー!」
「おかーちゃーん!」


口々に泣き叫んで逃げていく盗賊たちを、ウィンは気の毒に思いながら見送った。
この盗賊たちは、これがトラウマとなって盗賊をやめてしまうのだが、今のウィンはそんなこと知る由も無い。
同じように盗賊たちを見送ったススは、しばらく残念そうに水筒を眺めてウィンと目が合い、


「…ためしにこれ」
「死んでも飲むもんか」
「そうか…チャレンジャー精神が足りないな近頃の若者は」
「自己防衛力が高まってると言って下さい」


ウィンがどうしても飲んでくれそうに無いので、ススは仕方なく水筒を懐にしまいなおした。
そして、ごぼうを鞘に収め、普通?の酢水筒をグビグビ飲む。おかげで周りから酸っぱい匂いは消えないままだ。


「さて、そろそろ行くか。近くに町があるはずだし」
「…ええ?!あるんですか?!町!」
「あるとも、酢神の思し召しだ」


そのままスタスタ歩き出す前に、ススはちらりとウィンを振り返った。


「早く来ないとおいていくぞ。腹が減っているんだろう?」
「…え?」
「酢アレルギーなら仕方ないからな、別なものを食わせてやろう」
「……あ、ああーちょっと!待って下さいよ!」


さっさと先に行くススに、飢え死にしそうになっていたはずのウィンは慌ててついていく。
後にこの森は『酢森』として近所から酸っぱい匂いを迷惑がられることになる。


「…ところで何を食べさせてくれるんですか?」
「そうだな、酢飯かな」
「結局酢かよ!しかも本当に僕が酢アレルギーだったら酢飯も食えないし!」
「大丈夫、飯もついてるから」
「酢がメインか酢飯ー!普通ついてるのは酢の方でしょう!」
「この世の全ての主食は酢だ」
「言い切るなー!もう酢はこりごりだー!」


酸っぱい匂いを放つ2人組は、やかましく森を去っていった。
ススがウィンを連れて行ったのは、ウィンのツッコミが気に入ったからなのか酢神の信者にしようと思ったからなのか…。

ちなみに、ウィンが「自分は何故こいつについて来てるんだ?」と我に返るのは、町でススに無理矢理酢飯を食わされていた時だったとか。


めでた酢 めでた酢?

04/05/01











今回書きたかったもの。「ボケとツッコミ」「酢」「ごぼう」
死ぬほど書きやすくて自分で自分に絶望した。




戻る