旅をしていくうちに、色んな人から大事なものを教えてもらってきた。
こうやって「人」として生きていく上で、とても大事なものを。
Spirit Of Adventurous外伝 −笑う旅人−
その村はとても平和な村だった。人々は楽しそうに笑い合い、毎日自分の仕事をこなし、平和な一日を過ごしている。
たまに事件は起こるが、大抵の日は皆何事も無く暮らしていた。
そんなある日の事、1人の少年が旅人としてこの村を訪れていた。
その少年の名はあらし。1人で旅をしている。旅人としてはまだ幾らかしか経っていない新米の旅人だった。
村に入っても特に何もする事無く、そこら辺の草原に腰を下ろしている。何も考えず、どこか無表情で。
どれぐらい時が経っただろうか。
「空が綺麗だねえ」
いきなり隣から聞こえてきたその声にあらしはビックと飛び上がった。
横に首を向ければ、そこにはいつの間にか1人の少年がしゃがみ込んでいた。
目尻に赤い丸模様を持つ少年は、にこにこと笑いながらあらしを見ている。
「ね?綺麗な青空だよね」
「……う、うん」
とりあえず頷く。少年は顔をパッパと払ってから、頷き返した事が嬉しかったのかもう一度話しかけてきた。
「ね、君もそう思うだろう?」
「う、うん」
腰が引けているあらしに構わずに、少年は微笑みを絶やす事は無い。
「特に今日は良く晴れてるから、すごく綺麗だよね」
「う、うん」
「あっでも僕は雲のある空が好きだな。君はどうだい?」
「う、うん」
「やっぱりそうだよね、いいよねえ。夕日も凄く綺麗だよね」
「う、うん」
「あの赤く染まる空、うん綺麗だよね!星がいっぱい広がってる夜空もいいと思わないかい?」
「う、うん」
「ロマンチックだよねえ。でもさ」
「う、うん?」
「やっぱり青い空が一番好きだなあ」
「……うん」
空を仰ぎながら次々と話しかけてくる少年に、あらしは頷き返す事しかできなかった。
少年は途中で立ち上がったり空を仰いだりしながら、それでも笑顔で話しかけてくれる。
こんなにたくさん一度に話しかけられたのは初めてだ。
「空って、ずーっと眺めておきたいよねえ」
「……うん」
少年は空を見ていたが、あらしは少年を見ていた。少年の表情をじっと見ていた。
さっきからあらしは不思議でたまらなかったのだ。
どうしてこの人はずっと笑っているんだろう。
「ねえ、キミいくつ?」
「え?……わ、分かんない」
「そうなんだ?」
あらしの答えに少年は少しばかり驚いたようだ。しかし、分からないものは分からないのだから仕方が無い。
やっぱり変なのだろうかとあらしが思っていると、少年は話題を切り替えてきた。
「でも僕たちって、何だか似てるよね」
「……似てる?」
少年が相変わらず笑いながらそう言うので、あらしはびっくりした。
ニコニコと笑っているこの少年と自分とが似ているとは、思えなかった。
「うん。似てる。雰囲気が似てるよ」
「……雰囲気が?」
この少年はおかしな事を言う。だって、雰囲気が似ているなんて。笑う少年と雰囲気が、似ているだなんてそんな。
「何かね、僕自身と会っている気持ちになるんだ」
「……え?」
「本当に不思議な感じがするよ」
そう言われてみれば、どこか自分自身と会っているような気がする。しかし、完全に自分だとは感じない。
そう、例えば、記憶の無い部分の自分。記憶の中の自分は、こんな風に笑っていたのだろうか。
もし笑えていたのなら、それはとても良い記憶だと思う。
「あ、そうだ」
いきなり声をあげた少年はマイペースで、あらしの腕を取ってその場に立たせた。
「せっかくだから遊ぼうよ」
「あ、遊ぶ?」
「何したい?僕はねえ、かけっこがしたいなあ」
「か、かけっこ?」
「あっでも僕足が遅いんだ。足が短いから……」
「え、え?」
一瞬少年がしょんぼりとしてしまったのであらしは訳が分からなくても慌てた。
しかし少年はやっぱりすぐに笑う。
「じゃあ公園で遊ぼう。そこまで競争しようか」
「公園まで競争?……で、でも公園って、どこにあるの?」
「あ、公園はね、こっちにあるんだよ」
少年はあらしの腕を掴んだままスタスタと歩き出した。案内してくれるらしい。
これじゃあ競争できないんじゃないだろうかとあらしは思いながらも、ただ引っ張られるだけ。
「競争はまた今度にしよう?代わりに別なことをしようか」
少年はそうやって何気なく言った。しかしあらしにはその言葉がひどく特別なもののように思えた。
「また今度」。旅をしていれば「また今度」はいつ来るか分からない。もう来ないかもしれない。
そうやってひょいと「また今度」が出てくる少年が、あらしはどこか輝いて見えて仕方が無かった。
「……別なこと?」
「うん。……何しようかなぁ」
色々考えている間に公園についていた。とても小さな公園だった。遊具も二つ三つしかない村の片隅の広場。
しかしよく遊ばれているのだろう、その痕跡があちこちに残されている。
あらしは「公園」の事は知っていたが、入って遊んだことは無かった。行って来いとか言われても行かなかった。
「公園」が、自分からはどこか遠くにある場所のような気がして。
「ブランコしよう」
「……ブランコ?」
少年が手をひっぱりながらそう言うので、あらしはついていきながら首をかしげた。
ああ、ブランコ。どこかで聞いたような気がする。何だったっけ。
「これでどっちが高く上がれるか競争しようか」
そう言って少年が飛び乗ったのは、上から鎖で繋がれた椅子のようなものだった。
なんて奇妙な椅子だ。下からではなく上から支えられている。これじゃあ安定しないんじゃないだろうか。
そう思いながらも、少年に促されてあらしはその椅子に腰掛けていた。
「ちょっと音がうるさいかもしれないけど、大丈夫かな」
少年はギシギシ音を立てながら椅子を揺らし始めた。前へ、後ろへ、少年は揺れる。
おお、揺れている。少年が椅子と共に揺れている。あらしはそれをただ見ているだけだった。
やがて少年はこちらを見て、尋ねてきた。
「こぎ方が分からないのかい?」
こぎ方?とりあえず今何をすればいいのか分からないので頷いておく。
「地面を蹴ればいいんだよ。こうやって……、ね」
タンッ
少年は地面を蹴った。すると少年は前へ上がる。まるで空に駆け上がるように前へ上へ。
前へ上へ行った少年は次は空中を蹴った。すると少年は後ろへ下がる。地面の上を通り、今度は後ろへ上がる。
体が後ろに行ったときに強く地面を蹴る。よって体が高い位置に上がり、その勢いに乗って前に押される。
体が前に行ったときは空を蹴るんだ。青い空に吸い込まれそうになるから蹴ることによって後ろに下がる。
それで後ろに下がったところで地面を蹴る。これの繰り返し。
「う、うん」
言われた通りに地面を蹴ってみた。空を蹴ってみた。
するとどうだろう、体がフワリと浮かぶではないか。椅子に乗ってるだけなのに空へと浮かび上がるではないか。
これはすごい。ただの揺れる椅子がこんなに面白いだなんて。
「うん、その調子だよ」
「……うん」
「あ、気づけば僕を越してるよ。ちょっと待ってよ」
隣の少年も慌ててこぎ始めた。そうか、この「蹴る」やつを「こぐ」というのか。なるほど。
それで、この椅子の事を「ブランコ」というんだ。すごい。ブランコは凄い。この少年も凄い。
心の中で密かに感動しながら、あらしは更に高くこぐ。空へとこぐ。
「すごいねキミ。このまま空を飛べそうだね」
少年も楽しそうにこぐ。そうだね、このまま空を飛んでしまえそうだ。羽を持ってないから飛び出したら落ちてしまうけど。
でもこの少年なら、このまま笑顔で飛んでいってしまえそうだ。
こんなに簡単に空を飛ぶような感覚を教えてくれるんだから、空の飛び方も知っているんじゃないだろうか。
すると少年は、少し心配そうな表情になって、こう尋ねかけてきた。
「ねえ、もしかして楽しくないの?」
あらしはびっくりした。今とても楽しいのに、何でそんな事を聞かれるのだろう。
急いで首を横に振る。
「……楽しい」
それでも、少年はまだ心配そうな顔だった。
「そう?何だか楽しくなさそうに見えたから気になったよ」
「え?」
「楽しいなら、普通は笑うだろう?だけどキミは笑っていなかったよ」
「………」
笑う。そうだ、少年は最初から今までずっと笑っていた。ずっと楽しそうに、幸せそうに笑っていた。
じゃあ、自分は?一体どんな顔をしていた?
考えていたら、いつの間にか足は止まっていた。ブランコも止まっていた。少年もそれに伴って揺れるのを止める。
「どうして笑わないの?」
「……笑う?」
その質問に、あらしは答える事が出来なかった。楽しい時にする表情。今楽しかったのに、自分は笑っていなかった。
それなら、笑うって何?どうやって笑えばいいの?
「え?もしかして今まで笑ったことがないの?」
「…わ、分かんない」
「笑う」は知ってる。だってこの少年は「笑っている」。でも「笑う」ってどうやればいいんだろう。
どうやればこの少年のように笑っていられるんだろう。
すると少年は、ようやく納得したという表情を作ると、次にニッコリと笑ってきた。
何かさっきよりも輝いているように見える。何でこんなに楽しそうなんだろう。心なしか後ずさりたくなった。
少年はブランコから勢いよく飛び降りて、あらしの腕を取って立たせた。
「それじゃあ僕が笑い方を教えてあげるよ」
「え、ええ?」
「さあ、次は『すべりだい』で遊ぼう」
笑い方?少年は色んな事を知っているみたいだ。
少年が走るので、あらしも走った。そしてたどり着いた所は……ゾウだ。ゾウがいる。大きなゾウの作り物だ。
ゾウの鼻の上は何故か平らになっていて、背中には階段がある。何だこれは。形を崩されたゾウが可哀想だ。
階段を駆け上がった少年は、笑顔で恐ろしい事を言い出した。
「ここを滑って遊ぶんだよ」
滑る。つまり平らになっているあのゾウの鼻の上を滑るのか。そんな事したら下に落ちてしまうじゃないか。
あらしはびっくりして少年を見た。
「す、滑るの?」
「うん。びゅーんと風を切って滑るんだよ」
事も無げに少年は言うがあらしには理解できなかった。だって何故わざわざ上から下に落ちなければいけないんだ。
鼻の下には衝撃を和らげるためか砂が敷き詰められているが、それなら最初から滑らなきゃいいのだ。
びゅーんとか落ちたら危険ではないのか。
しかし気付けば少年によって鼻の頂上に座らされていた。いつの間に!
「大丈夫だよ。僕も後を追って滑ってくるから」
「で、でも」
「さあ、行こう」
少年はあらしの背中を押した。滑らかなゾウの鼻の上は、少し進んだだけで止まる事無く落ちていく。
ブランコは空に飛べそうな気がしたがこっちは逆だ。空から地面に落ちていく。速さはゆっくりだったけどこれ結構怖い。
しかし、あっという間に滑り終わっていた。何ともなくて一安心。しかし、
「ぶつかるぶつかるー!」
「……え?」
そうだ、少年は後から滑るとか言ってたんだから、後ろから来るのは当たり前で、そこに止まっていた自分にぶつかるのも当たり前だ。
と、そうやって思ったのは、少年に後ろから激突されて砂場にひっくり返った後だった。
ああ、こういう時のために砂が敷き詰められているんだ。少し服が汚れてしまったけど、助かった。
「いたた……ごめんねぇ」
少年が体を起こして謝ってくる。こちらこそごめんねと謝ろうとしたが、あらしは少年を見てそのまま固まってしまった。
少年は顔から砂に突っ込んだようで、顔中砂まみれだった。口の中にも入ったみたいで。ペッペと吐き出している。
とてもおかしい顔だ。顔を振り払ってもまだ残ってる。さっきの恐怖と相まって、かなりおかしい。
何だかフツフツと腹の底の方から何かがこみ上げてくる。何だろうこれ。我慢が出来ない。
湧き上がる何かを抑える事無く、あらしは声をあげた。
「あはははは!」
少年は驚いた顔をしている。それがまたおかしくて、あらしはその声を止める事が出来ない。
「あははは!顔、すごいよ」
「え、ええ?」
「あははは」
何だか苦しい。でも嫌ではない。お腹を抱えて指差してヒーヒー息を吸う。
すると、少年はさらに嬉しそうに声をあげた。
「キミキミ!笑ってるよ!今、笑ってる!」
「あはは……え?」
「ほら、顔がすっごく楽しそう!」
「笑ってる」?今、自分が?あらしを見て少年は笑った。
「あはは!笑ったよ!キミ、笑えたよ!」
ああ。少年は笑ってる。口の両端を上に上げて、目を細めて、あらしが笑ったと笑ってる。
これが「笑う」だ。少年があらしに教えてくれた、「笑う」だ。少年が笑っていたからあらしは笑えた。
少年はずっと、教えてくれていたのだ。「笑う」事、そのものを。
「……これが「笑う」というものなんだね」
「そうだよ、これが「笑う」。人にとっては一番大切な感情だよ!」
「……そっか、「笑う」、「笑う」……これが「笑う」……!」
「うん。いいよね笑うことって」
2人は笑った。声が枯れてしまうほど笑った。お互いにお互いの顔を見て、そしてまた互いに笑った。
「笑う」って凄い。笑っているだけで、何かが満たされていく。
「笑う」って楽しい。いや、違う。楽しいから「笑う」んだ。笑って、楽しさを表現するんだ。
それを教えてくれたのは、目の前の少年だった。一緒に笑ってくれる少年だった。
色んな事を知っていて、とても大事な事を教えてくれた、少年だった。
日の暮れる中、村を出た。少年は村の入り口までついてきてくれた。
相手は、小さな小さな村の子だった。
でもたくさんの事を知っていて、たくさんのものをあらしにくれた。心はとても大きな子だった。
たとえ大きくなって、大人になったとしても、あの時のあの子どもに敵う気はしなかった。
別れ際、覚えたての「笑顔」をしてみたら、少年も微笑んでくれた。
見ているとホッとする表情。とても大切な顔。絶対忘れないと思った。この少年から教わった事も。
笑うことによって僕らの心は一つになった。
少年は見えなくなるまで手を振っていてくれた。時折振り返ってあらしも手を振った。
村が見えなくなって、ふと気付く。
「そういえば、名前、聞いてなかったな……」
名前ぐらい聞いておけばよかった。でも、名前なんて聞かなくても、少年とはどこかが繋がっているように感じた。
だから、いつかまた名前を聞ける日が来るかもしれない。その時までこの言葉はとっておこう。
その旅人が「笑い」を覚えたのは、旅に出て1年とも経たない頃のことだった。
05/03/04
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あらしの昔話。こうやって色んな事を学んでいきました。
この話、分かる人には分かると思われます。