ガラン ゴロン
ガラン ゴロン
とにかくオンボロな荷車が、1人の人間によって引かれていました。
丸い、よりも六角形に近い車輪のおかげで、荷車はひどい音を立てながらガタガタと揺れます。
引いてる人間もこれまたボロボロな姿で、一見男か女か分からないほどでした。
そんな人間が引っ張っている荷車の中には、その見た目とは似つかわしくない甘い匂いが漂っていて。
えー、チョコー、チョコはいかがっすかー
あまーくておいしーいチョコだよー
おっとそこのお嬢ちゃん、今日が何の日か知らないわけじゃないよね
ほおら、忘れてたのならちょうどいい
ここにたっくさんチョコがあるからねー
大丈夫、味は保障するよ
何てったって、世界一のチョコ屋さんが一生懸命手作りしたチョコなんだから
そうだよ、今日この日のために、心を込めて作りましたとも
それもこれもお嬢ちゃん、あんたみたいな人のために作ったんだからね
一個でいいから買っていってよ
いやいや、私の見た目はどうでもいいの
チョコ買ってよ
代金?いやいや、お金なんてそんな野暮ったいものはいらないよ
私が心をこめて作ったチョコを、あんたが心を込めて誰かに渡せばそれでいいんだよ
すると、ほら、私が嬉しいだろう
それだけだよ
早くチョコを持っていきな
あんたの大切な人にさ
はい、お買い上げありがとうございましたー
「はい、三倍返しですよ」
そんな言葉と共に手渡された手のひらサイズの小包に、あらしは首をかしげた。
手渡してきたのは華蓮だったのだが、華蓮が何も無いのに自ら他人にプレゼントを贈る事が考えられなかったのだ。
はて、これは一体どういった事なのだろうか。
その隣では、渡された瞬間に中身を確認したクロがうげっと顔をしかめているところだった。
「おいカレン、オレが甘ったるいもん好きじゃねえって知ってんだろ!」
「ええ知ってますよ。それでも差し上げた分は返してもらわないといけませんが」
「鬼かお前は!」
そんな会話を聞きながらあらしも小包を開けてみる。
中には、茶色くてとても甘い食べ物が入っていた。
「……チョコ?」
「これが、これがチョコレートなのか……」
何やら感動した様子で呟いているのはウミだ。どうやらチョコレートを初めて見るらしい。
すぐにその形を変えてしまうチョコレートと人魚は相性が悪いのかもしれない。
でも、何でチョコ?三倍返しってどういうことだ?
「皆さんとぼけないで下さいよ。今日はバレンタインじゃないですか」
「ばれ?」
聞きなれない単語にあらしが眉を寄せる。一方ウミはチョコを知らなくてもバレンタインは分かったらしい。
おお、と声を上げて納得していた。
「そうか、人魚以外の人はバレンタインにチョコレートを贈っているのか、そうか」
「何だあ?人魚は何贈ってんだよ」
「タコだ」
「気色悪いなおい?!」
クロとウミが馬鹿な事を話している間に、華蓮がため息をつきながらあらしにバレンタインを説明してやる。
人生のほとんどを旅に費やしていれば、年中行事に疎いのも仕方の無い事なのかもしれないが。
「バレンタインというのはですね、女から男にチョコレートをあげる日なんです」
「女から男に?」
「まあ男から女に、でも別にいいとは思いますが、一般的にはそうなってますね」
「へえー、じゃあさっきの三倍返しっていうのは」
「一ヵ月後のホワイトデーに今日のチョコを三倍にして返しなさいということです」
「そんな理不尽な?!」
叫びかけたあらしは、しかしふと手元のチョコを見て、再び疑問を口にする。
「……あれ、でも町に立ち寄ったのは3日前だよね。その時にこれ買ったの?」
「いいえ、ついさっき買いました」
「さっき?!ここ普通の平野の一角だよ?!」
「そこの道をちょうどチョコレート積んだ荷車が通りかかったんですよ。そこから買いました」
そこ、とさすのは、さっきここで休憩する前に進んでいた広くてよく踏み固められた道の事だ。
すぐそこに道があるというのに全然気づかなかった事にあらしは不信感を抱くが、それはすぐに消える。
そばに白い塊がやってきたからだ。
「シロ、どうしたの」
「えっとねー、あのねー、あたしもチョコ買ったのー」
言いよどむシロの手には確かに3つの小包が抱えられている。しかし、シロの表情は晴れない。
「これねー、みんなにあげたいんだけどねー、……あたしの分が無くなっちゃうのー」
どん底に落ちたようなシロの顔。命よりも食欲を大事にするシロが、そう簡単に手の中の食べ物を手放す事はできない。
しかし、これは仲間に買った、というか貰った分だ。心を込めて贈らなければならない。今日はそういう日だ。
でもこの腕の中の甘ったるい食べ物が愛しい。匂いが漂う。今すぐかぶりつきたい。
知らず涙目になっていたシロに慌てて駆け寄るのは、クロだった。
「な、泣くなってシロ!オレどうせチョコ食えねえからお前が食えよ!な!」
「え、でもー」
「でもじゃねえ!そうだこれも食えよ、チョコだって美味そうに食われる方が本望だろ!」
華蓮から貰った分も押し付けるクロ。しばらく何かを迷っていたシロも、最後にはにっこり笑ったクロを見上げた。
「ありがとクロー!あたし、チョコのためにすっごく美味しく食べるわー!」
「そうしろそうしろ!お前らの分もシロにあげちまえ!」
「あーうん別にいいよ」
「……俺の初チョコレートが……」
「まあいいですけどね。例え手放しても三倍返しは有効ですからね」
心のこもったチョコは、1人の少女のお腹の中にまるまる納まってしまったという。
その日は、誰もが浮き足立っていた。
学校はチョコレートを持ってくることを禁止にしていたけれど、それでもこっそりそれは持ち込まれた。
例え小学生だとしても、好きな女の子からチョコレートを貰う事を男子の誰もが夢見ていた事だろう。
朝一番に、休み時間に、放課後に。ドキドキの時間は、その日一日中にちりばめられていた。
母親は、父親の分と自分の分のチョコを毎年ちゃんと買ってきてくれていた。
大きくなるにつれてそれはちょっと恥ずかしかったけど、それでもやはり嬉しかった。
普段は自ら台所に立とうとしない姉も、この日の前日ばかりは張り切ってチョコレートを作っていた。
あげる人が時々変わっていたけど、おこぼれを貰えたりしてこっそり楽しみにしていた。
そういえば、友達にすごくモテる奴がいた。
たくさんのチョコを貰っても、涼しい顔をしていたあいつが、いつもちょっとムカついて、羨ましかったっけ。
自分がもらえるチョコは、毎年片手で足りるほど。
それでも、いくらたくさん貰っても、あの1個に勝てるような喜びは、多分無いだろう。
『はい、これ、大地君に』
あの笑顔は、もう無い。
「どうしたのよそれ」
毛づくろいをしていたシベリアンハスキー姿のダイアナにそう尋ねられた。すっかり犬の習性が身についている。
それ、というのは大地が持っている小さな小包の事だ。
「何か……夢を見たんだー……」
起きたばっかりのぼんやりとした頭でさっきまで見ていたはずの夢を思い出す。
何だかすごく懐かしいような、寂しいような、そんな夢を最初は見ていたはずだ。
問題は、その後だ。
「すごくおんぼろな荷車がきてなー、それ引いてる人にこれ貰った夢見たんだー……」
「そ、それって正夢って事っすか?怖!夢現実になって怖!」
過剰に驚くヒヨコ姿のカロン。確かに、寝る前まで持っていなかった小包をその手に持っているんだからどことなく恐ろしい。
しかし、そんなカロンを一笑するような声が大地の頭の上から届く。
「夢とか現実とかこの際考えるのはよそうや。せっかく美味しそうなものが手に入ったんだからな!」
「あんたどうせ食べられないじゃないの」
「よし大地、俺のかわりにそれ食べてくれ」
大地のねぐせ姿のアレスが明るい声で大地を動かす。
大地がゆっくり包みを開けると、そこには小さいながらも確かに美味しそうなチョコレートが。
まさか世界が崩壊した後にもチョコレートが食べられるとは思わなかった。
アレスの言うとおり、大地は深く考えない事にした。
ただ目の前にチョコレートがある。それだけでいい。
「いただきまーす!あ、ポチ子もヒヨ吉も食べるか?」
「え、いいんすか?おいらちょっと興味あったんすよー!」
「そうね、食べられるものは食べておかなければいけないわね」
「あーくそーこの時ばかりはねぐせに口があればと思わずにはいられないな」
「ねぐせじゃなくなればいいだけでしょうが!」
一口。仲間と食べたチョコレートの味は、きっとしばらく大地の気持ちを幸福で満たしてくれる事だろう。
少年は頭を抱えた。
頭を抱えたい衝動に駆られる事はよくあるのだが、実際に頭を抱えたのはこれが初めてかもしれない。
目の前にあるのは自分の部屋だ。しかし今は自分の部屋だと思いたくない。
何故なら、そこが足の踏み場も無いぐらい埋まっているからだ。
チョコレートの山で。
「ちょ、死神!いるんだろこの中に死神ー!」
頭を抱えていた腕をふるって少年は部屋の中に突撃した。
これの仕業が誰なのか少年は直感で分かっていた。というかそいつしかいない。
チョコレートを掻き分ければ、何か柔らかいものがその手に触れる。
「にゃーん」
「……コバか……」
黒猫のコバまで埋まっていたらしい。少年に引っ張り出されると、安堵したように部屋から出て行った。
さて、と向き直ったところで、少年は目が合った。チョコレートの山の隙間から覗く真っ黒な瞳と。
その目は満足そうに細められた。
「チョコレート天国へようこそー」
「ようこそ、じゃないー!」
少年はチョコレートを掴んで力いっぱい投げつけた。投げられたチョコレートは同じチョコレートに当たってはねかえるだけ。
バラバラと頭上のチョコレートを落としながら埋まっていた人物、死神は立ち上がった。
「おかえり」
「ただいま、じゃないってば!何だよこれ!」
「チョコレートだ」
「分かってるよそんなの!どうして僕の部屋がチョコレート天国になってるんだよ!」
癇癪を起こすように少年が叫べば、死神は宥めるようにまあまあと近寄ってきた。それがまた少年の神経を逆なでする。
そこに落ちていたチョコレートをひょいと拾い上げて、死神は訳を話し始めた。
「いや、さっき外をボロボロな荷車が走っていたんだが」
「荷車?」
「それが実はチョコレート屋さんだったわけだ。で、こうなった」
何がこうなった、だ。つまり全部買い占めたという訳か。
少年の目が据わっているのを見た死神は、急ぐように付け足す。
「もちろん君のお小遣いを使ったわけじゃないよ。貰ったんだ」
「……貰った?!この量全部?!」
「誰かに渡せと言われて貰ったんだが、あげる人がいないもので。自分で食べることにしたんだ」
そうやって話す甘党死神は恍惚とした表情だ。もしあげる人がいたって自分で食べるに違いない。
嘘のような話だが、実際チョコレートの山はここにある。少年はため息をついた。
「後の事考えて貰えよ……この量、まさか1人で食べる気じゃ」
「む、なるほど賞味期限に間に合うかどうか。よし特別に君にもチョコレート天国への入場権を授けよう」
「そりゃどうも!」
今日はせめて、寝る場所が出来るまでチョコレートまみれになるしかなさそうであった。
「……にゃあ」
さっそくチョコレートに取り掛かる2人をからかうように、部屋の外から欠伸交じりのコバが眺めていた。
ブルルン ブルルン
遠くの方から聞こえたバイクの音は、すぐにそばまで近づいてきました。
それに気付いた荷馬車を引く人、チョコレート屋さんはいったんその場に荷馬車を止めました。
そしてよいしょと道の真ん中に立つと、頭上で大きく手を振り始めたのです。
おーいと覇気の無い声で叫べば、大きなエンジンの音はすぐとなりで止まりました。
真っ赤に光るバイクにまたがっている男の人は、赤い帽子の下で怪訝そうな目をしていました。
「何だ、お前か。何度も言うけどチョコレートの配達はやってないからな。俺が運ぶのは手紙だけだ」
そうやって言う男の人、郵便屋さんは、肩に提げた黒いカバンを大切そうに叩きます。
カバンの中には、きっと彼の大切な手紙たちが入っているのでしょう。
チョコレート屋さんは何を考えているのか分からない笑顔で、首を横に振ります。
「お互いに仕事熱心だね」
「……まあ、な」
「ということでハッピーバレンタインだよ」
はいと手渡されたのは、可愛く包まれたチョコレート。もちろんチョコレート屋さんの商売道具です。
郵便屋さんは条件反射でチョコレートを受け取って、呆けた顔で目の前の顔を眺めました。
「……男か女かも分からない奴に貰っても嬉しくもなんとも無いぞ」
「じゃあそれを誰か渡したい人に渡せばいいじゃん」
「そんな奴、いるわけないだろ」
そういいながらもチョコレートをちゃんとカバンの中にしまいこんで、すぐにバイクは発進してしまいました。
しかしチョコレート屋さんは、その顔が少しばかり彼の帽子とバイクの色に染まっていた事をちゃんと知っていました。
「んっふっふ、若いっていいね」
「あ、チョコレート屋さんー」
後ろからのんびりとした声を掛けられて、チョコレート屋さんは振り返りました。
そこには、自分と同じように、しかし自分とは違って綺麗な荷車を引いている商売仲間がいました。
屋根の付いた荷車の中には、綺麗な液体たちが顔を並べています。
「さすがですね、荷馬車がからですよ。この時期はチョコレート屋さんも忙しいでしょう」
「この時期にしか売れないからね。君の方は……相変わらず買い取りばかりか」
「はい……。でもいいんです、僕が買い取る事で悲しみが消える人がいるんだから。あなただって代金貰ってないでしょう?」
「私達の仕事というのは、どうも儲けがないものばかりだね」
「まったくです」
そうやって笑い合う2人の商売人。
遠い向こうの世界ではきっと、甘くて幸せな一日が過ぎているのでしょう。
それこそが、彼らの売るものなのです。
ハッピーバレンタイン!
06/02/14
全然バレンタインしてない空キャンチョコレート小説!
の提供でお送りしました。本当に全然バレンタイン小説じゃなくて自分でもびっくりです。
@SOA→結局チョコ全部シロ行きです
A崩壊寸前世界→宇宙人がバレンタイン知ってるわけが無い
B死神と少年→誰にもあげてない上に女の子でさえ出てこない
Cチョコレート屋さん→商売人の苦労話
まあこんなバレンタインがあってもいいんじゃないでしょうか。
チョコレートの代わりにこんな小説ですみませんでした。